大黒将志が描く監督のビジョン 「S級に無事合格しました」…目指すはガンバ時代彷彿の攻撃的サッカー【コラム】
S級ライセンスを取得、監督への1歩を踏み出した
あらためてコメントを読み返すと、セカンドキャリアへ向けた設計図がしっかりと刻まれていた。
ガンバ大阪やヴィッセル神戸、東京ヴェルディ、FC今治などで活躍し、今年1月に現役に別れを告げた橋本英郎氏の引退試合に出場した直後のひとコマ。パナソニックスタジアム吹田の取材エリアで、大黒将志氏は「大黒、S級に無事合格したと書いておいてください」と声を弾ませ、さらにこんな言葉を紡いでいる。
「徐々に、徐々にステップアップしていきたい。S級を取って終わりじゃなくて、S級を取った後もいろいろと学び続けて、指導者としての実力をつけていかなきゃいけないと思っています」
気持ちも新たに指導者の道を歩んでいく、自身の将来へ向けた抱負を語った12月16日の段階で、大黒氏の肩書きは古巣ガンバのアカデミーストライカーコーチだった。しかし、わずか2日後の18日にはガンバ退団と、日本フットボールリーグ(JFL)のFCティアモ枚方のヘッドコーチ就任が発表されている。
枚方の監督は2023シーズンから、ガンバ時代の盟友で、同じ1980年生まれの二川孝広氏が務めている。現役時代は司令塔だった二川氏とのホットラインを踏まえながら、大黒氏はこんなコメントを発表している。
「現役時代は、二川監督に沢山アシストしてもらいました。これからは僕がヘッドコーチとして『勝利』をアシストできるよう、貢献したいです!」(原文ママ)
育成年代のホープたちを育てる立場から、Jリーグ参入を目指すクラブの参謀役へのステップアップ。大黒氏は40歳だった2021年1月に現役引退を発表し、同年から指導者としてガンバのアカデミーに所属。日本サッカー協会(JFA)が発行する公認指導者ライセンスも取得し始め、今年度は最上位のS級を受講していた。
4月からスタートした今年度のS級コーチ養成講習会は、実は今月14日に国内でのすべてのカリキュラムを終えたばかりだった。海外研修のレポート提出などを終えて合格者は来年1月以降のJFA理事会で順次発表されていく予定だが、そのなかでちょっぴりフライング気味に「無事合格しました」と公言してしまうところが、いかにも大黒氏らしい。
それだけ、Jクラブの監督を務めるうえで必須なS級ライセンス取得を、誰よりも大黒氏自身が待ち焦がれていたのだろう。その脳裏には監督として追い求めていくチーム像が、すでにおぼろげながら描かれている。
「指導者としては、やっぱり攻撃的なサッカーをしていきたい。アグレッシブなアタッキングフットボールというか、そういうのをやっていきたいですね。まだ監督ではないので、それはまあ追々ということで」
ガンバがJ1リーグを制し、悲願の初タイトルを獲得した2005シーズンが理想とするスタイルの1 つになるだろう。このシーズンのガンバは34試合でリーグ最多の82得点を叩き出す一方で、4番目に多い58失点を喫した。J1が18チーム体制になった同シーズン以降の歴代優勝チームと比較すれば、総得点は2020シーズンに88をマークした川崎に抜かれるまでの最多記録であり、総失点はいま現在も群を抜いて突出している。
J1を制した2005年のG大阪が復活―大黒は4ゴールの大暴れ
例えるなら「一発殴られたら、二発殴り返す」――となる2005シーズンをけん引したのが、33ゴールで得点王を獲得したFWアラウージョであり、日本人選手では2位となる16ゴールで続いた大黒氏だった。その意味では当時のトップ下フェルナンジーニョを含めた最強トリオを18年ぶりに復活させ、当時の監督、西野朗氏のもとでプレーした橋本氏の引退試合は、原点を思い出すうえでも最高の時間だったはずだ。
