準決勝敗退の市立船橋が示した“胎動” 青きイレブンが持つ誇りと自信「青森山田とはほんのひと握りの差」【高校選手権】

PK戦の末敗れた市立船橋【写真:徳原隆元】
PK戦の末敗れた市立船橋【写真:徳原隆元】

12年ぶり8度目のファイナルを逃した

 復活の決勝進出はならなった。1月6日、東京・国立競技場で行われた第102回全国高校サッカー選手権準決勝で、市立船橋(千葉)は青森山田(青森)に1-1からのPK戦で屈し、5度目の優勝を遂げた第90回大会以来、12年ぶり8度目のファイナルには駆け上がれなかった。

 市立船橋は、布啓一郎監督が指導した1980年代から90年代に圧倒的な強さを示し、2011年までに5度の優勝を果たした。出場校が現行の48校に定着した第62回大会以降では、国見(長崎)の6度に次ぐ優勝回数を誇る。3人の大会得点王を輩出し、北嶋秀朗や森崎嘉之がJリーグに進んだ。全国高校総体制覇は最多の9度を数える名門だ。

 しかし最後に頂点に立ってからは低迷が続く。前回大会までに5度出場したが、92回と99回のベスト8が最高で98回大会では初戦で姿を消している。

 3年ぶり24度目の出場となった今回は1回戦から登場。1、3回戦はともに4-1で快勝し、帝京長岡(新潟)との2回戦はPK戦による辛勝だった。準々決勝では名古屋(愛知)との接戦を2-1で制し、久しぶりの国立競技場に戻ってきた。しかし……。

 就任5年目、41歳の波多秀吾監督は敗れた悔しさより、詫びる思いが口を突いた。「千葉県内のジュニアやジュニアユースのチームで育った大勢の選手を預かっていますが、恩返しできずに申し訳ない気持ちです」と述べた。

 市立船橋は布監督時代から、(1)球際の強さ(2)攻守の切り替えの速さ(3)豊富な運動量の3つをこなすことを伝統的にチームのスローガンに掲げてきた。

 この日の青森山田戦では、前半途中から、この3つとも実践できたのではないだろうか。

 ゲームを組み立て得点にも絡んだ主将でボランチの太田隼剛は、「後半はチャンスを作れたし、追い付くこともできた。みんなよく走ったし、ボールサイド(の攻防)でも負けていませんでした。青森山田さんとは、ほんのひと握りの差でした。全員がすべての力を出し切ってくれた結果なので、ピッチ内での悔いは1つもありません」と胸を張り、チームの思いを代弁した。

 指揮官の気持ちも同じで、市立船橋らしい自主性と個性いっぱいのチームだったと手放しで褒める。

「日常にいろいろなものが詰まっていると思うんですよ。彼らは日常をしっかり積み上げてきた。太田も(エースの)郡司(璃来)も佐藤(凛音)も内川(遼)も、自分たちで成長していった。教えられたというより、彼ら自身で身に付けて成長していった。素晴らしいし、誇らしい」

 太田が言うように、青森山田との実力は高い水準で接近していた。シュート数も7本対5本で上回った。

 同点ゴールをものにした2年生FWの久保原心優は、両チームで最多タイの2本のシュートを放って、相手守備陣を慌てさせた。

「青森山田に勝てないところはなかったと思うので、それだけに負けたことが余計に悔しい。これからそれ以上のチームを作らないといけない」

 前半途中からチームカラーの青色のユニホームが躍動し、美しいパスワークと長いキックを併用して躍動した。“イチフナ”がまた、全国高校選手権の舞台でキラキラ輝きそうな胎動を感じた。

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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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