笑顔という良薬 病魔と闘いながらボールを蹴り続ける男の物語
寝たきりに近い生活から復帰を見据えてリハビリへ
それから約1カ月後の7月10日、入院しての抗がん剤治療が始まった。腫瘍の大きさと場所により、根治手術が不可能と診断された久光にとって、抗がん剤の投与が残された唯一の治療法だった。ただ、服用する薬は副作用も強く、過去には死者さえも出していた。入院したのも抗がん剤の相性を調べるためだ。「これを飲むと死ぬのかな」。初めて錠剤を目の前にしたときは、なかなか薬を飲み込めなかった。
意を決して服用した結果、食べ物は全て下痢として排出され、体中に発疹ができ、口内炎ができた口はいくら水分を取ってもすぐに乾いた。数々の副作用が出ていたが、最大の懸案であった肺は副作用を起こすことはなかった。毎日1錠、薬を必ず飲み続けること。それが生命を維持するための新たなルールとなった。
薬を飲むとあらがい難い倦怠感に襲われ、横になるしかない。医師からは「朝起きてすぐに飲むといい。飲むことを忘れずに済むから」と言われ、そのサイクルを続けた。しかし治療開始から4カ月がたち、「このままでは練習に戻れない」と生活リズムを変えた。午前9時から午後1時までの練習に参加し、昼食を取ってから薬を服用した。
心の中でFリーグの舞台に戻るという気持ちが強くなっていた。治療開始前にクラブの公式HPを通じて病状を公表した久光には、多くのメッセージと募金が寄せられていた。
「いろいろな人に励まされ、俺は絶対にピッチに戻らないといけないと思ったんです」
その後も、病院で接する同じがん患者に「ヒサの試合を見に行きたい」と声を掛けられようになり、「俺も頑張ってピッチに立つから、治療を頑張って退院して見に来てください!」と、約束を交わした。
また、12年に上咽頭がんを患い、翌年ピッチに復帰したデウソン神戸の鈴村拓也と共に“フットサルリボン活動”を開始。フットサルファンに向けたがんの啓発、小児がん患者の支援に取り組んだ。子どもたちが入院する病院を慰問して、ボール遊びをしたり、会話を交わしたりして笑顔を届けた。子どもたちからも「試合を見に行きます!」と声を掛けられる機会が増えていく。いつしか彼の目標は、多くの人が共有する目標であり、夢になっていた。
だが、約4カ月ほぼ寝たきりの生活を続けた体を、アスリートの体に戻すのは簡単ではなかった。付いた脂肪を落とし、落ちた筋肉を付ける。その作業を、副作用を伴う抗がん剤を服用しながら行うのだ。
リハビリは歩くことから始まった。歩くだけでもかなりの疲労感があり、10メートル、20メートルのランニングで息は切れた。「何でこんなにきついんだ」。そう自問し、何気なく鏡を見てギョッとした。顔中が発疹だらけになっていたのだ。
「疲れると、顔にニキビのような発疹が出るんですよ。最初はビックリしましたけど、今では1つのバロメーターです。鏡を見て発疹が出ていたら『疲れているから早く寝よう』と。毎日繰り返すことで、見えてくるものがあるんですよね」
練習では、こまめに心拍数と酸素量を測定しながら、過度な負荷が掛かっていないかチェックする。自分の体は何ができて、何ができないのか、手探り状態だった。「これは大丈夫だろう」と思っても、いざやってみると肉離れをしてしまう。そんなことの連続だった。
「できないことが、こんなに増えているのか」
自分にいら立ちを覚えながら汗を流し続けた。14年2月9日に行われるシーズン最後のホームゲームで、ピッチに立つことを見据えて――。