J2徳島、“前代未聞級”短期間で数々の激震…ピッチ内外で起こった混乱とは? 柿谷が記した582字の“意図”【コラム】

SNSでメッセージを発信した柿谷曜一朗【写真:Getty Images】
SNSでメッセージを発信した柿谷曜一朗【写真:Getty Images】

柿谷曜一朗が公式SNSを通してコメントの意図を説明

 今年に入って一度しか更新していない自身の公式インスタグラムへ、J2の徳島ヴォルティスでプレーする元日本代表FW柿谷曜一朗が4月6日、実に582文字に及ぶ長文メッセージを投稿した。

 キックオフ直前に徳島の選手たちが円陣を組む写真とともに投稿されたメッセージは、8試合を終えて1勝2分5敗と黒星が先行し、20チーム中の最下位にあえぐ現状への謝罪から始まった。

「今シーズンここまで徳島ヴォルティスを応援する皆様の期待に応えることができず本当に申し訳ありません。そして群馬戦の後のコメントについてたくさん意見をいただいてます。間違った捉え方をさせてしまったこと、本当に申し訳ありません」(原文ママ、以下同じ)

 メッセージ内で言及した「群馬戦の後のコメント」とは、ホームのポカリスエットスタジアムでザスパクサツ群馬に0-1で敗れ、最下位に転落した3月30日の第7節後に柿谷自身が残したものだ。

「間違いなく達磨さん(吉田達磨監督)が試合に向けて準備してきたことが、いまはめちゃくちゃ出てきていると思うんですよ。言葉が悪いかもしれませんけど、最初とは違う。面白いくらいに選手はまとまっていて、見てもらいたい。(中略)だから勝てるとは言えないけど、全員が何も疑いなく試合に臨めている。(中略)それは達磨さんが作り上げてきたものやから流石やなと思うし、その船に『俺も乗らせて』と言っているようなチーム状態だと感じている。ホンマに勝ちたい。みんな勝ちたい。それが出過ぎているのかもしれない」

 これが一部のファン・サポーターによる反発を招いた。怪我などの情報がないにもかかわらず、先発フル出場した鹿児島ユナイテッドとの第2節を最後に、ピッチに立つどころかベンチ入りメンバーからも外れていたMF西谷和希が置かれた不可解な状況を、柿谷が肯定したと受け止められたからだ。

 柿谷は西谷の名前をあげながら、メッセージのなかで自身のコメントを次のように補足している。

「まず、かずきの状況については、選手はみんななんとか戻れるように話し合いをしたり方法を考えたりしましたが、それ以上のことはかずきとクラブとの話し合いになっていました。大事な選手だということは皆様と同じで選手みんなわかっています。なので早く戻ってくるのを待っている状態でした。そんな中僕たちは次の試合がすぐに控えていたので、こんな状況だけど応援してくれているサポーターのためにも今いる選手でまとまって勝ちに行こうという意味でコメントさせてもらいました。誤解をさせてしまってすみませんでした」

 しかし、群馬戦から一夜明けた3月31日に徳島はさらなる激震に見舞われた。

 昨年8月から徳島を率いてきた吉田達磨監督の解任と、前身の大塚製薬サッカー部から名称が改められた2005年から強化を担当してきた岡田明彦強化本部長の辞任が、ともにクラブ公式サイト上で発表された。

 徳島はJ2リーグの最下位に沈むだけでなく、今シーズンから全カテゴリーのJクラブが出場する形に改められたYBCルヴァンカップで、J3のAC長野パルセイロに1-5と惨敗して1回戦で姿を消していた。吉田監督は公式サイト上で、徳島の復調を願いながらこんなコメントを残している。

「選手たちは皆様に勝利を届けようと必死に戦ってくれました。しかしながら、チームの結果に繋げることができなかったのは、単に私の力不足によるものです」

 徳島は翌4月1日に、今シーズンからヘッドコーチを務めていた増田功作氏の暫定監督就任を発表した。公式サイト上で「様々な思いのあるなかで、ベストを尽くします」と短いコメントを発表した増田暫定監督を補足するように、徳島は岸田一宏代表取締役社長のコメントも発表している。

「チーム状況を良い方向に向かわせるためには監督を代えることが現時点では最善であると判断いたしました。次節は明後日に迫っている点などを含めて、今シーズンのチーム状況を把握している増田功作ヘッドコーチに暫定的ではありますが指揮をお願いすることといたしました」

 さらに黒部光昭クラブアドバイザーの強化本部長に就任も発表された直後に、サッカー界を驚かせる発表が続いた。今シーズンにサガン鳥栖から加入し、先発フル出場した3試合を含めて、リーグ戦で開幕から全7試合に出場していたMF島川俊郎の現役引退が、公式サイト上で電撃的に発表されたからだ。

