市立船橋に立ちはだかった青森山田の壁 主将が口にした悔しさと後輩たちへの期待「詰めの甘さが少しあった」【高校選手権】
青森山田とのPK戦の末敗退
第102回全国高校サッカー選手権は1月6日、東京・国立競技場で準決勝が行われ、第1試合は市立船橋(千葉)が青森山田(青森)とのPK戦の末敗れた。青森山田が2大会ぶり7度目のファイナルに進み、8日に国立競技場で行われる決勝で近江(滋賀)と対戦する。
両校は過去、2003年の第82回大会と83回大会のともに3回戦で顔を合わせ、いずれも市立船橋が1-0で勝利していた。今回が選手権で3度目の対戦となったが、初めて黒星を喫した。
市立船橋は前半7分、同9分にロングスローとサイドアタックからピンチを招き、その2分後に先行された。左コーナーキックから身長190センチの青森山田のセンターバック小泉佳絃にヘッドで流し込まれた。同14分にもMF川原良介に際どい中距離弾を打たれるなど、市立船橋の守勢に回る時間帯がしばらく続いた。
それでも20分過ぎからは、市立船橋がこぼれ球の回収率が上がってリズムを掴み始め、後半に入ると完全にペースを取り戻した。就任5年目の波多秀吾監督は、「前半は縦パスが少なかったので、相手DFとMFの間で(ボールを)受ければチャンスになると言い、縦を意識して後半のピッチに送り出しました」と説明。左利きのプレーメーカー、太田隼剛が攻撃を組み立て、両サイドバックの豪胆な攻め上がりや長短のパスを織り交ぜたアタックで、青森山田陣営に進入する回数がぐっと増えた。
そうして後半34分、右サイドバック佐藤凛音のパスを預かった太田が、右からFW久保原心優に絶品の最終パスを配給。名古屋(愛知)との準々決勝で先制ヘッドを決めた久保原が、起死回生の同点弾を蹴り込んだ。
波多監督は「失点を取り返すのが難しかったが、粘り強く我慢強く取ってくれた」とイレブンを褒めたが、「あの後にもう1つ取れそうだった。あそこが勝敗のポイントだったかもしれません」と絶好機を逃したことだけは残念がった。
それは後半39分にゴール前で縦パスを受けた久保原が、いくらかシュートのタイミングが遅れて小沼蒼珠にブロックされた場面を指す。
同点ゴールを奪い、勝ち越し点を取り逃した背番号15の2年生は、「ゴールはいいパスが来たのでフリーで蹴ることができたが、次のチャンスは胸トラップをいい所に置ければ打てました」と先輩に申し訳なさそうに話すと、「新チームではどんな場面でも点を取れる選手になりたい」と、今回の借りを次の国立の舞台で返す心意気を示した。
加点こそできなかったが、最少失点に抑えて1-1からPK戦に突入した。
PK戦にもつれた帝京長岡(新潟)との2回戦は勝っている。しかし今回は先頭の太田が外してしまい、GKギマラエル・ニコラスが相手の4人目を止めたが、市立船橋も4人目が防御されてしまう。2-4で敗退し、優勝した第90回大会以来12年ぶりの決勝進出はならなかった。
同点弾をアシストしたほか、相手の守備網を切り裂くパスを何度も供給し、ゲームを構築し、チームをまとめた主将の太田は「決勝に進めなかったのは残念ですが、自分の力もチームの力もすべて出し切ったので悔いはない。胸を張って帰りたい」と威風堂々たる言葉を発した。
青森山田とのわずかな差を尋ねられると、「うちは詰めの甘さが少しあったのかな。青森山田さんはすべてを突き詰めているから、何度もトップの座にいるんだと思います。後輩にはそこを期待したい」と述べ、勝った相手を敬う姿に伝統校の真の主将像を見た思いがした。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。