首位町田をねじ伏せた広島MF満田誠が払拭PKのトラウマ “小さな巨人”が見据える未来【コラム】
170センチの満田誠が町田戦で見せた凄み
開幕前の順位予想で優勝候補の一角にあげられていた、サンフレッチェ広島のエンジンがかかってきた。開幕から無敗を続けながら引き分けが多かったが、ホームのエディオンピースウイング広島に湘南ベルマーレを迎えた4月7日のJ1リーグ第7節で今シーズン初の連勝をマーク。4勝3分で単独2位につけている。
勢いをつけた一戦が、初めて挑むJ1の戦いで4連勝をマークして首位に立つFC町田ゼルビアのホーム、町田GIONスタジアムに乗り込んだ3日の第6節だった。スコアこそ2-1の僅差ながら、試合内容を含めたすべての面で町田に快勝した広島の強さは、前半31分に先制点をあげるまでの過程に凝縮されていた。
まずは町田のDFドレシェヴィッチが、前線へロングボールを放って攻撃のスイッチを入れた。ターゲットとなったFWオ・セフンがボールをさらに前方へすらす。落下点へ町田のFW藤尾翔太が飛び込んできた場面で、まずは広島のキャプテン、DF佐々木翔が怯まずに対処。頭でボールを前方へはね返した。
こぼれ球に今度は町田のMF柴戸海と広島のMF松本泰志が詰め寄る。しかし、体を激しくぶつけ合う両ボランチはボールに触れずに体勢を崩した。次の瞬間、局面はピッチ中央のオ・セフンとMF満田誠の1対1に切り替わった。
身長194センチ体重93キロのオ・セフンに対して、170センチ63キロの満田もまったく怯まない。それどころかオ・セフンの方がボールに近かったにもかかわらず、先に触ったのは勇気を振り絞って間合いを詰めた満田だった。
ボールはオ・セフンの足ではね返り、左前方にいた広島の左ウイングバック、MF東俊希のもとへこぼれる。すかさず発動されるカウンター。満田は踏ん張って体勢を整え、すぐに東の内側を駆け上がっていった。
「相手のロングキックやロングスローが増える展開で、セカンドボールをしっかり回収して、逆に相手が前がかりになっているタイミングでカウンターを仕掛ける、というのが自分たちのゲームプランにありました」
満田の言葉を聞けば、佐々木、松本、そして自分自身がセカンドボール回収に体を投げ出していった理由がわかる。それでも、巨躯のオ・セフンと真っ向から激突する攻防に恐怖を覚えなかったのか。満田が続ける。
「勢いを持ってくる相手だったら、逆に相手の力を利用して、そこで入れ替わることもできるので。そういった意味でも、この試合ではセカンドボールへの反応が大事になってくると思っていました」
試合前に描いた青写真通りにセカンドボールの争奪戦を制し、カウンターを仕掛けた広島の攻撃をゴールへと結びつけたのも満田だった。相手のペナルティーエリアが見えてきたあたりのプレーをこう振り返る。
「走り込んでいった先で、うまく相手のギャップを突いて自分がボールを受けられた。最初はドリブルで運んでそのままシュートを打とうと思いましたけど、相手も止まっていて、ボールウォッチャーになっていたので」
満田が狙いを定めたのは、東を追走するDFチャン・ミンギュ、中央のスペースをケアしていたボランチのMF仙頭啓矢、プレスバックしてきたMF平河悠の間に生じていたスペース。狙い通りにややマイナス方向へ送った松本のパスを受けると、正面にいたドレシェヴィッチを含めて、町田の寄せが甘いと察知した。
トラップした直後に前へ進むスピードを上げた満田は、慌てて間合いを詰めてきた仙頭をかわして一気にペナルティーエリア内へ侵入。ドレシェヴィッチの眼前で、左前方にいたFW大橋祐紀へラストパスを通した。
これには大橋自身も「マコ(満田)がシュートを打つと思いました」とちょっぴり驚いた。しかし、満田がそのままシュートを打てば、さすがにドレシェヴィッチがブロックしようと飛び込んでくる。対照的にオフサイドにならないギリギリの位置にいる大橋に託した方が、ゴールが生まれる確率が増してくる。
信頼の二文字が込められた満田のパスに、大橋もあうんの呼吸で応えた。慌てた分だけ、左でトラップしたボールを自身の右足に当ててしまった。しかし、幸いにも次の瞬間に自身の前方、絶好の位置に弾む。ファーを狙う当初の狙いを瞬時にあらため、豪快にニアを打ち抜いた大橋の一撃がゴールネットを揺らした。満田が言う。
「相手ゴールに近かったので、落ち着いてパスに変えました。しっかり決めてくれてよかったです」
ルーキーイヤーでPKを失敗…志願も阻まれた過去
町田にとっては、リーグ戦6試合目で初めて先制点を許す展開。そして、実質的に勝負を決めた後半10分の追加点を手繰り寄せたのも、セカンドボール回収に対する広島の意識の高さと満田の勇気だった。
右サイドからMF加藤陸次樹があげたクロスを、中央でチャン・ミンギュが必死にはね返す。しかし、ラインをあげてきた佐々木が胸でこれをカット。そのまま攻め上がり、中央の松本へボールを預けた。
