引退→指導者は「すごく狭い世界」 元主審・家本氏が選手へ警鐘、異業種で生きた経験値【インタビュー】

元国際審判員・プロフェッショナルレフェリーの家本政明氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部】
元国際審判員・プロフェッショナルレフェリーの家本政明氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部】

【家本政明氏の転身録|前編】元主審が考えるセカンドキャリア「仕事の意義」とは

 Jリーグで2021年シーズンを最後に勇退した元国際審判員・プロフェッショナルレフェリーの家本政明氏は、現在新たな道を邁進している。サッカー界から一転、「株式会社フィル・カンパニー」で役職を兼任し、大きくキャリアチェンジをした決断の背景を追う。前編では、現役時代にしておいて良かった経験、転職に至った経緯などを紐解いていく。(取材・構成=FOOTBALL ZONE編集部・金子拳也)

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 家本氏は、京都パープルサンガ(現在の京都サンガF.C.)に入社し1996年に1級審判員に登録。2002年よりJリーグ審判員を務める。05年~16年は国際主審、05年からプロフェッショナルレフェリー(PR)という経歴を持つ。21年シーズン限りで国内トップリーグの担当から勇退し、その後は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の業務を請け負いながらスポーツチャンネル「DAZN」の判定検証番組に出演するなど、サッカー界へさまざまな形で関わってきた。

 そして23年12月18日、新たな挑戦としてフィル・カンパニーの経営改革推進の特命部長に就任。フィル・カンパニーは「まちのスキマを『創造』で満たす」をパーパスに掲げ、空中店舗「フィル・パーク」とガレージ付賃貸住宅「プレミアムガレージハウス」の空間ソリューション事業を展開する上場企業で、家本氏は資本業務提携している「株式会社ONGAESHI Holdings」からの参画となる。

 ONGAESHI Holdingsは、前Jリーグチェアマンの村井満氏が代表取締役を務める会社。縁あって新キャリアに飛び込んだ家本氏は、24年3月18日付で同社の広報部の部長にも就任。2つの役職を兼任することになった。

 家本氏は勇退後、「とにかく、いろいろなことに挑戦してみたい」という思いを抱えていた。「本当にいろいろなことをやりましたよ。Jリーグの仕事であったり、その流れでDAZNに出演(番組:Jリーグジャッジリプレイ※昨季限りで終了)したり。ほかにもさまざまなジャンルのイベント出演や出版(「逆境を味方につける」)、企業への講演や研修会の講師なども行っていましたね」とこれまでの活動を振り返る。

 引退後の生活も「それなりに充実していたし、収入も家族が明るく元気に暮らせる程度はあった」と明かした。一方で「虚無感というか、何か物足りない、もっと何かできることはないのか」という思いもあったようだ。

 そうしたなか、22年にJリーグチェアマンが村井氏から野々村芳和氏へと代替わる。抜本的な体制変化の影響もあり、Jリーグ関連の仕事自体がなくなってしまった。これを1つのきっかけに、「自分と自分が関わる相手がワクワク、イキイキするために、もう一度、自分の将来を考え直す、違う選択肢を考える」と自分の未来を再考し始めたという。

 プロの審判員として活動していた時期と比較して、引退後の給料は「ちょっと下がるくらい」。ただ、小さな仕事の積み重ねで稼いでいたこともあり、「未来永劫保障されるのかっていうと、当然そんなことない」という危機感もあった。

 そういうなか、新たなキャリアへの挑戦を選んだ理由について「稼ぎや気楽さよりも、仕事の意味とか意義に加えて、笑顔にできる量と質を大事にしたかった」と、家本氏は断言する。

「物足りなさを感じていたし、今の状況を続けても、たくさんの人を喜ばせるとか、たくさんの人を幸せにすることができないなって感じたところが、やはり(理由として)大きいですね」

指導者は「世の中にあふれている」…家本氏が語る引退後の人生設計

 プロのサッカー選手は、キャリアの短い職業の1つだ。家本氏が務めた審判員も、自身が48歳になる年に勇退。審判委員会や指導者の将来もあったが、選択肢をそこに絞るのは「慣れ親しんだ世界やひとつの世界に没頭するのもいいけど、自分の可能性を信じて未知なる世界に挑戦することも素晴らしい。どちらが正解ということではないけど、可能性を絞る・失くすのは、僕は恐れを感じる」と話す。それは選手も同様だ。

