伊東純也の離脱で二転三転…ドーハで何が起こった? “ドタバタ劇”を「時系列」で追う【現地発】
伊東は2日に離脱が最終決定
日本サッカー協会(JFA)は2月2日、カタール・ドーハで行われているアジアカップに出場している日本代表MF伊東純也が離脱することを発表した。伊東を巡っては2月1日にJFAが1度離脱のリリースを発表。だが、その後いったん保留になるなど二転三転して最終的には2日に離脱が決まった。一連の流れについて、現地時間で時系列を追って整理していく。
■1月30日
バーレーン戦前日にJFAは報道前に伊東の性加害疑惑と刑事告訴について把握。
■1月31日 決勝トーナメント1回戦バーレーン戦
試合当日に一部週刊誌より報道。試合後に田嶋幸三会長を含めての会議が行われる。
■2月1日 バーレーン戦翌日(時間は現地時間)
午前6時 伊東サイドが逆告訴へ。
午前11時 練習開始、伊東はピッチに姿を現さず。並行して会議が行われる。
午後1時半 離脱をリリースで発表。理由は「心身コンディション考慮」のため。
夕方 監督、選手の意思を確認。「伊東とともに戦いたい」との声が上がる。
午後7~8時 田嶋会長へ相談。結論を先送りへ。「残す方向で調整」を進める。
午後8時 JFAが現地で「本日離脱しないことになりました」を発表。
午後10時 山本昌邦ナショナルチームダイレクターによる説明。
■2月2日
未明 日本で田嶋会長や専門家を含めた会議。「総合的に判断」し、離脱が最終決定。
午前10時 練習開始、約30分間のミーティングで山本TDから選手に伝えられる。
3日間に及ぶドタバタ劇。田嶋会長は二転三転した理由を「昨日の段階では選手たちの相当熱い気持ちもあり、そして本人もそういう仲間たちからのサポートを得たうえで、我々としてはその心身のともに、そのアジア杯で戦える状況ではないのかというふうに思って思いました。本人とも話したときには、しっかりと自分はそれに調整したいというような気持ちも持っていました」と説明。「ただ、いろいろ取り巻く環境を今朝我々ミーティングをしている中で、彼のコンディションも含めて、離脱させることが望ましいという判断にたどり着きました」と、残留させる方針から最終的に離脱の決定となったという。
バーレーン戦から中2日でのイラン戦。選手も決定に振り回されることとなったが、今は集中している。ここからはチーム一丸となって勝利を目指すしかない。