チェルシー再建の鍵は現体制維持? 指揮官評価に変化…行方を左右する“167億FW”の覚醒【現地発コラム】
指揮官に贈られない称賛のチャント
チェルシー・サポーターは頑なに歌わない。今季から指揮を執るマウリシオ・ポチェッティーノを讃えるチャントのことだ。
プレミアリーグ開幕節リバプール戦(1-1)は内容では互角以上だったが、まだ就任から日が浅すぎたのかもしれない。第9節アーセナル戦(2-2)と第12節マンチェスター・シティ戦(4-4)も、見応えのある強豪対決を演じたが勝ててはいない。そう考えれば、同じくホームで行われた3月11日の第28節ニューカッスル戦(3-2)は、“元トッテナム指揮官”に賞賛の合唱を贈るまでもない中位対決ということになるのだろう。
それにしてもポチェッティーノは、まだファンに「承認」すらされていない。監督キャリアのハイライトとなっている、ロンドン市内ライバルでの過去が大きな“ハンデ”となっている。
地元サポーターが、今季プレミア最年少チームの未熟さへの苛立ちを“ポッチ”にぶつけ始めたのは第23節ウォルバーハンプトン戦(2-4)だった。スタンフォード・ブリッジの記者席付近には、「脳無し!」「役立たず!」などと、ポチェッティーノを罵倒するファンがいた。
非難の合唱が起こったのは、第27節ブレントフォード戦(2-2)でのこと。筆者はほかの試合会場にいたが、チェルシー番の記者に聞いた話では、まずはアメリカ人現オーナー政権に対する当て擦りとして、ロシア人前オーナーと前政権下で2期にわたってタイトルをもたらしたジョゼ・モウリーニョの名が歌われ、続いて現政権の顔であるトッド・ベーリー共同オーナーとポチェッティーノの名が「ファック・オフ(失せろ)!」付きで叫ばれたという。
しかし、昨季からの中位低迷で八つ当たりしたくなる気持ちを抑え、かつトッテナム色に目を瞑って冷静に眺めれば、ポチェッティーノは続投が妥当だと理解できるファンも多いのではないか? 何より選手たちの心が離れていない事実は、後半に勝ち越した今回のニューカッスル戦が最新の証拠物のようなものだ。
潜在能力の高い若手が大きく成長する可能性
メディアやファンによる外圧が増していたなかでの一戦は、メンタル面もでき上がっていない若い集団の難しさを示す最新例でもあった。チェルシーは、前半早々6分でリードを奪っている。右ウイングのコール・パルマーが放ったシュートの軌道を、センターフォワードのニコラス・ジャクソンがヒールで巧妙に変えた。ホームチームが、追加点を狙って攻勢を強めて当然の展開だ。
だが、実際の展開は逆だった。リードの維持を意識し過ぎて次第にラインが下がり、ポゼッションを譲り始めた。結果として、ディフェンシブサードでクリアにもビルドアップにも手間取った43分の失点がある。
「12人目」と「ポチェッティーノのチーム」との間に、まだ心の絆が存在しないスタンフォード・ブリッジでは、すぐさまスタンドからの大声援がイレブンの背中を押すわけでもない。前半最後のアクションが、右SB(サイドバック)マロ・グストのボックス内侵入に始まり、左ウイングで先発したラヒーム・スターリングのシュートに終わった攻撃でなければ、ブーイングの中でハーフタイムを迎えていても不思議ではなかった。
今季、同様の展開でポイントを落とした試合は1つや2つではない。そうした試合後、ポチェッティーノは会見の席で若いチームをかばいはしても、批判を口にしてはいない。不十分なパフォーマンスを認める場合には、「自分をはじめとするコーチ陣を含めて」との注釈が付く。若手が経験を通して学ぶ時間の必要性を訴えながら、前正監督のグレアム・ポッターと暫定監督のフランク・ランパードが試行錯誤に終始した昨季とは違い、自らのベスト11を把握したうえで若手にチャンスを与えている。
故障者が多い事情もあるが、ニューカッスル戦のメンバーにはベンチを含めて4人のアカデミー卒業生がいた。負傷欠場中の主力にも、新キャプテンのリース・ジェームズと、リーバイ・コルウィルという自家製DFがいる。ポチェッティーノの下、潜在能力の高さは他チームも認める若手が成長をともにすることができれば、ファンは、国内外で主要タイトルを総なめにした前オーナー時代にも経験したことのない、レギュラーに複数名の生え抜きがいるチェルシーが優勝を争う喜びを1、2年後に味わえる可能性がある。
