ブラジルの美しき時代を支えたザガロ 「スペクタクル」を凝縮したサッカー哲学【コラム】

1月5日に逝去したマリオ・ザガロ氏【写真:徳原隆元】
1月5日に逝去したマリオ・ザガロ氏【写真:徳原隆元】

【カメラマンの目】ザガロ氏を支えた年齢を感じさせないサッカーへの情熱

──ワールドカップ(W杯)を控えてフランス語は話せるようになりましたか?
「私がフランス語を話したら選手に指示が伝わらないじゃないか。だからチームワークのためにもポルトガル語しか話さない」

──現地でフランス名物のエスカルゴは食べますか?
「フランスでの目標は優勝なので、ブラジル料理しか口にしないことにしている(笑)」

 こんな冗談のやり取りから始まったインタビューを受けてくれた人物は、1998年のフランス・ワールドカップ(W杯)を前にしてブラジル代表監督を務めていたマリオ・ザガロ氏だ。

 ザガロ氏は1958年と62年に選手、70年には監督で、そして94年にはテクニカル・コーディネーターとして、4度のW杯優勝を経験している。燦然と輝くブラジルサッカーの歴史にその名を刻み、最も栄光を手にしたといっても過言ではない、そのザガロ氏が1月5日に逝去した。

 知り合いの方がザガロ氏と昵懇(じっこん)だったため、リオデジャネイロの自宅マンションまで足を運び、1997年と98年にインタビューをする機会を得た。1931年生まれのザガロ氏は、インタビューに応じてくれた当時で65歳を超えていたが、まったく年齢を感じさせずサッカーへの情熱を語ってくれた。

 ザガロ氏のサッカー哲学は簡潔にスペクタクルという言葉で表現できた。見つめる未来は過去に自らが経験した美しき時代の復活だった。

「ペレ、ロベルト・リベリーノ、ジャイルジーニョ、トスタンなど偉大な選手を指導する機会を得て、ペレとは一緒にプレーもした。そうした選手、監督としての抱負な経験が融合し、今の私を形成している」

“フッチボル”の復活に強いこだわり

 伝説の選手たちと時間を共有したザガロ氏は、芸術性の高いサッカーを至上の価値観として、時代の流れによってブラジルらしさが失われていく近代サッカーにあって、隆盛を極めた時代の“フッチボル”の復活に強いこだわりを見せた。

 しかし、ザガロ氏から発せられる言葉からは、積極型指揮官であることが窺えるが、国民からは守備的であるという声もあった。ザガロ氏がそうであるように、国民は強烈な光彩を放った1950年後半から70年代のブラジルを知っているだけに、自国のサッカーに対して手厳しい。こうした指摘はすべてのブラジル人監督が背負う宿命と言っていいだろう。

 ただ、ザガロ氏が思う美しきサッカーは、一般的に人々が思い浮かべる、つるべ打ちのように、これでもかと圧倒的に攻撃を仕掛けるスタイルではないのだ。

 現役時代の自らのプレースタイルをザガロ氏は「左ウイングでプレーし、ドリブルを得意としていた。フラメンゴでプレーしていた時フレイタ・ソリシ監督に必要以上のドリブルを控えるように言われた。そして私はフィジカルに自信があったため、攻撃だけでなく守備にも参加した。当時の選手は攻撃と守備の役割がはっきりと分かれていたので、私のプレーはマスコミから批判された。しかし、幸運だったのは代表監督であったビセンテ・フェオラ(58年から60年、64から66年の代表監督)と巡り会えたことだ。彼は左ウイングである私が攻撃と守備の両方に参加するプレーに理解を示してくれた」と語っている。

 ザガロ氏が思い描く美しき時代のサッカーとは、選手個人のスパーテクニックを根幹としているが、彼の言葉からはそれだけではないことが分かる。

「対戦するチームがお互いにゴールを目指し、そして守備も行う」という長所を出し合うサッカーが観客を魅了するのだと力説していた。

美しき時代のブラジルを経験し、そのスタイルを後世に伝えようと尽力

 結局、ザガロ氏は守備をすることを否定していない。相手から技術を使ってクリーンにボールを奪う、魅せる守備もあるということだ。そうした攻守にわたって長所を出し合い、真っ向勝負に賭けるサッカーを理想としていた。

 ただ、選手の個人技を重視し、真っ向勝負を挑むザガロ氏のチームにはリスクがあった。勝利か、敗北か。相手がどうくるのかは二の次で、自分たちがどう戦うのかに主眼を置いたスタイルは、上手く機能すれば華麗なサッカーをピッチで描いて見せたが、相手の術中に嵌ることも少なくなかった。

 しかし、ザガロ氏はそれを承知で信念を貫き通した。魅力あるサッカーへの飽くなき追求は「多くの経験によって自分を信頼し、自信を持ってさまざまな決断ができるからこそ、代表監督という仕事が成し遂げられるんだ」という成功体験に裏打ちされている。

 王国ブラジルはどうあるべきかという問いに向き合い続け、強い信念を持って生きたサッカー人のザガロ氏。美しき時代のブラジルを経験し、そのスタイルを後世に伝えようと尽力した人物だった。

【読者アンケート】日本代表アジアカップ優勝予想

(徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)

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徳原隆元

とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。

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