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森保監督が「一番分かっている」 元JFA技術委員長がW杯後の“初続投”を決断した訳【独占インタビュー】
カタールW杯でドイツやスペインに勝利した評価を専門家としてどう捉えるべきか
日本サッカー協会(JFA)の反町康治技術委員長は3月26日に退任。2020年3月29日、同役職に就任し、新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、日本代表からグラスルーツまで日本サッカーがどこに向かえばいいのか、時には表に出て指揮を執り、ほかの多くの場面では裏方として手腕を発揮し続けた。24年になり、やっとシーズン当初から新型コロナウイルスの制限のなくなったことを見届けたかのように要職を去る。これまで誰も経験したことのない環境の中で多くのイベントをこなさなければならなかった人物に、この4年間を振り返ってもらった。(取材・文=森 雅史/全2回の1回目)
◇ ◇ ◇
——大変な4年間を過ごしたと思います。この4年間で最も印象に残っていることを3つ教えてください。
「まず、2022年のカタール・ワールドカップ(W杯)ですね。4年に一度の大会で注目度も高いですから、できる限りのサポートをしてきたし、その前のマッチメイクにしてもバックアップの体制にしても整えました。ただ、見ていたみなさんはどう思ったか、というのは時々考えていました。というのも、チームのスローガンとして『新しい景色を』見る、ということでやってきましたが、目標としたベスト8には届かずベスト16で終わってしまって、自分たちとしてはとても残念でした。
ところが、(グループリーグで)ドイツやスペインに勝ったという部分をみなさんに評価していただいた。それでも技術委員会をはじめとしてサッカーの専門家としてこれをどう捉えるべきか、感情的ではなく考えなければなりません。日本は今、FIFAランキングでW杯の出場国に入るような順位にいますが、その中でレベルの高い試合に勝てるかどうかというのが必要になってきたと感じました」
——FIFAランクで言えば、日本は今16位以内には入っていません(4月4日発表の最新ランクで18位)。もしもベスト8を狙うようなチームだったら、FIFAランクも8位以内に入っていなければ、実力通りとは言えないのではないですか?
「そういう考え方があるのも分かります。ですが、これだけ多くの日本人選手が海外で活躍して経験値を上げているという現状を考えると、やり方によっては上が狙えるのではないかという思いもあります。それはどういう部分かについては、たとえばPK戦で敗れたのですが、日本がPK戦についてすごくこだわりを持って準備をしていたかというと、そこまでは言えなかったと思います。
PK戦になってしまったクロアチアに関しては、相手を丸裸にしていたかというと、そこまではいけませんでした。そういう部分はちょっとした差なのですが、でもそこで出た敗退という結論は4年間引きずらなければならないのです。そういうわずかな部分を埋められなかったというのが大きな反省点として残りました」
在任期間、すべてのカテゴリーで予選を勝ち進んで世界大会へ
——その差を埋めるための森保一監督の留任だったのでしょうか。
「カタールW杯の時の準備で良かったのかということは、森保監督が一番分かっているわけです。監督が代わればそういう部分が残らないで、またゼロからのスタートになってしまいます。もちろん、何が足りなかったか分かっていない監督が来ることのメリットもあったでしょう。ですが、分かっていることをプラスに捉えて、そこから上積みをすることを選んだということです」
——それでは2つ目はどんなことが印象に残っていますか?
「(東京)五輪は自国開催だったので予選はなかったのですが、すべてのカテゴリーで予選を勝ち進んで世界大会に出られました。また2023年のU-20W杯以外はすべてグループリーグも突破できました。これは、この4年間の中でのトピックの1つだと思います。技術委員会はとにかくいろいろな仕事があって多忙でした。会議、面会、面談とか、技術委員長はたぶん一般の方からするとSAMURAI BLUE(日本代表)の強化を担当していて、それが仕事の90%ぐらいに見えていると思うんです。ですが、本当はそれ以外が多いのですよ」
——例えばどんな仕事を抱えているのでしょう。
「指導者養成、ユース育成、普及、ビーチサッカー、フットサルなども範囲です。女子は女子委員会があるのでお任せしたのですが、多岐にわたって問題を解決しなければならない。アンダーカテゴリーのプランニング、監督やコーチの選任、全国9地域に派遣しているJFAコーチを誰にするか、指導者養成のヘッドを誰にするか、いろんなクラスのチューター(インストラクター)を誰にするか、受講料をいくらにするか、などの業務があります。しかも人事だけではなくて、そこにちゃんとしたサッカー的な方向性を出して決めないといけない。そして各カテゴリーの大会に備えます。そういう業務で多忙でした」
(後編に続く)
[プロフィール]
反町康治(そりまち・やすはる)/1964年3月8日生まれ、埼玉県出身。全日空に入社し、横浜フリューゲルス誕生後も社員選手としてプレーし続け、1994年にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)へ移籍した際にプロ契約を締結した。1997年に現役を引退すると、サッカー解説者を経て指導者の道へ。2001年~05年はアルビレックス新潟監督、06年~08年は北京五輪世代のU-23日本代表監督、09年~2011年は湘南監督、12年~19年は松本山雅FC監督を歴任した。20年3月に日本サッカー協会(JFA)の技術委員長に就任。今年3月26日に退任するまで、日本サッカー界を陰で力強く支えた。
(森雅史 / Masafumi Mori)
森 雅史
もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。