島川や西谷と退団が相次いだ徳島…クラブは誹謗中傷に警告「悪意ある書き込み」

「チームの状況が大変な中で自分勝手な決断でチームに迷惑を掛けて申し訳なく思っています。徳島ヴォルティスがもっと強く大きなクラブになることを心から願っています」

 徳島を通じて短いコメントを発表した島川は、翌2日に自身の公式YouTubeチャンネルを更新。シーズン開幕直後に引退した理由を「どうしても許せないことがあったからです」と自らの言葉で語っている。

「3日前の朝、僕は練習前に1人でグランドを走るのを日課にしているんですけど、びっくりするぐらいパワーが湧いてこなくて。走ることがもう苦しくて、きつくてこれはもうチームの力になれないと、サッカーを続けることは難しいなと思い社長に『引退させてください』と言いました」

 来月で34歳になる島川は、元日本代表DF酒井宏樹(現浦和レッズ)ら9人のプロを輩出し、黄金世代と呼ばれた柏レイソルユースで吉田監督の薫陶を受けた。プロで所属した9つのクラブのなかには、吉田監督の誘いを受けて2017シーズンに加入し、J1デビューを果たしたヴァンフォーレ甲府も含まれている。

 昨シーズン限りで鳥栖を退団した島川は、再び吉田監督が率いる徳島に加入した。絆の強さを感じさせるキャリアを歩んできただけに、恩師と慕う吉田監督の解任に至る経緯に個人的に思うところがあったのか。さまざまな憶測が飛び交うなかで、徳島は翌3日に清水エスパルスとの第8節に臨んだ。

 敵地IAIスタジアム日本平で開始5分に先制されながら踏ん張り、後半アディショナルタイムの47分にFW棚橋尭士がPKを決めて1-1で引き分けた直後。キャプテンのMF永木亮太が心中を吐露している。

「本当にいろいろあって、モチベーションの面でも難しいなかでの試合でしたが、自分たちはプロなので、試合に向けてしっかりと準備しなければいけない。ピッチに立ったら周りのことなんて何も関係ないし、誰も助けてくれない。本当に自分たちで、ひとつずつ上に行くという気持ちでやっていました」

 しかし、一夜明けた4日に徳島はまたもや激震に見舞われた。西谷の契約解除に伴う退団が、公式サイト上で発表された。指導体制が変わってもベンチ外が続いていた西谷は公式サイトを介して、栃木SCから2020シーズンに加入し、J1を合わせて144試合に出場し、16ゴールを挙げた徳島のファン・サポーターへ向けてこんなコメントを発表している。

「今回、何とかチームを良くしたいという気持ちではあったのですが、その気持ちとは逆にチーム状況を悪くしてしまうような形になり、結果としてクラブに迷惑を掛けてしまい、本当に申し訳なく思っています」

 中盤の主軸を担ってきた西谷の、シーズン途中での契約解除という形での退団は大きな波紋を呼んだ。

 徳島は6日に「誹謗中傷的な行為等への対応について」と題した声明を公式サイト上で発表。選手やスタッフだけでなく、家族や近親者を含めた関係者に対する誹謗中傷や悪意ある書き込みがSNS上で確認されていると明かした。その上で同様の行為が繰り返された場合には、法的措置も検討すると警告を発している。

 そして、冒頭で記した柿谷のインスタグラムへの投稿に続く。自身や周囲を巡る群馬戦後の状況を「憶測によるコメントが非常に目立ちました」と振り返った柿谷は、さらにこんな言葉を紡いでいる。

「誤解させてしまった僕にも責任はあると思っています。ですが、家族や仲間は関係ありません。この投稿を機にやめていただけることを願っています。批判はいくらでも受けます、それをチカラに自分自身成長し徳島ヴォルティスのチカラに少しでもなれるようにこれからもっと頑張っていきたいと思います。明日ホームで大事な試合があります。勝ちたいです。皆様と共にこの逆境を乗り越えたいです。一緒に戦ってください。よろしくお願いします」

 指揮官更迭や主力選手の引退や退団など、わずかな期間で激震の数々に見舞われたクラブは、32年目を迎えたJリーグの歴史でも前例がないと言っていい。ピッチの内外で混乱をきたしている状況が伝わってくるなかで、柿谷がメッセージの最後に言及したように、息つく間もなく次の試合が訪れる。

 3日の前節で栃木から大量8ゴールを奪い、守っては零封したジェフ千葉と対峙する7日の第9節のキックオフは14時。今シーズン4戦全敗、得点3に対して失点10と散々な結果を残しているホームのポカリスエットスタジアムで何がなんでも、どんな形でも勝つことから再建への第一歩が記される。

(藤江直人 / Fujie Naoto)

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藤江直人

ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

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