今季のJ1ブレイク候補 広島の新戦力FWが昨季13点で得点感覚“開花”の訳【コラム】
広島の新しい“城”エディオンピースウイング広島で初ゴールをマーク
サンフレッチェ広島が待ち焦がれていた存在が、完成したばかりのエディオンピースウイング広島で行われた初の公式戦で期待通りの結果を残した――オフの大型補強で注目を集めた浦和レッズを2-0で一蹴した今シーズンの開幕戦で、広島の全ゴールをあげたFW大橋祐紀を評価すればこの表現以外にはないだろう。
湘南ベルマーレから完全移籍で新加入した27歳の大橋が、広島に欠けていた最後のピースとして歓迎されているのはなぜなのか。それは昨シーズンの広島が残した、異質にしてちょっぴり不名誉な記録にある。
昨シーズンの広島は34試合でリーグ最多の484本のシュートを放ちながら、同7位タイとなる42ゴールにとどまった。1ゴールを奪うのに要したシュート数は、18チーム中で最多にして唯一の2桁となる「11.52」に到達。シュート237本で広島を上回る43ゴールをあげ、最も効率がよかったサガン鳥栖の「5.51」の倍以上となる。
ドイツ代表のヘッドコーチを務めた経歴を持つミヒャエル・スキッベ監督のもと、広島は2シーズン連続で3位に入った。もっとも、昨シーズンで1ゴールを奪うのに要したシュート数では、悲願の初優勝を果たしたヴィッセル神戸が「5.77」で2番目の、連覇を逃した横浜F・マリノスが「6.40」で3番目の数字を残していた。
主力選手が全員残留した今シーズンの陣容に、決定力の高さを誇るストライカーが加われば――現在は日本代表を率いる森保一監督のもとでJ1リーグの頂点に立った、2015シーズン以来となる優勝を果たす上で必要とされた新戦力が、昨シーズンにリーグ7位の13ゴールをあげてブレイクした大橋だった。
昨シーズンの大橋は、開幕直後に負った右大腿二頭筋の肉離れで11試合もの長期離脱を余儀なくされた。必然的に出場23試合だけでなく放ったシュートの総数47も、得点ランキングの上位に入った選手たちのなかで最も少ない。それでも13ゴールをマークした理由は、決定力の高さを抜きには語れない。
大橋が1ゴールを奪うのに要したシュート数は「3.62」だった。これは昨シーズンに2桁ゴールをあげたストライカーたちのなかで5番目に少なく、日本人ストライカーに限れば22ゴールをあげて自身初の得点王のタイトルを獲得し、MVPにも輝いた大迫勇也(神戸)の「2.95」に次ぐ数字でもあった。
背番号「77」を引っ提げ、1トップのピエロス・ソティリウの背後で、中央大の後輩でもある加藤陸次樹とダブルシャドーを形成。浦和戦で先発した大橋が、まばゆい輝きを放ったのは前半終了間際の45分だった。
敵陣の中央付近からMF川村拓夢が意表を突くミドルシュートを放った直後。目の前でバウンドした強烈な弾道に名手・西川周作もキャッチできない。次の瞬間、こぼれ球に対して両チームの誰よりも早く反応し、間合いを詰めた大橋の言葉を聞けば、わずかな時間のなかであらゆる事態を計算していた跡が伝わってくる。
「フォワードとしてこぼれ球に詰めるのは常日頃からの習慣だと思うので、そこはずっと狙っていました。拓夢は素晴らしいミドルシュートを持っているので、シュートを打った瞬間にこぼれると思って詰めたのが、いい結果に繋がりました。ただ、西川選手が反応していたので、浮かさないと入らないと思いながら打ちました」
体勢を崩しながらも、西川が必死に大橋のシュートコースをふさぎにきていた。こぼれ球を押し込もうとしていた大橋はとっさの判断で西川の上を通過させ、それでいてゴールの枠を絶対に外さない弾道に切り替えた。狙い通りにボールはクロスバーをわずかにかすめながら、ゴールネットの上部に突き刺さった。
開幕節の2試合が行われた2月23日のなかで、広島VS浦和は唯一のデーゲームだった。先制点は必然的にエディオンピースウイング広島での公式戦にだけでなく、今シーズンのJ1リーグにおける初ゴールになった。
「誰も僕とは思っていなかったんじゃないですかね。でも、僕自身は密かに狙っていました」
昨季からゴール量産の訳…周囲を生かす能力が向上
思わず苦笑しながら本音を明かした大橋は、後半開始直後の10分にも大仕事をやってのける。左サイドに開いた加藤が絶妙のクロスを送った直後。それまでファーにいた大橋は浦和の左センターバック、マリウス・ホイブラーテンの死角から眼前に突然現れる動きから、完璧なヘディング弾をゴール右隅に突き刺した。
2019シーズンに湘南へ加入した大橋は、怪我の連鎖もあってなかなか試合に絡めず、4シーズンでわずか7ゴールにとどまっていた。一転して5年目の昨シーズンにブレイクした理由はどこにあるのか。
