森保監督、“特殊”アジア杯に隠されたマネジメントの「真実」 困難を極めた精神の統一
イランに敗れてまさかのベスト8で大会終了
森保一監督率いる日本代表は、2月3日にカタール・ドーハで行われているアジアカップの準々決勝でイラン代表に1-2で敗れてベスト8で大会を去った。「FOOTBALL ZONE」では現地で起こっていたことを考察する「アジア杯検証シリーズ」を実施。5度目の優勝が潰えた森保ジャパンの現在と未来を分析する。今回は「森保監督のマネジメント」について。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞)
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5戦で3勝2敗、「史上最強」を引っ提げた森保ジャパンにとってはあっけない最後となった。イラン戦では後半に攻撃が停滞。完全に受けに回ってしまい“何もできなかった”。決められるべくして決められた同点弾、勝ち越し弾……。森保監督が交代のカードを切ったのが後半21分。MF前田大然とMF三笘薫、MF久保建英とMF南野拓実を代えた。ここまで前線からのプレスで明らかに効いていた前田を下げての投入。前線からボールを奪うことができなくなり、攻撃のパターンがなくなった。日本代表には手詰まり感が漂った。
今回のアジアカップではMF三笘薫、MF久保建英、DF冨安健洋の絶対的な3人が負傷した状況で招集。合宿のスタートでは別メニューが続いていた。久保は初戦に途中出場で間に合ったが、冨安は2戦目の後半から、三笘はグループリーグ3試合でベンチ外となった。シーズン途中の招集ということもあり、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)やヨーロッパリーグ(EL)に出場するビッグクラブで、主力として活躍する選手たちにとってアジア杯へのモチベーション切り替えは簡単ではなかった。
実際、合流当初はそれぞれが複雑な思いを抱えていた。久保も初戦前の1月11日にクラブを離れることについて「うしろ髪(を引かれる)どころじゃないですけどね。でも、しょうがないものはしょうがない。(チームのことは)気にはしますけど」と話していた。冨安や三笘、MF遠藤航ら主力選手は複雑な胸中を消化しながら、「日本のために」とピッチに立っていた。
それも今大会は当初、昨年6月から7月の欧州がオフシーズンの時期に開催される予定だった。だが、新型コロナウイルスの影響もあり開催地が変更。欧州のシーズン中に行われることになってしまった。
モチベーションだけの問題ではなく、シーズン中に選手を“借りる”状況。ビッグクラブでプレーする選手が増えたことで、“制限”もあったという。指揮官はパズルのように頭を悩ませながら選手を起用する必要があり、交代策などにも影響した。
チームとしてはグループリーグを経て徐々に一体感が増していた。DF冨安健洋が「熱量を感じられなかったというか、物足りなさというのを感じました」とイラン戦後に話したような「熱量」というのは高まりつつあったように思う。
だが、バーレーン戦後からMF伊東純也の離脱で二転三転、中2日しかない状況でほかの選手に意思確認のための聞き取りなども行った。ピッチに出た選手は練習でいつも以上に声を張り上げていたが、仲間を思う気持ちや森保監督も含めて“通常のメンタル”ではなかった。過密日程ではなく、調整時間がもう少し長ければ手を打つことはできたかもしれないが、現地で漂っていた雰囲気は映像や記事からでは伝わらない、誰もがなんとか奮い立たせようと必死で複雑なものだった。
もちろん選手1人1人の責任でない。昨年に想定したものとはかけ離れ、実際は特殊なマネジメントとなってしまったアジア杯。それでも、ピッチ上の選手たちとともに指揮官の采配でアジア相手には勝たなければいけなかった。FIFAランクに影響するポイントを獲得できる大陸選手権だっただけに、ベスト8敗退は痛い。ワールドカップ(W杯)予選、本大会に向けて、足もとを見つめ直さなければならない。
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)