リバプール対マンCの名場面…紙一重だった「世界最高峰の1on1」 50年前と重なる頂上対決【コラム】
ハイライトはハーランド対ファン・ダイクの1対1、50年前にも同じような光景
プレミアリーグ第28節、リバプール対マンチェスター・シティは世界最高峰の激突だった。1-1のドローに終わっているが、見どころしかない試合だった。
そのなかでもハイライトだったかもしれないのが前半39分、アーリング・ブラウト・ハーランド対フィルジル・ファン・ダイクの1対1だ。
デ・ブライネのパスを受けたハーランドがハーフウェーラインを越える。相手はファン・ダイクただ1人。フィールド半面での1対1になった。世界最高クラスのアタッカーとディフェンダーの対決――50年前、同じような光景があった。
1974年ワールドカップ決勝、西ドイツ対オランダ。それはやはり前半だった。オランダが西ドイツの攻撃を防ぎ、ファン・ハネヘムが前方へつなぐ。そこにいたのはヨハン・クライフ。ハーフウェーラインを越えると、立ちはだかるのはフランツ・ベッケンバウアーただ1人だった。
ファン・ダイクとベッケンバウアーの対応はよく似ている。フィールド半面で相手のエースと1対1の状況で、自ら飛び込んでいくDFはいない。間合いを開けて後退する。2人とも半身で後退しているが、途中で身体の向きを変えている。さらに、その際に相手に背中を見せているのも共通点だ。
1対1でDFが相手に背中を見せてターンするのは良くないと言う指導者は多い。背中を見せた瞬間は相手を見ていないからだ。そのタイミングで方向を変えられたら確実に反応が遅れてしまう。ただ、これは状況による。
50年前と現在でスピード感は違うが、クライフとハーランドの加速はいずれもその時代のトップクラスである。予想される急加速に対応できることが先決で、そのためにベッケンバウアーもファン・ダイクも間合いを開けているわけだが、ボールを見ながら体勢を入れ替えるよりも、背中を見せても自陣ゴールへの後退速度が落ちないターンを選んだのだろう。
ファン・ダイクは首だけハーランドへ向けながら、ゴールへ向かってスプリントしている状態だった。その間、ハーランドは右方向(ファン・ダイクの左方向)へコースを取り、その後また変えているので、ファン・ダイクは2回身体の向きを変えている。ハーランドはまだフルスプリントではないが、それでも十分速い。あのターンの仕方でなければ、ファン・ダイクは対応できなかったのではないか。
人々の印象に残った「今昔頂上対決」の結果は? どちらも紙一重の攻防だった
今昔頂上対決の結果はほぼ同じだ。
最後に得意の左方向へ加速したハーランドはシュートを打っている。しかし、ファン・ダイクを振り切るまではいかず、身体を寄せられた状態で放ったシュートはGKの正面を突いた。
50年前のほうは実は少し状況が異なる。クライフとベッケンバウアーの1対1ではなく、クライフの左側にはフリーのヨニー・レップがいたからだ。完全な1対1だったハーランド対ファン・ダイクと違って、ベッケンバウアーは1対2の劣勢だった。しかし、結果は似ていて、クライフのパスを受けたレップのシュートは素早く距離を詰めたGKゼップ・マイヤーに阻まれた。
ファン・ダイクとベッケンバウアーはゴールに近づく段階でGKを引き入れている。ファン・ダイクはハーランドに十分な体勢でのシュートを許さず、GKがセービングできる範囲のシュートになった。ベッケンバウアーもぎりぎりまで粘って、レップとGKの1対1に移行させた。
ただ、どちらも紙一重の攻防ではあった。ハーランドはとりあえずシュートしているし、クライフがレップへ送ったラストパスは完璧だった。ただ、どちらもGKにとってはタイミングもコースも読みやすかったに違いない。結果は守備側が守り切っているけれども、攻撃側が完全に敗北したというわけでもない。際どい勝負だった。
クライフはベッケンバウアーをかわすこともできたのではないか? 当時からそういう意見はあった。のちにレップがクライフ宛てのクリスマスカードに「逃げたな?」と書くと、次の年からクライフからのカードが届かなくなったそうだ。真偽のほどは定かではないが、それだけ多くの人々の印象に残る名場面だったのだ。
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。