橋本氏の引退試合は、ガンバがJ1リーグで優勝した2005シーズンの在籍選手を中心とする「ガンバ大阪’05」と、同氏が日本代表で共闘した仲間たちを中心とする「日本代表フレンズ」が対戦。大黒氏は前者のFWとして後半開始からピッチに立ち、4ゴールを叩き出す大暴れを演じてみせた。
この試合のためにブラジルから駆けつけたアラウージョ、フェルナンジーニョとのトリオだけで攻撃を完結させるカウンターも何度も披露。後半だけで7ゴールをあげて7-5の逆転勝利をあげるなど、2005シーズンの倍返しをほうふつとさせた展開を、大黒氏は現役時代に戻ったような表情で振り返っている。
「引退試合を盛り上げて、ハシくんがいい終わり方をできるように。それだけを考えてやっていました。アラウージョとか、フェルナンジーニョとか、二川とか、ヤットさん(遠藤保仁)とか、ハシさんとか、昔一緒にやったメンバーが出てきてすごく楽しかったし、呼吸も合うというか、お互いにやりたいプレーもわかっているので」
ストライカーの育成に特化した指導者として、大黒氏はすでに高い評価を受けている。今年4月下旬のU-17日本代表候補合宿に、森山佳郎監督(当時)の強い要望を受けてゲストコーチとして参加している。
「ストライカーの考え方や動き方といったノウハウを、教えて欲しいというリクエストが森山監督からあった」
18日に東京・文京区のJFAハウスで取材に応じたJFAの反町康治技術委員長は、U-17代表候補合宿へのゲストコーチ参加に至った舞台裏を明かしたうえで、中村憲剛氏や内田篤人氏、明神智和氏、北嶋秀朗氏、そして大黒氏らが名を連ねた今年度のS級コーチ養成講習会受講者へ大きな期待を寄せた。
「最後の試験を、私も見させていただきました。最初のころに比べると非常にレベルが上がっていて、指導者として今後の日本を引っ張っていけるような方がたくさんいると感じている」
伊での海外研修へ “同期”内田篤人や中村憲剛ら「みんないい指導者」
その大黒氏は19日にイタリアへ向けて出発した。S級コーチ養成講習会で残された課題、海外プロクラブでのインターンシップ実地研修を受けて、帰国後にレポートをJFAへ提出しなければいけないからだ。
現地では古巣トリノを皮切りにモンツァ、パルマ、ジェノアなどで実地研修を積む予定を立てている。滞在は3週間で、イタリアで越年する。いままではガンバでの仕事があり、長期間留守にする海外渡航がかなわなかった。今回は枚方がオフに入っている年末年始を利用するが、大黒氏はその先へすでに胸を躍らせている。
「S級コーチ養成講習会はすごく大変だったけど、同期の受講生の仲間たちにも恵まれたし、本当にたくさんの学びがあった。ウッチーや憲剛を含めて、みんないい指導者だし、自分もしっかりと段階を踏んでいきながら、チームを勝たせて、選手たちを成長させられる監督になれるように頑張っていきたい」
ガンバを退団するにあたって、大黒氏はこんなコメントを寄せている。
「僕の夢は素晴らしい監督になることです。その夢を叶えるため、今回の決断をさせていただきました。いつかパナソニックスタジアム吹田で、監督として指揮できるようにこれからも全力で指導者の道を進んでいきたいと思います!本当にありがとうございました!」(原文ママ)
ガンバで1999シーズンにスタートさせたプロサッカー人生で、延べ14クラブに所属して通算216ゴールをマーク。日本代表としてもジーコジャパン時代の北朝鮮戦やブラジル戦で記憶と記録に残るゴールを決め、ファン・サポーターから「大黒様(だいこくさま)」と崇められた異能のストライカーが、現役時代と変わらない人懐こい笑顔と底抜けに明るい性格、指導者として描く壮大な夢を同居させながら新たな一歩を踏み出した。
(藤江直人 / Fujie Naoto)
藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。