伊東純也を巡る「離脱決定」で迷走 協会と現場で見られた“ズレ”【現地発】
伊東は2日に離脱が最終決定
日本サッカー協会(JFA)は2月2日、カタール・ドーハで行われているアジアカップに出場している日本代表MF伊東純也が離脱することを発表した。伊東を巡っては2月1日にJFAが1度離脱のリリースを発表。だが、その後いったん保留になるなど二転三転して最終的には2日に離脱が決まった。
“ドタバタ劇”は騒動を大きくした。1日の午後の時点で離脱リリースを発表。この時の理由は「心身コンディション考慮のため」だった。だが、そこから約6時間半後には「本日離脱しないことになりました」という連絡が。その後午後10時から行われた山本昌邦ナショナルチームダイレクターの説明会では、監督、選手ほぼ全員から「伊東選手とともに戦いたい」との声が上がったとして田嶋幸三会長に相談のうえ一旦白紙に戻し、「残す方向で改めて調整する」と発表があった。
だが、選手との話し合いの場を持って決断を変えるぐらいなら、最初からその結論を待ってから離脱の有無を決定すれば良かった。選手たちは準々決勝イラン戦まで中2日しかないなかで貴重な時間を費やしたことになる。さらに、選手の意見で決断を変えたと責任転嫁するのは非常に危険。そこは協会の決断として発表しなければ、すべての矛先が選手に向いてしまう。後手、後手に回った結果、現場も混乱に陥らせてしまった。
田嶋会長は二転三転してしまった理由を「昨日(2月1日)の段階では選手たちの相当熱い気持ちもあり、そして本人もそういう仲間たちからのサポートを得たうえで、我々としてはその心身のともに、そのアジア杯で戦える状況ではないのかというふうに思って思いました。本人とも話したときには、しっかりと自分はそれに調整したいというような気持ちも持っていました」として、「ただ、いろいろ取り巻く環境を今朝我々ミーティングをしている中で、彼のコンディションも含めて、離脱させることが望ましいという判断にたどり着きました」と説明した。
さらにスポンサーなどへの配慮についても「全くゼロではありません。ただやはり、こういう事件が多くて、いろんな大御所を疑い、いろんな情報を出してたりするわけですから、その辺の事も考慮し、そしてパートナーの皆さんへの配慮をしたのも事実です」と、あったことを認めた。
一方で森保監督は2日に行われた会見で「協議をした中、本人(伊東)の意思もあり、離脱という判断をJFAがしたところ、同意して明日の試合には、彼は我々とともに戦わずに離脱ということになりました」と話した。協会と現場で解釈の“ズレ”があることが分かる。
最終的な離脱の決断に至った説明責任は果たしていたものの、やはり中2日というただでさえ厳しい日程で森保監督の起用にも影響するような現場の混乱を招いた“迷走”は結果に影響しないと言えないわけではない。
まず、チームはイラン戦に向かうわけだが、ピッチ上で動揺が見られないことを願うばかりだ。
▼伊東の離脱を巡る発表までの時系列
■1月30日
バーレーン戦前日にJFAは報道前に伊東の性加害疑惑と刑事告訴について把握。
■1月31日 決勝トーナメント1回戦バーレーン戦
試合当日に一部週刊誌より報道。試合後に田嶋幸三会長を含めての会議が行われる。
■2月1日 バーレーン戦翌日
午前6時 伊東サイドが逆告訴へ。
午前11時 練習開始、伊東はピッチに姿を現さず。並行して会議が行われる。
午後1時半 離脱をリリースで発表。理由は「心身コンディション考慮」のため。
夕方 監督、選手の意思を確認。「伊東とともに戦いたい」との声が上がる。
午後7~8時 田嶋会長へ相談。結論を先送りへ。「残す方向で調整」を進める。
午後8時 JFAが現地で「本日離脱しないことになりました」を発表。
午後10時 山本昌邦ナショナルチームダイレクターによる説明。
■2月2日
未明 日本で田嶋会長や専門家を含めた会議。「総合的に判断」し、離脱が最終決定。
午前10時 練習開始、約30分間のミーティングで山本TDから選手に伝えられる。