柴崎岳「背番号10」一度断りもなぜ再考? 新生・鹿島の決断が「駄目だと思った」【コラム】

鹿島でプレーする柴崎岳【写真:藤江直人】
鹿島でプレーする柴崎岳【写真:藤江直人】

タイトル奪取へ選手会長とキャプテン、背番号10の「三刀流」で新シーズンへ

 ピッチの外ではクールにして寡黙。ピッチの上でも派手なパフォーマンスとは無縁で、職人気質のプレーを介して不言実行を貫いてきた。だからこそ、柴崎岳が発した言葉には少なからず驚かされた。

「選手会長とキャプテン、背番号『10』とけっこう盛りだくさんで、忙しくなると個人的には思っているけど、これは僕自身の1つの覚悟。このチームで今シーズン、タイトルを獲りたいという覚悟の表れです」

 茨城県鹿嶋市内で1月21日に開催された2024シーズン新体制発表会。ランコ・ポポヴィッチ新監督の下、9日から始動している新生・鹿島アントラーズの新キャプテン就任が発表された柴崎は、壇上で「盛りだくさん――」と言及した瞬間に思わず表情を崩し、会場へ駆けつけたソシオ会員の笑い声を誘った。

 意図して周囲を笑わせるタイプでもない。ゆえに柴崎が関わるやり取りでは極めて珍しい光景だったが、それでも新シーズンへ向けて表明した覚悟には、リップサービスの類はまったく含まれていなかった。

 新キャプテンに関しては、吉岡宗重フットボールダイレクターを介してポポヴィッチ監督の意向が伝えられた。もちろん断る理由はなかった。むしろ意気に感じた。就任を即決した柴崎は自身を支える2人の副キャプテン、植田直通と鈴木優磨に加えて、同世代のベテラン勢の名前を挙げながら大役を担う意気込みをこう語った。

「日本代表や鹿島で(ゲームキャプテンとして)腕章を左腕に巻いた試合は何回かありますけど、プロサッカーチームのチームキャプテンを任されるのは今回が初めてです。もちろん僕にも一長一短があるので、そういったところを(植田)直通や(鈴木)優磨、そしてベテランの土居(聖真)や(仲間)隼人といった経験豊富な選手たちが補ってくれると思っています。僕1人だけの力じゃなくて、全員でいいチームを作り上げていきたい」

愛着深い番号「20番」を継続させるつもりだったが…

 青森県の強豪、青森山田高から2011年に鹿島へ加入した柴崎は、5つの国内タイトル獲得に貢献したあとの2017年1月にラ・リーガ2部のテネリフェへ移籍。同1部のヘタフェ、再び2部のデポルティーボ・ラ・コルーニャとレガネスを経て、昨年9月に古巣の鹿島へ、約6年半ぶりに復帰した。

 復帰とともに選んだ「20番」は、ルーキーイヤーから2015シーズンまで5年間背負った愛着深い番号であり、当初は今シーズンも継続させるつもりだった。しかし、新体制の始動に先駆けて発表された2024シーズントップチーム登録選手リストのなかで、柴崎の背番号は「10」と記されていた。

 2016シーズンに一度だけ背負った「10番」へ変更するまで、ちょっと時間を要したと柴崎は明かす。

「まずは打診があって、その時は『ほかにそういう選手がいなければ』という話で終わったんですけど」

 21歳の荒木遼太郎がFC東京へ期限付き移籍し、持ち主不在となった「10番」への変更を柴崎はやんわりと断りを入れた。しかし、新体制下でふさわしい選手が見当たらないなかで、鹿島は空き番で開幕を迎えると決めた。チームの方針を伝えられた柴崎は「それから1日くらい、自分であれこれ考えました」とこう振り返る。

「新シーズンを迎えるにあたって『10番』が空き番になるのはどうなのか、という思いもありました。できれば新時代の選手につけてほしい気持ちもあった一方で、今年で32歳になる僕のような選手がつけるのはどうなのか、といった自問自答も繰り返しました。しかし、それ以上に『10番』が空き番になるのは駄目だと思ったので、吉岡さんに『できればつけさせてください』と伝えて快諾していただきました」

 黎明期には神様ジーコや貴公子レオナルドが背負い、固定背番号制となった1997シーズン以降はビスマルク、本山雅志、そして柴崎自身が持ち主となってきた鹿島の「10番」の重みを誰よりも理解している。