「選手たちも辞めたあとまず、指導者の道を考えると思います。でも、その指導者ってもう世の中にあふれていますよね。Jリーグでもそうだし、ほかのカテゴリーもそう。だから、自分が今いる世界以外で何かできるのか、戦えるのかって考えた時に、やはりそれまでの人脈作りや、異なる世界で戦えるだけの知識やスキルの準備が必要になってくるのだと思います」

 家本氏によれば、レフェリーの世界でも、プロを経験したのち審判界から離れる人はほとんどいないという。

「僕の知る中で唯一、相樂(亨)さん(元PAR/元国際副審)が現役を続けながら税理士の資格を取って、引退後はそういう仕事をしています。僕とは違って、(サッカー)協会にも関わっています。それ以外の人はサッカー協会と契約して、指導者の道を歩む人が多いです。選手とほぼ一緒のような感じですね」

 家本氏も現役時代に「今後のことを考えて、ビジネススクールに通っていた」と、審判以外の活動も進めていたことを明かし、「違う世界の人と触れ合い、知識やスキルを身に付けることで、レフェリーとしての能力がより高まりましたし、極まったというのを僕は経験しています」と、審判界とは異なる世界を知る、学ぶことの効果を実感していたようだ。

 また家本氏は、さまざまな活動を行うサッカー関係者の1人として、日本代表として3度のワールドカップ(W杯)を経験する本田圭佑の名前も挙げている。

「本田さんの活動ってすごく魅力的で素晴らしいですよね。選手を続けながら監督業、チームマネジメント、投資、さまざまなビジネス、それに関わる人脈を増やしていく活動をしている部分は本当に尊敬しています」

審判時代の経験が生かされている

 現在、家本氏が携わっている仕事は、特命部長に加えて広報部長に就任したことでかなり幅広い業務となる。大丈夫なのか気になるところだが、レフェリー時代の経験を上手く活用しているようで「選手とコミュニケーションを取る時に、顔色や態度、ちょっとした仕草や言葉の変化であったり、周りとの関係性などをものすごく細かく見ていました。ある時、村井さんに『あなたのやっていることは、まさに “人事”だね』と言われたことがありました」と、元Jリーグチェアマンのふとした言葉を回顧した。

 人事で一番重要な「人に寄り添う」「人を理解する」「人と向き合い、つながる」という点で、村井氏も家本氏を高く評価。現在の職でも、その経験値が助けとなっているようだ。家本氏の持つ「発信力や影響力」は広報の役割にピタリとハマるし、「推進力や統率力」はまさに特命の役割には欠かせないものだ。同職の経歴はないかもしれないが、見合った素質を村井氏が見事に見抜いていた。

「3年後、5年後に自分が何をしているかなんて全然分からない」と話す家本氏だが、今回のインタビューで「選手だけでなく、将来へ不安を持つたくさんの人が少しでも減るきっかけになれば……」と思いを吐露する。視野を広げ、プレーしながらも引退後の将来を考えるうえで参考になる1つのアドバイスを送っていた。

(FOOTBALL ZONE編集部・金子拳也 / Kenya Kaneko)

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家本政明

いえもと・まさあき/1973年生まれ、広島県出身。同志社大学卒業後の96年にJリーグの京都パープルサンガ(現京都)に入社し、運営業務にも携わり、1級審判員を取得。2002年からJ2、04年からJ1で主審を務め、05年から日本サッカー協会のスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー)となった。10年に日本人初の英国ウェンブリー・スタジアムで試合を担当。J1通算338試合、J2通算176試合、J3通算2試合、リーグカップ通算62試合を担当。主審として国際試合100試合以上、Jリーグは歴代最多の516試合を担当。21年12月4日に行われたJ1第38節の横浜FM対川崎戦で勇退し、現在サッカーの魅力向上のため幅広く活動を行っている。

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