「自分が4点取っていれば勝てた」 近江の“切り札”が悔やんだ王者・青森山田との差【高校選手権】
近江は一度同点に追い付くも、突き放されて1-3で敗戦
第102回全国高校サッカー選手権は1月8日、東京・国立競技場に約5万5000人の観衆を集めて青森山田(青森)と近江(滋賀)による初顔合わせの決勝が行われ、青森山田が3-1で快勝し、2大会ぶり4回目の優勝を遂げた。
2005年度の第84回大会を制した野洲以来、滋賀県勢として18大会ぶり2回目の高校日本一には手が届かなかった。
前半33分に先制された近江は、後半開始から切り札のMF山本諒を送り込んだ。投入されてから2分後だ。DF金山耀太が、MF浅井晴孔から右に展開されたボールをゴール前に最終パス。相手DFに防がれかかったが、山本が素早く反応して右足で同点弾を蹴り込んだ。
神村学園(鹿児島)との準々決勝で前半22分から登場した山本は、2度あった1点を追う戦況で、2回とも同点ゴールを決めている。
近江は日大藤沢(神奈川)との2回戦、インターハイ王者・明秀日立(茨城)との3回戦とも前半を0-1で折り返し、後半に追い付いてPK戦で勝利を収めた。
しかし、“2度あることは3度ある”とはいかず、後半15分と同25分にいずれも縦に速い攻撃に遭って2失点。リードを許すと、青森山田は中央を厳しく監視し、余裕を持って試合を進めた。アタッキングサード付近までは進めても、それより先の進路を塞がれてしまい、近江の後半のシュートは同点弾の1本に終わる。
山本は「自分が4点取っていれば勝てたのに悔しい。青森山田は1つのチャンスを感じると、決め切れる力があった。そういうところに迫力を感じた」と自分たちとの差を口にした。
しかし、青森山田にしても近江の怖さは重々承知していた。
正木昌宣監督が「1人1人の技術が高い力のあるチームなので、得点力にはかなり警戒した」と言えば、MF川原良介は「テクニカルな集団。中央突破はもちろん、サイドをやられるのも怖かったので守備の強度を高めて戦った」と細心の注意を払って臨んだそうだ。
前田監督は「選手権はみなさんのおかげで成り立っていることを感じた」と感謝
それほどインパクトのあるチームに仕上げ、自信を持って2年連続3回目の選手権にやって来たのだ。ボランチのMF西飛勇吾の言葉がそれを裏付ける。
先制されて焦りはあったか。その問いに「1点差は想定内だったから、うちのペースに持ち込めば勝てると思った」と即答。2点目を奪われた時の心境に関しては、「2点目を取られても全然大丈夫と感じながら戦った」と最後まで強気な言葉を放った。
Jリーグの清水エスパルスなどでプロ選手を経験した前田高孝監督が、本格的強化に乗り出して8年目で結果を出した。愛嬌のある顔付きで、ジョークを交えて記者とやり取りする姿に会見場は笑いに包まれた。
大会運営に尽力した関東4都県の高校教諭が、素晴らしいスタジアムを準備してくれたという謝辞も忘れなかった。「メディアも含め、選手権はみなさんのおかげで成り立っていることを感じ、ありがたみを持って5試合プレーさせてもらった」と語った。
前田監督のチーム作りは選手の判断力を養い、技術を鍛えることに主眼を置く。このチームは指揮官にとって理想に近かったはずだ。
今季のプリンスリーグ関西1部で2位に入り、昨年12月のプレミアリーグ・プレーオフ(参入戦)に進んだ。C組1回戦は突破したが、勝てば昇格の2回戦で鹿児島城西(鹿児島)に0-1と惜敗してしまう。
前田監督は「最速で(プレミアに)昇格したら、かっこいいぞと言ったら負けてしまった」としんみり語ると、「でも、最後はピッチの上でカオスになった。かっこいいチームになりましたよ。すがすがしく戦ってくれた」と旋風を巻き起こしたチームが誇らしそうだった。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。