サッカー界を変革した偉大な2選手 多くの追随者…共通点は画期的なポジション逸脱【コラム】
マリオ・ザガロ氏とフランツ・ベッケンバウアー氏が逝去…ポジションを越境したレジェンド
年明け早々、2つの訃報があった。1月5日深夜にマリオ・ザガロ氏が、同9日にフランツ・ベッケンバウアー氏が逝去。ワールドカップ(W杯)に選手として優勝したあと、監督としても優勝した人物は3人しかいないが、その最初がブラジル代表のザガロ、2人目が西ドイツを率いたベッケンバウアーだった(3人目はフランス代表現職のディディエ・デシャン監督)。
選手と監督で世界一を獲ったというほかにも2人には共通点がある。どちらもフィールド上のポジションを越境した選手だった。
1958年W杯、スウェーデン大会。初優勝したブラジルは<4-2-4>という新しいシステムを世に出している。それまでのシステムは1930年代から続いていた<WM>だった。<4-2-4>は数字でフォーメーションを表すようになった最初のケースでもあった。
ところが、正確を期すとブラジルのシステムは整然と<4-2-4>だったわけではなく、<4-2.5-3.5>とも呼ばれていた。4トップの左ウイングであるザガロがMFを兼ねていたからだ。突破力抜群の右ウイング、ガリンシャとは対照的に、ザガロは運動量と頭脳的なプレー、左足のエレガントな技巧で存在感を示していた。その後、下がり目のウイングはブラジル代表の定番ポジションとなり、ザガロが創出した「ワーキングウインガー」はイングランドやイタリアにも伝播していくことになった。
ベッケンバウアーは「リベロ」の代名詞となった1970年代のスーパースターだ。リベロはイタリア語の「自由人」だが、もともとはマークを持たないカバーリング用の遊軍的DFという意味しかなかった。攻撃するリベロという概念を確立させたのはベッケンバウアーなのだ。
攻撃するDFとしてはエルンスト・ハッペルやジャチント・ファケッティなどの例はあったとはいえ、後方のプレーメーカーとしての役割を完璧にこなした点でベッケンバウアーは画期的だった。攻撃時にはマークを持たない特性を利用してフリーでボールを受けて展開し、さらに相手ゴール前へ進出してシュート、ラストパスでも中心となる。フィールドの縦軸を支配するポジションの越境者だった。
選手時代は頭脳明晰で冷静沈着、監督時代は感覚的で激情家…背後にあるのは?
サッカーでは決まっているポジションはGKだけだ。システムがありポジションがあるとはいえ、どこに誰がいなくてはいけないとルールで決められているわけではない。GKすら、最近ではセンターバックのようなポジションを取る「偽GK」も出てきているぐらいである。
ただ、チームとして決まっている、あるいは慣習的に決められているポジションを逸脱していくのは、それなりの冒険ではある。ザガロはペレやガリンシャなど天才たちを支えるため、ベッケンバウアーはあり余る才能を守備以外にも生かしていく方法として、それぞれ自分に与えられたポジションを飛び出していった。そして彼らを手本に多くの追随者が現れ、サッカーの戦術そのものが変化していった。
選手時代は頭脳明晰、冷静沈着そのものに見えた2人だが、監督としては意外に感覚的で激情家だった。ただ、選手として冷徹に見えた背後には、フィールドでプレーできなくなってからあふれ出てしまっていた情熱が常にあったのだろう。だからこそポジションを逸脱するパイオニアになれたに違いない。
(西部謙司 / Kenji Nishibe)
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。