久保建英&鈴木彩艶が不在 大岩ジャパン、パリ五輪懸かるU-23アジア杯のキーマンは?【前園真聖コラム】
A代表でもプレーする久保と鈴木不在で戦力ダウン
U-23日本代表は、4月15日に開幕するパリ五輪アジア最終予選を兼ねたU-23アジアカップで出場権を獲得できるか。4日に発表されたメンバーの中には日本代表として出場時間が多い選手は含まれておらず、カタールで開催される予選では中国、アラブ首長国連邦(UAE)、韓国と厳しいグループに入った。1996年のアトランタ五輪では厳しい予選をキャプテンとして勝ち抜き、28年ぶりに本大会に出場した元日本代表MF前園真聖氏は今回の予選をこう考えていた。(取材・構成=森雅史)
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僕は今回の予選を勝ち上がる確率は「50%」だと思っています。まずグループリーグで上位2チームに入る可能性が「50%」。続く準々決勝で勝てる確率も「50%」。さらに準決勝で勝つ確率も同じでしょう。
このU-23日本代表には久保建英(レアル・ソシエダ)や鈴木彩艶(シント=トロイデン)が招集できませんでした。今年の日本代表でレギュラーとして活躍している2人が来られないというので、戦力は落ちます。
そもそも久保は別格で、もし本大会に出たとしても来られない可能性もありますから、久保抜きでチームを考えたほうがいいとは思います。ただし、前回の東京五輪の時は何人もの選手が日本代表として活躍していたことを考えると、少し寂しい状態です。
その意味では、このメンバーの中で特に活躍してほしいと思うのは細谷真大(柏レイソル)です。今回選出されたフィールドプレーヤーの中でただ1人、日本代表が参加したアジアカップに選ばれていました。出場はグループリーグ初戦のベトナム戦、準々決勝のイラン戦と多くはありませんでしたが、ぜひ経験を生かしてほしいと思います。
グループリーグB組で対戦するU-23中国、U-23UAE、U-23韓国にしても決して侮ることはできません。U-23中国の実力は未知数ですが、U-23UAEは過去5回のU-23アジアカップでベスト8に3回進出しています。この大会では当該対戦の結果が同勝ち点の場合の順位に反映されますから、もしもU-23UAEに後れを取ってしまったら、その時点で2位以下が確定してしまうのです。
しかも最終節は対戦相手がU-23韓国です。もしその時点でU-23韓国が2勝を挙げていたとしても、彼らは決して手を抜かないでしょう。というのも、このグループで勝ち残り準々決勝に進出した時、対戦する相手を選びたいからです。
パリ五輪世代が伸びないことには「日本サッカーの継続的発展はない」
準々決勝で対戦するA組のチームには、U-23カタール、U-23オーストラリア、U-23ヨルダン、U-23インドネシアがいます。この中で特にホストカントリーで、A組1位の本命U-23カタールとの対戦は避けたいはずです。
そのためには、B組1位にならなければなりません。今年1月・2月にカタールで開催されたアジアカップで、地元の大声援を受けるカタールの強さというのがよく分かっています。
もちろん、U-23日本もB組1位になりたいと思っているでしょう。ただし、B組1位で抜けたにしても、U-23オーストラリアまたはU-23ヨルダンとの対戦の可能性があります。U-23オーストラリアの強さは言うまでもなく、U-23ヨルダンにしても中東での対戦は注意が必要です。
今回の予選を見ると、自分たちが戦った1996年アトランタ五輪アジア最終予選も厳しかったことを思い出します。あの時は最初、あまり注目されていませんでした。ですがJリーグの熱気が後押ししてくれて、次第に注目度が上がっていきました。
ただ、1968年以来ずっと五輪に出場していなかったので、そこまで期待されていたかどうかは正直分かりません。でも、そういう時代を変えたいという気持ちの強さだけがありました。そして1993年の「ドーハの悲劇」でアジア予選の厳しさを知っていたので、とにかく勝ち抜くことだけに気持ちをフォーカスしました。
今回も選手たちには勝ち抜くことだけに集中してほしいと思います。そしてこの厳しいアジア予選を戦い、そして本大会に出て世界大会の中で厳しさを味わってこそ、成長があります。この世代が伸びないことには、日本サッカーの継続的発展はないのです。
厳しく「50%」と言いましたが、決して負けていいということではありません。選手のみなさんはどうか力の限りがんばってきてください。期待しています。
(前園真聖 / Maezono Masakiyo)
前園真聖
まえぞの・まさきよ/1973年生まれ、鹿児島県出身。92年に鹿児島実業高校からJリーグ・横浜フリューゲルスに入団。96年のアトランタ五輪では、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」などをチームのキャプテンとして演出した。その後、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)、湘南ベルマーレの国内クラブに加え、ブラジルのサントスFCとゴイアスEC、韓国の安養LGチータースと仁川ユナイテッドの海外クラブでもプレーし、2005年5月19日に現役引退を表明。セカンドキャリアでは解説者としてメディアなどで活動しながら、「ZONOサッカースクール」を主催し、普及活動を行う。09年にはラモス瑠偉監督率いるビーチサッカー日本代表に招集されて現役復帰。同年11月に開催されたUAEドバイでのワールドカップ(W杯)において、チームのベスト8に貢献した。