「ここ最近だけ調子がいいというわけではないので、そんなにはないと思います」
好調の理由を問うたびに、朴訥な性格の大橋が無意識のうちに繰り出す言葉に何度かわされたか。ただ、湘南を率いる山口智監督は、大橋のプレースタイルの変化に気がついていた。大橋がゴールを量産していた昨シーズンの後半には「周りを見て、周りを使えるようになった」と好調な理由をこう語っていた。
「いままでは『点を取りたい、点を取りたい』といった感じでした。そこにフォーカスするのはすごく大事ですけど、フォーカスする割合がちょっと変わってきた。周りを使えるようになれば、最終的に自分のところにボールが返ってくる割合も増える、もちろんゴール前に入っていく形を含めた個人の質も、シュート練習を積み重ねるなかで伸びている。あとはゴールを決める成功体験が、自信になっている部分もあると思う」
たった一人だけでゴールできる選手は、ほんのひと握りしかいない。怪我の連鎖に苦しめられ、試合出場すらままならなかった日々で大橋から余計な気負いが消え去り、同時に自分の周囲に向けられる視野が広がった。味方とのコンビネーションを築き上げる楽しさが、燻り続けていた得点感覚を呼び起こした。
実は長期離脱する直前だった昨シーズンの開幕戦で、大橋は変わりつつある姿を見せていた。
サガン鳥栖のホームに乗り込み、5-1で大勝した湘南で大橋は開始3分、36分、後半15分と立て続けにゴール。30周年を迎えたJリーグの歴史でも過去に5人しかおらず、最後が2006シーズンの柳沢敦(鹿島アントラーズ)と我那覇和樹(川崎フロンターレ)となっていた、開幕戦でハットトリックを達成したJリーガーになった。
戦列復帰を果たした後も順調にゴールを積み重ねた大橋のもとには、オフに入って複数のオファーが届いた。熟慮を重ねた末に、新しいスタジアムの看板になってほしい、と熱く口説かれた広島への移籍を決めた。
「いろいろな気持ちはもちろんありますけど、広島での戦いはもう始まっているので。このチームでもっと活躍して、もっともっとゴールを決められるような選手になっていきたいと思っています」
湘南への感謝の思いを、さらに成長したいという志とともに断ち切った。決断を成功に変えるかどうかは自分次第と努めて前を向いた大橋は、実は開幕戦でJリーグの歴史に残る大記録を達成していたかもしれなかった。
2季連続で開幕戦ハットトリックの希望は絶たれるも…“1試合”に懸ける思い
2点目を決める直前。周囲と連動したハイプレスから相手ボールを奪い、ペナルティーエリア内で倒された。自ら獲得したPKを蹴りたい意思は伝えたが、最終的にはソティリウがキッカーを務めるも右に外した。
「自分も蹴りたかった部分がありましたし、ピエロス(・ソティリウ)も蹴りたがっていた。そこで話し合いながら、ですね。ただ、そのなかでチームとして2点目を早く取れたのは、すごく大きかったと思っています」
大橋がPKキッカーを担い、ゴールを決めていれば、その後の展開も変わっていただろう。それでも、先発フル出場した大橋は、前人未到の2シーズン連続の開幕戦ハットトリック達成への期待を最後まで抱かせた。
ハットトリックは逃したが、2シーズン続けて開幕戦で複数ゴールを決めた史上3人目の、日本人では初めての選手になった試合後の取材エリア。開幕戦に強いのか、と問われた大橋は謙遜しながら言葉を紡いだ。
「そんなことはないと思うんですけど。いつも通り試合に向かって、という感じですね。1試合1試合が特別だと思っているので、すべてに向けて自分を高めていけるように、日々の練習から取り組んでいきたい」
前後半を通じて放ったシュート数は、両チームを通じて最多となる「6」を数えた。昨シーズンは数少ないチャンスを、決定力の高さや多彩なシュートテクニックでものにしていた。一方で昨シーズンの最多シュート数を記録するなど、スキッベ監督のもとで完成度を高めていた広島は、チャンスそのものを作り出しやすい。
そのなかで、大橋のプレーに早くも変化のあとが見られた。湘南時代と比べて、分母にあたるシュート数が増えれば、分子となるゴール数はどのような変化を遂げるのか。スキッベ監督も思わず目を細める。
「われわれの攻撃のバリエーションが増え、同時に相手チームへの脅威も増す。非常にいい選手が来てくれた」
開幕戦での快勝でさらに評価を高めた広島のなかで化学反応を起こし、昨シーズンを超えるブレイクを遂げる予感を漂わせながら、大橋は敵地へ乗り込む3月2日のFC東京戦へ、気持ちも新たに照準を定めている。
藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。