松本はすかさずワンタッチでペナルティーエリア内へパスを供給する。これに反応した満田は前方に立ちはだかった、186センチ84キロと自身のサイズを上回るドレシェヴィッチへの1対1を果敢に挑んだ。さすがに突破は食い止められたが、すかさずセカンドボールを拾った佐々木がペナルティーエリア内へ進入してきた。
広島の波状攻撃は町田のボランチ、MF下田北斗が懸命のタックルで阻止したかに見えた。しかし、直後にビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)が介入。小屋幸栄主審がオンフィールドレビュー(OFR)を実施した結果、広島にPKが、佐々木を倒した下田にはイエローカードが与えられた。次の瞬間、ボールを抱えてペナルティースポット後方に立っていたのは満田だった。
「PKは自分で蹴りにいきました」
キッカーを志願したと明かした満田は、他に蹴りたかった選手もいたのでは、という問いに笑顔で続けた。
「そこは譲ってくれました」
PKにはトラウマがある。流通経済大から加入したルーキーイヤーの2022年10月に臨んだ、ヴァンフォーレ甲府との天皇杯決勝。1-1で迎えた延長後半11分に、自らのパスが相手のハンドを誘発して獲得したPK。キッカーを志願した満田がゴール左を狙った一撃は、相手GK河田晃兵に阻まれてしまった。
そのまま突入したPK戦で敗れ、クラブ史上初の天皇杯制覇を逃した試合後。満田は悔し泣きした。
「延長であのチャンスを決め切れていれば、おそらく勝っていたと思う……」
もっともっと成長すると誓いを立ててから535日。勇気を振り絞って再びキッカーを志願した満田は、町田サポーターが奏でる「タ・ニ・コ・ウ・セ・イ」コールが響きわたるなかで、甲府戦とまったく同じゴール左隅へ強烈な一撃を突き刺した。町田の守護神、GK谷晃生は反対側の右へ飛んでいた。
試合後の取材エリア。天皇杯のPK失敗を問われた満田は、胸を張ってこう答えた。
「自分が決めたコースに蹴ろうと思っていたなかで、そこは落ち着いて、自信を持って蹴れました」
新加入の大橋が加藤とダブルシャドーを形成した今シーズン。満田は一列下げたボランチへ主戦場を移して開幕を迎えた。これまでも何度か務めたはずのボランチから見える景色はやはり違った。
「ボールを受ける位置もそうですけど、同時にボールを失っちゃいけないポジションでもあるので。その意味で去年よりもバランスは取れるようになったのかなと思っていますけど、それだけでは試合には勝てない。ゴールに関わっていけるプレー、というものをもっと増やしていかなきゃいけない」
3年目ながら主軸の自覚を漂わせていた満田は、1トップのFWピエロス・ソティリウが負傷離脱し、大橋が1トップに上がったガンバ大阪との第5節から、より数字が求められる本来のシャドーにポジションを戻した。
大橋の先制点をアシストして町田のゲームプランを狂わせ、キッカーを志願したPKで今シーズン初ゴールもマーク。町田に勝ち点1ポイント差に詰め寄った一戦は大きな転機になる。満田が言う。
「もちろん結果は大事ですけど、もっと試合の内容にもこだわっていかなきゃいけない。なので、この勝利に満足せずに、すぐに次の試合があるので修正していかなきゃいけないと思っている」
6月には広島でA代表戦…森保ジャパン入りを目指す満田
町田戦前に吉報も届いた。6月11日のシリア代表との北中米ワールドカップ(W杯)アジア2次予選最終戦の会場が、広島の新本拠地、エディオンピースウイング広島に決まったと4月1日に日本サッカー協会から発表されたからだ。
広島でのA代表戦開催は、ジーコジャパン時代の2004年7月に広島ビッグアーチでスロバキア代表との国際親善試合が行われて以来、実に約20年ぶりとなる。ただ、3万4458人の観衆が見守るなかで福西崇史、鈴木隆行、柳沢敦のゴールで3-1と快勝した一戦で、当時の広島所属選手は一人も招集されていなかった。
「今シーズンから新しいスタジアムができて盛り上がっているなかで、そこ(代表)に何人の広島の選手が入っていけるかで、もっとサンフレッチェを盛り上げていけると思うので、そこは目指して頑張っていきたい」
デビュー戦を含めて2試合に出場した、2022年7月のE-1選手権以来となる代表復帰へ満田は意欲を見せた。直近の北朝鮮代表との北中米W杯アジア2次予選で、広島からはGK大迫敬介、MF川村拓夢が招集された。広島がこのまま快進撃を続ければ、チームの評価に比例して選手個々への評価も上がっていく。
7日は首位・町田、同じく無敗をキープする3位セレッソ大阪も勝ち、勝ち点1差に3チームひしめく状況が続いている。広島の中盤を支える“小さな巨人”、満田はモチベーションを高めながら前へと進んでいく。
(藤江直人 / Fujie Naoto)
藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。