マンU共同オーナー体制は「ないよりまし」 歓迎の報道もファン興ざめ…その真意とは?【現地発】
ラトクリフ氏のクラブ株式取得で共同オーナー体制が誕生したマンU
「全ての関係者にメリットがある」とのことだった。昨年12月24日の英国時間午後6時頃。マンチェスター・ユナイテッドの共同オーナー体制誕生を伝えるBBCラジオのニュースで、フットボール・ファイナンスの専門家は言っていた。
クラブ株式の25%を取得したサー・ジム・ラトクリフが支払った額は、13億ポンド(約2405億円)に上る。国内随一の資産家は、今年中に435億円近い株式投資も予定。その主な用途は、主要株主である米国のグレイザー家による18年間の単独政権下で老朽化が進んだスタジアムや練習施設の改修だが、クラブにとってのメリットはそれだけではない。オーナーの株式投資により、プレミアリーグの収益性と持続可能性に関する規則(PSR)で定められている損失額の上限が、3会計年度単位で計1500万ポンド(約27.8億円)から計1億500万ポンド(194億円強)へと引き上げられるのだ。
サー・ジム自身は、競技面に関わるユナテッドの経営権を手に入れた。当初の願いだった完全買収とはならなかったものの、「生涯一筋」を公言するファンとしては、最も気になるピッチ上での“業務成績”改善に経営陣として腕を振るうことができる。
2年前には、チェルシーの買収にも名乗りを上げていたが、それはスポーツ熱と投資熱の仕業とも言える。自らが会長兼CEOを務め、スポーツ部門の要人が共同政権下でのユナイテッド経営陣にも送り込まれるイネオス社は、自転車、セーリング、F1レースといった他のスポーツ分野にも進出。サッカー界では、ニース(フランス1部)とローザンヌ(スイス1部)に次いで、ユナイテッドが3クラブ目だ。
そのユナイテッドは、グレイザー政権下で総額10億ポンドもの補強予算を「ドブに捨てた」とまで言われている。サッカー面の経営責任者としては、リクルート体系の変革が火急の課題。結果として、サッカーの現場を指揮するエリック・テン・ハフ監督にすれば、開幕からトップ6圏外が続くシーズンとなってはいても、少なくとも今季末までは解任の不安を忘れて仕事に集中できるだろう。
当のテン・ハフ監督が「前向きな話し合いを持った」と発言している新共同オーナーは、市内中心部から数キロほどの町で生まれ育ったマンチェスター出身者だ。サポーター団体に宛てた公開状では、「長期的なスタンスで、国内、欧州、そして世界のサッカー界における頂点という、ユナイテッド本来の居場所に返り咲けるように力を合わせたい」と訴えてもいる。
「1年以上待たされて “カネづる”を手放す気なんてないことが確認されただけ」
となれば、2005年からグレイザー政権に反対するデモまで行ってきたファンにとっても、同志のフロント入りで単独政権に終止符が打たれたと解釈し得る。新共同オーナー側の「顔」であるサー・ジムは、1月14日のトッテナム戦で“ホームデビュー”の見込み(本稿執筆時点)。試合には滅多に顔を出さないアメリカ人オーナー側との違いが、大衆紙では「新時代の夜明け」と報じられてもいる。共同オーナー誕生の知らせは、半日早く手にしたクリスマスプレゼントのようなものではないか?