 自身がスペインへ移籍したあとは2017、2020、2021シーズンと空き番となり、一方で2018シーズンの金崎夢生や2019シーズンの安部裕葵、そして2022および23シーズンの荒木に託されるもすぐに鹿島を去った歴史も知っている。だからこそ柴崎はもう一度、常勝軍団の歴史と伝統、そして誇りを含めたすべてを背負うと決めた。

鹿島復帰の昨シーズンは怪我で不本意な形での終焉

 鹿島へ復帰した昨年9月。柴崎は「鹿島に勝利をもたらすために帰ってきた。今いる選手たちと一緒にタイトルを獲りたい」という言葉とともに、国内タイトルに限れば自身が所属し、J1リーグと天皇杯の二冠を獲得した2016シーズンを最後に無冠が続いている古巣の負の歴史に終止符を打ちたいと力を込めた。

「高校を卒業して最初に加入したクラブでもちろん深い愛着があるし、スペインへ移籍した際も可能ならばいつかまた鹿島で、という思いがあった。スペインでプレーしていた間も常に鹿島を気にかけていたなかで、タイトルを獲れずに何か苦しんでいるような、もがいているような感覚が見て取れていた。鹿島は2位や3位で満足するクラブではない。そうした現状を変えるために、僕はいまここにいると思っています」

 しかし、左太ももに違和感を抱えたまま移籍した柴崎は、なかなか鹿島の力になれない。加入した時点ですでに天皇杯で敗退していた鹿島は、柴崎が国内再デビューを果たした直後にルヴァンカップでも敗退。J1リーグ戦も3試合、102分のプレー時間に甘んじ、4試合を残して優勝の可能性が完全に消滅した。

 直後に柴崎が左ハムストリング筋を損傷し、全治8週間の怪我を負ったと鹿島から発表された。1-3で完敗を喫し、結果として昨シーズン最後の出場となったヴィッセル神戸戦後に、柴崎はこんな言葉を残していた。

「僕が帰ってきてからの試合結果で言うと、ルヴァンカップも含めて、カギとなる試合でことごとく勝ち切れなかった。僕自身も100%でプレーできていない。なかなか心苦しい状態にある」

 胸中に募らせ続けてきた忸怩たる思いを、オフの間に左足を完治させ、新シーズンで鹿島を復活させる力に変える。柴崎は「地道な作業が足りなかった」と自戒の念を込めながら、さらにこう続けていた。

「何かが劇的に変わるのではなく、メディアやファン・サポーターのみなさんには見えないところでの、自分たちの日常からの小さな努力の積み重ねでしか現状は変えられない。それらを真摯に受け止めていくしかない」

寡黙で職人気質、小笠原満男とダブる柴崎が語った新体制の現状

 新体制の始動後のトレーニングで、昨シーズンの反省点を踏まえてメニューに取り組み、背中でチームを牽引する柴崎の姿に、ポポヴィッチ監督もキャプテンを託すと決めたのだろう。ただ、指揮官はこう語ってもいる。

「キャプテンを任せたからといって、岳がすべてを背負う必要はない。キャプテンマークを巻かなくても、直通や優磨のように、キャプテンと同じ資質とリーダーシップを持った選手たちがいる。鹿島で長くキャリアを築き、タイトルを獲得した経験のある選手たちには、鹿島のユニフォームに袖を通す意味を若い選手たちに伝えてほしい。そのなかで岳は岳らしく、いままで見せてきた姿勢やプレーでチームを引っ張っていってほしい」

 昨シーズンこそ土居、クォン・スンテ、昌子源、鈴木による共同キャプテン制を敷いた鹿島だが、1993シーズン以降の30年間は石井正忠、本田泰人、柳沢敦、小笠原満男、内田篤人、三竿健斗、土居の7人しか大役を務めていない。寡黙で職人気質という点で小笠原とダブる柴崎は、新体制の現状をこう語る。

「ポポヴィッチ監督はやりたいサッカーや要求を忖度なく伝えてくれる。こういうプレーはいい、こういうプレーはダメだというのが非常に分かりやすく、新シーズンに向けた士気もかなり高まっている。トレーニングの負荷も徐々に上がっていて、今後はキャンプでもう一段ギアを上げてチームの完成度を高めていきたい」

 忘れてならないのは、クールで寡黙といっても、小笠原も柴崎もその内側に真っ赤な情熱と負けず魂をたぎらせている点だ。24日からトレーニングを本格化させる宮崎キャンプで、すでに選手会長にも指名されている柴崎は「三刀流」を担う覚悟を決めて、復活を期す鹿島をメンタル面とプレー面の両方で牽引していく。

(藤江直人 / Fujie Naoto)

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藤江直人

ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

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