中村俊輔氏の引退試合で実感した“時代の終わり” ファインダーが追い続けた稀代のファンタジスタの実像【コラム】
【カメラマンの目】引退試合を終えた中村氏の長年のキャリアをカメラ越しに振り返る
2022年11月10日に行われた引退記者会見からの中村俊輔氏の印象は笑顔だ。26年間もの長きにわたって厳しいプロの世界を戦い抜き、記者会見に臨んだ中村氏は心に一点の曇りもないように終始、晴れやかな表情を見せていた。
その穏やかな表情の意味は引退会見の場でも「やり尽くし清々しい気持ち」という言葉から察せられたが、それから1年が過ぎた引退試合のセレモニーでの言葉を聞いて、より理解することができた。中村氏はセレモニーで横浜F・マリノスでともに戦った先輩たちの名前を挙げていき、彼らの背中を見て厳しいプロの世界で生き抜く術を身につけ、そして日本代表では国と10番を背負い、誇りを感じながらプレーすることができたと語った。
この言葉から国内外の所属したクラブでのレギュラーを勝ち取る競争に始まり、勝利へと導くための勝負の厳しさ、そして日の丸を背負ってプレーする選ばれし者のプレッシャーと、肉体的にも精神的にもプロの世界で生き抜く困難さは相当なものだったのだと改めて感じた。そして、周囲からの期待に応え続け、やり残したことはなく、高みへと目指す向上心の翼を休められるという思いが安堵となり、彼の表情を穏やかにしたのだろう。
引退試合での中村氏は1人のサッカー少年に戻り、ただひたすらプレーすることを楽しんでいるようだった。カメラのファインダーを通して見た、旧知のメンバーたちとのプレーは和やかに経過して行き、ピッチに立った歴戦の強者たちとの心地よい時間を過ごした。
近年の日本サッカー史において中村氏ほど、人々がイメージする10番に符合する選手はいない。高度なテクニックを武器に勝利を目指した稀代のファンタジスタであった。
しかし、振り返ったサッカー人生で、ノートに書いた目標をクリアしていくことが実感できたと喜びを語った一方で、本人も口にしたが日本サッカーのトップシーンを走り続けてきた中村氏の選手としての26年間は決して栄光、勝利、そして笑顔だけで形作られてはいない。特にサッカー界の最高峰の大会であるワールドカップ(W杯)では、満足のいく経験とはならなかった。
セレモニーで語った“ミスター・マリノス” 松田直樹さんの名前…当時の情景がフラッシュバック
そうした山あり谷ありの経験と同様に、中村氏はピッチ内外でさまざまな表情を見せた。厳しい勝負の世界で勝利したときの満面の笑顔。名場面を演出してきたフリーキック(FK)は、2022年で現役生活にピリオドを打ってから1年以上が経過した引退試合でも、そのダイナミックなフォームはまったく変わっておらず、表情も獲物を狙うかのように鋭かった。また、勝負の世界で生きた彼には、報道陣の質問に答えている場面で、ふとしたときに見せた鋭利な表情にドキリとすることもあった。
そして、中村氏がセレモニーで語った偉大な先輩たちの名前を聞いたとき、心に浮かんだ場面があった。セレモニーで挙げたプロ選手として良き手本となった5人の先輩たちのなかで最後に「マツさん、松田直樹さんと」と口にしたように、引退試合にも“メンバー入り”していたミスター・マリノスは、横浜FMだけでなく代表でもともに戦った仲間であった。
その思い出した場面は遡ること12年8月4日の対ベガルタ仙台戦でのことだ。8月4日は松田さんの命日だった。
この試合でゴールを挙げた中村氏は、右腕に巻いていた喪章を外すとスタジアムの向こうに広がる夜空へと掲げた。望遠レンズを装着したカメラで追った横浜FMの25番は、これまで見たことがなく、そしてその後も見ることもない、表現するには難しい万感極まった表情をしていた。中村氏が視線の先に見ていたのは、かつてピッチで一緒に熱く戦った背番号3だったのだろう。
「中田英寿氏がピッチで躍動する姿を撮影したことがない」現場で感じた時の流れ
プロスポーツ選手ともなれば、チームメイトとは多くの時間を共有することになる。試合での勝利を目指してともに練習に励み、その先の歓喜を目指す。中村氏と松田さんが固い絆で結ばれていたことを実感した場面であり、多くの盟友が集まった引退試合が、まさに同時代に戦った仲間たちとの結び付きの強さを表していた。
そして、ニッパツ三ツ沢球技場に駆けつけたメンバーのなかには、今年でスパイクを脱ぐ決断を下した小野伸二氏や高原直泰氏もいた。引退試合を撮影していたカメラマンからは、「中田英寿氏が選手としてピッチで躍動する姿を撮影したことがない」という言葉を聞いて、時の流れを感じた。
23年もいよいよ終わろうとしているが、Jリーグはヴィッセル神戸の優勝で幕を閉じ、サムライブルーはこの引退試合に姿を見せた中田氏、小野氏、稲本潤一、そして中村氏が活躍した時代に匹敵するようなハイレベルな選手が揃い、世界でのさらなる活躍が期待されている。
時代は流れ、プロリーグの誕生、自国のW杯開催と発展を遂げてきた日本サッカーにあって、大きな役割を果たしてきた中村氏たちの世代。その世代のなかでも選手として息が長かった中村氏に続き、小野氏や高原氏もついにピッチとの別れを決断するときがきた現実を見ると、1つの時代の終わりを改めて実感した。
しかし、中村氏はサッカー人としての歩みを止めたわけではない。世界と戦った多くの経験に裏打たされた真のプロフェッショナルとしての生きざまは、指導者として新たな時代の構築に力を発揮してくれることは間違いないだろう。
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。