ところが、実際に現地メディアで見聞きするファンの反応では、「ないよりはまし」がポジティブな部類だ。ユナイテッド一筋で現役生活を終えたポール・スコールズ氏にしても、直後のアストン・ビラ戦でのテレビ解説時に「(状況改善には)時間がかかる」と語る表情はしかめっ面に近かった。
巷のファンは、より悲観的だ。無理もない部分はある。今季開幕前、ユーガブ(英世論調査会社)を介して行われたアンケートでは、回答者の83%が“オーナー交代”を望んでいたのだから。一昨年11月からの買収騒動が25%の株式取得で終焉を迎えると、「不十分」「何も変わらない」「グレイザーがいなくならなきゃダメ」といった意見が、国内各紙の紙面やウェブページで目に付いた。
「1年以上待たされて、奴らには“カネづる”を手放す気なんてないことが確認されただけ」と言っていたのは、筆者が意見を聞いた中年の男性ファンだった。話をしたのは、株式取得が報じられる前日の午前中。場所は、西ロンドンで土壇場のクリスマスショッピングに向かうバスの中。行き先のショッピングモール近くには、昼時にウェストハム対ユナイテッドがキックオフを迎えるロンドン・スタジアムの最寄り駅まで、市内を東へと走る地下鉄の駅がある。
途中から隣に座った彼は、皮ジャンの首元にユナイテッド紋章入りのマフラー。聞けば、仕事でマンチェスターを離れているが、オールド・トラフォードのシーズンチケット保持者で、ロンドンでのアウェーゲームを見逃すわけにはいかないとのこと。国内では、前々日にサー・ジム氏の株式25%取得が秒読みと報じられていた。そこで「25%の意義」を訊いてみた。
「それ以前に、市場での株価より良い条件(総額約9250億円)での100%買収が拒否された時点で『あーぁ』と思ったよ」と、苦笑いの彼。いかにグレイザー政権に嫌気が差しているかに触れ、「けど、奴らの感覚も分かる気はする」とし、「キミがグレイザー家のメンバーなら本気でクラブを売りたいと思う?」と逆に振られたところで、目的の停留所に到着した。
共同政権誕生は旧単独オーナーにとってうまみだらけ
その後、考えれば考えるほど、調べてみればみるほど彼の言う通りだと思えた。報道では、父親の故マルコム・グレイザー氏から均等に持ち株を譲り受けた6人兄弟の間で意見が割れているとされている。だがしまいには、ユナイテッド・ファンのサー・ジムは体良く利用されることになっただけのようにさえ思えた。
グレイザー家の立場になってみるということは、自分がユナイテッドのオーナーであるべきではないなどとは微塵も思わないことを意味する。買収に要した1000億円近いローンの返済を、黒字経営だった優良ビッグクラブに押し付けてのオーナー就任は、常人の感覚ではとんでもないが、リーグにも承認された正当な手段という理解になる。
返済利子をはじめ、クラブが肩代わりするはめになった関連諸費用は累計で千億円単位の世界。私財は一切投じていない。それでいて、世界規模の「ブランド力」を持つクラブの売上げからは、毎年のように数十億円規模の配当を受け取る。だがこれも、主要株主としての権利。共同オーナー誕生に伴い、今後3年間の凍結に合意してはいるが、長期的に配当金の受領が妨げられるわけではない。
その新共同オーナーは、グレイザー家が唯一、オーナーとして持ち続けたくはないと感じていたはずの権利も“取得”してくれた。それが、サッカー面の運営権。サー・ジム陣営の公開状には「委任された」、クラブ公式声明にあるグレイザー陣営の発言には「了承された」とあるように、サッカー寄りの経営に関する責任と権限は、共同オーナーとして獲得したのではなく、受け入れることになったものだ。
共同政権誕生に伴い、主要株主であるグレイザー家は、世界最大規模のネームバリューを誇るクラブのオーナーとして、自らの懐は痛まないままであるうえに、不慣れ、いや“余計”な経営分野で非難を浴びる必要もなく、私腹を肥やし続けられる環境を手に入れたと言える。その代償として、最終的なクラブ完全売却を義務付けられているわけでもない。
多くのユナイテッド・サポーターにとっては、これがグレイザー家によるクラブ株式取得が始まった2003年当時から反対の声を上げてきた1つの結果。クリスマスイブに届いた知らせは、「旧単独オーナー」にこそ嬉しいプレゼントとなったようだ。
(山中 忍 / Shinobu Yamanaka)
山中 忍
やまなか・しのぶ/1966年生まれ。青山学院大学卒。94年に渡欧し、駐在員からフリーライターとなる。第二の故郷である西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会およびフットボールライター協会会員。著書に『川口能活 証』(文藝春秋)、『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリーライオンズ』、『バルサ・コンプレックス』(ソル・メディア)などがある。