ポチェッティーノ体制のカギを握るムドリクの存在
そのためにも、チェルシー指揮官としての「ポチェッティーノ承認」が欠かせない。ただし、鍵を握る存在は移籍組の若手になるようにも思える。昨年1月にシャフタール・ドネツクから獲得された、ミハイロ・ムドリクだ。
加入後のインパクトでは、昨夏にシティから移籍したパルマーがずば抜けている。チェルシーでのリーグ戦1ゴール1アシストは、ニューカッスル戦が既に5試合目。指揮官が「以前とは違うチェルシー」と表現する未来への希望を体現する21歳だ。
後半12分のゴールは、敵に囲まれ、シュートを狙える態勢にあるとも思えなかった状況で、相手DFの股間を抜いてゴール右下隅に決めている。それに先立つ5分間、いきなりミゲル・アルミロンのシュートで自軍ゴールを脅かされたハーフタイム明けに、ボックス内右サイドからのクロスと、中盤からのダイレクトパスでチャンスを作り、流れを変えたのもパルマーだった。
だが、スタジアムのボルテージが最高潮に達したのは後半31分。ムドリクがリードを2点差に広げた瞬間だ。ベンチを出て5分、左サイドでのカウンター展開中に中央で快速を飛ばし、相手ペナルティエリア手前でパスを受けたコナー・ギャラガーからボールをひったくるような勢いでドリブルに入ると、敵のDFとGKをかわしてゴールを決めている。鮮やかなプレーが期待されるパルマーではなく、期待されなくなりかけていたムドリクによる個人技炸裂であったことが、より以上の反響を観衆から引き出した。
当人にとっては、プレミアでの通算4ゴール目。167億円強の移籍金を要した23歳は、ファンがしびれを切らせ始めた若手の代表格だ。見た目にも明らかなスピードは、袋小路にはまるドリブルや、シュートかパスかの判断ミスによって「速いだけ」と言われるようになっていた。そこに、アーセナルが意中の移籍先だったと報じられたことによる先入観が加わっている。
そのムドリクのハンドリングに、ポチェッティーノは細心の注意を払ってきた。祖国ウクライナは戦火3年目、自身は移籍2年目のウインガーが自信を落とし続けることがないよう、会見の場では言葉で援護射撃を行い、ピッチ上では慎重に時間を与えてきた。
この一戦では、交代策も功を奏した。スターリングとの交代だったが、左ウインガーではなくセカンドトップ的に投入されている。試合終盤の疲れもあったニューカッスル守備陣にとって、中盤にも左右のアウトサイドにも顔を出す圧倒的スピードの持ち主は厄介な存在だ。そして、今季プレミアのベストゴール候補作が生まれた。
現時点で、来季もチームに残したい若手は誰かとファンに尋ねれば、ムドリクは最も名前が挙がらない選手の1人に違いないない。移籍金の高さと8年半もの超長期契約が仇となり、「残ってしまう」と考えるファンの方が多いことだろう。
そのムドリクに、昨季後半戦で激減した自信を取り戻させながら、自軍とは対照的に補強成功で優勝戦線に復帰しているアーセナルも欲しがった能力を引き出すことができたら? 新監督の手柄として認めないファンはいないはずだ。
試合は、後半45分に相手ウインガーのジェイコブ・マーフィーの弾丸シュートを浴びたチェルシーに、ムドリクのゴールが勝利をもたらす格好となった。記者席の右手からは、「Well done, Poch(いいぞ、ポッチ)!」という男性ファンの声。別の男性が、「Yeah, get in(そうだ、この調子)!」と続いた。今季のスタンフォード・ブリッジで観た17試合目。初めて耳にした、“チェルシー指揮官”を励ますファンの叫び声だった。
(山中 忍 / Shinobu Yamanaka)
山中 忍
やまなか・しのぶ/1966年生まれ。青山学院大学卒。94年に渡欧し、駐在員からフリーライターとなる。第二の故郷である西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会およびフットボールライター協会会員。著書に『川口能活 証』(文藝春秋)、『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリーライオンズ』、『バルサ・コンプレックス』(ソル・メディア)などがある。