沖縄サッカー部の“初戦の壁” 県内の特殊な事情と恩恵「今度町田ゼルビアが来て…」【高校選手権】
名護は明桜に0-2で敗戦、沖縄勢として3大会ぶりの初戦突破ならず
第102回全国高校サッカー選手権は12月31日、駒沢陸上競技場で明桜(秋田)と名護(沖縄)の2回戦が行われた。名護は0-2で敗戦し、初出場での初勝利とはならなかった。沖縄勢として3大会ぶりの初戦突破を目指したが、今年度も1試合で姿を消すことに。近年全国大会の壁にぶつかっている沖縄勢は、現在どのような課題を抱え、状況を打開するうえで今後どういった取り組みが必要なのだろうか?
後半開始早々の1分に相手に先制点を献上した名護は、ポスト直撃のシュートでゴールに迫るも、同13分にリードを広げられる展開に。終盤にはPKを獲得するも、相手GKのセーブに阻まれ、そのまま0-2で敗れた。初勝利には及ばなかったものの、初となる大舞台で果敢な姿勢を示し、奮闘した。
試合後、比嘉洋介監督は目を赤らめて囲み取材に応じ、「選手は一生懸命戦ってくれて、今までで1番のゲームをしてくれた。母校でもありますし、初出場で監督をできたのは幸せなことですし、ただ、もう1試合やりたかった。込み上げるものがありました」と口にした。
2023年、沖縄は台風6号による甚大な被害を受けた。名護市も例外ではなく、道路が冠水するなどの事態に陥った。サッカー部としては最小限の被害に抑えられたとのことだが、「あのタイミングで遠征に行きたかったんですけど、行けなかった。結果的に、選手権の直前に行くことになりました」と振り返っている。
日本の最南端にある沖縄は気温の高い地域であることはもちろん、台風直撃も多く、豪雨が続くことも珍しくない。そういった環境下で、沖縄サッカー部が全国大会で勝ち抜く力を身につけるには、どうすれば良いのか。比嘉監督は「ほかの地域よりも積極的に県外に出ることは必要なのかなと。県外で開催されるフェスティバルに参加しながら、県外のチームとの対戦に慣れていくことが大事だと思っています」と答えている。
さらに、沖縄独自の教員制度も1つの障壁となっている。沖縄は、全教員が例外なく最長7年でほかの高校への転勤が命じられる規定がある。選手権の常連校は、監督が10年、20年率いてチーム作りに励むことで、そのチームのカラーや伝統を創出している部分も大きい。そして、最終的にそれが長期に及ぶチームの強化となる。しかし、沖縄では最大7年のスパンという志半ばの段階でバトンを渡さなければならない現実がある。
比嘉監督自身も「僕も今年で5年目で、来年どうなるかわからない」と言及しつつ、限られた期間におけるチーム作りは困難なのではないかと尋ねると、「そうですね……正直それはあります。それも含めて、専門家の方々とどうしていくべきかを議論していければと思う。変えられないものもあると思うが、待つのではなく、新しい取り組みを提案していきたいと思っています」と胸中を明かした。
また、沖縄に限った話ではないが、特に沖縄は小学校や中学校で頭角を現した選手は高校の段階で県外へと流出するケースが大半だ。「その子たちのチャンスを掴むきっかけは応援したいし、残ってもらった選手でどう戦うかを考えるしかない」としつつ、「そのうえで、沖縄に残りたいと思える環境を作ることも大事だとは思います」と指摘した。
Jリーグキャンプ地として沖縄が受けるメリット
一方で、沖縄の環境があらゆる面で劣っているわけではない。「Jリーグのキャンプが沖縄で行われるようになってからは、質の良い天然芝のグラウンドも増えていて、キャンプの時期以外は我々も利用できるので、そういった環境面は他県と比べても悪くはない」と、沖縄ならではのメリットについても言及している。
「キャンプ中は、Jリーグクラブの練習を間近で勉強できるので、プロの選手のトレーニングへの姿勢などを目の前で見られるのは、恵まれているなと思います。今度町田ゼルビアさんが名護にキャンプに来てくれるので、見学だったり、サポートさせてもらったりして、選手が身近に関われる環境にしたいです」
全国大会の戦いを、選手はどのように感じたのだろうか。主将を務めたGK松瀬真之介は「2度の遠征で強豪チームと対戦し、大敗する経験をした。自分たちのサッカーの2倍も3倍も動きがあった。遠征で気づけたのは収穫だったが、もっと早く気付けていれば、そこに向けて逆算できたのかなとも思う。県内では限界があるので、そういった取り組みを可能な限り早く体験することが大事かなと感じている」と語っている。
沖縄勢は、歴代最高成績が第76回大会の那覇西でベスト8、直近では同じく那覇西が第92回大会で3回戦の成績を残している。ここ数大会は初戦の壁を突破できずにいるが、沖縄サッカー部から選手権を席巻する存在が現れることに期待したい。
(城福達也 / Tatsuya Jofuku)