日本の北朝鮮アウェー中継どう実現した? 問題続出ドタバタ劇…13年前のTV関係者を直撃【コラム】
元TBSの名物プロデューサーが明かす13年前の北朝鮮戦放送の苦労
3月26日の北中米ワールドカップ(W杯)アジア2次予選、アウェーの朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)戦の開催地が平壌に決まった。発表された3月11日から15日後には試合があるというのは、さまざまな混乱を生んでいる。
特に、テレビ放映は大きな問題を抱えている。これだけの短期間で間に合うのか、技術的に可能なのだろうかという点が気にかかる。前回、平壌で開催された2011年11月15日の試合はどうだったのか。
その当時、「TBS」の名物プロデューサーでサッカーに関する番組をすべて任されていた名鏡康夫氏はこう明かす。
「事前視察は普通なら3か月前から遅くても1か月前なのですが、あの時は放送の約10日前、11月3日から4日でした」
しかも、訪朝できたのは名鏡氏と技術部のスタッフの2人、それから広告代理店の担当者とコーディネーターの4人だけだった。
現地で借りる予定になっていた「朝鮮中央テレビ」の中継車は機材が充実していたこともあり、中継できると判断。それでも何かあったら困ると1週間でさまざまな機材を取り揃え、出発の準備をしたという。
ところが、テレビ局に許可された現地入りの人数はわずか8人。通常の放送時は、ディレクターだけでもピッチ上、放送席、中継車、さらにもう1人と4人が最低ラインとなる。しかし、8人ということで「解説者の金田喜稔さん、土井敏之アナウンサー、それから技術は4人しか連れていけないんです。みんな1人2役、3役をこなすしかありませんでした」とギリギリだった。
そのため、カメラは2台しか置けない。名鏡氏もディレクターとして放送席の横で東京の本社とやり取りをすることになった。11月12日に再び平壌入りして機材をセットしたのだが、普段は前日に終えているはずのセッティングが終わらない。試合当日の朝もバタバタと準備をしていた。
なんとかセットアップを終えたものの、なおトラブルは続いたと名鏡氏は言う。
「本放送5分前に東京から『音声来てないよ!』という連絡がきて音声トラブルが分かったんです。技術部のボスはピッチ上のカメラを担当していたのですが、彼が中継車で対応しないと分からない。だからその人物を中継車に戻し、僕がピッチ上のカメラを操作することになりました。カメラ操作なんてできないんですが、『余計なところを触るな! それでいいから立っていてくれ!』と言われていました」
「北朝鮮」の表現には制約
運良く放送数秒前に音声は復帰。現地からの放送は無事に終わったそうだ。名鏡氏たちがホテルに帰ってくると、レストランで「緊急特別番組」として試合が流されていた。「その時にホテルのスタッフは初めて見て『良かった、良かった』と喜んでいました」と名鏡氏は思い出す。
放送にも制約があった。なでしこジャパン(日本女子代表)のパリ五輪アジア最終予選でも話題になったが、下見の時に「北朝鮮」と言ったことについて「そんな国はありません。ここでは朝鮮か共和国と言ってください」と非難されたのだ。だが、放送では言わざるを得ない。そこでなんとか言う回数を減らして対応したという。
名鏡氏は、「打ち上げには北朝鮮の偉い人たちが来て、流暢な日本語で『今日はいい放送でしたね』と言ってくれました」という。どんな内容の放送が行われているのか、現地の人たちにすべて理解されていたということだろう。
3月26日の試合については、これから下見に入れるとしたら前回の10日前と同じ状態だ。2011年の中継でノウハウのあるTBSなら十分対応できるかもしれない。
ただし、今回は経済制裁が行われている国に対して、放映権料を支払うのはいかがなものか、という問題が浮上している。
2023年11月のW杯アジア2次予選アウェー・シリア戦は、シリア側が放映権料を吊り上げたため中継なしになった。だが、今回は放映権料ではなく政治的な問題だ。そうなるとテレビ局も手を出せなくなってしまう。
2011年のアウェー戦は平均視聴率15.5%、最高視聴率は21.6%と世間の注目を集めた。果たして今回はどうなるのか——。
(森雅史 / Masafumi Mori)
森 雅史
もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。