“アンジェ・ボール”の真骨頂ここにあり 快勝のトッテナム、チームとファンが信じる「譲らない」攻撃サッカー【現地発】
「取り組み中のプロセスを信じる」姿勢を90分間貫き続けたトッテナム
握り合った手をリズムに乗って揺らす白髪のカップル。両手を挙げて飛び跳ねる少年。場内スタッフとハイタッチを交わす車椅子の男性。現地時間12月10日のニューカッスル戦(4-1)終了直後、「ナナナナナ」と繰り返されるサビが印象的な1990年代のヒット曲「フリード・フロム・デザイア」が流れるトッテナム・ホットスパー・スタジアムで、ホームのサポーターたちは勝利に酔っていた。昨季は2戦2敗だった相手から、今季プレミアリーグ第16節で奪った大勝。それは、アンジェ・ポステコグルー新体制下で習得が進む“アンジェ・ボール”の勝利だった。
チームには、今季リーグ戦初黒星を喫した第11節チェルシー戦(1-4)から、主力に怪我が相次いでいた。続く前節までの4試合では1ポイント獲得にとどまっていた。開幕ダッシュ成功で優勝争いも期待された昨季8位には、巷で「脱線」との指摘。だが、キックオフ前から歌い、叫び、最後は踊ったスタンドの「12人目」も含め、トッテナムの足並みは乱れてなどいなかった。試合前の会見で、「取り組み中のプロセスを信じること」と語っていた指揮官の言葉通り、果敢な攻めの姿勢を貫いた。90分間、流麗というよりも“流激”という表現がふさわしいサッカーが展開された。
簡単なことではない。故障者リストには、ジェームズ・マディソンとミッキー・ファン・デ・フェンの両新戦力も含まれる。前者は、大前提とされるプレッシングでも音頭を取る攻撃面の“指揮者”。後者は、やはり基本のハイラインで機動力がものを言う守備面の“飛び道具”。新たな主軸が抜けた過去4試合での3敗は、追加点を奪えずにいる間に逆転を許してもいた(いずれも1-2)。それでもチームは、「譲らない」と断言していたポステコグルーの志向に忠実だった。
試合前のメディア用ラウンジでは、リシャルリソンのスタメン復帰に疑問の声が聞かれた。第5節シェフィールド・ユナイテッド戦(2-1)からゴールがなく、その間に鼠径(そけい)部の手術も受けたCF(センターフォワード)の起用には、「ストライカーの頭数を増やした」と、攻撃志向の新監督による采配を茶化すような意見まで囁かれた。ところが試合後になると、リシャルリソンの2ゴールもさることながら、5試合連続で勝ち星がなくても意志を曲げず、芯のぶれないトッテナムに記者席の面々は称賛を惜しまなかった。
アンジェ・ボールの魅力を象徴する両SB(サイドバック)
筆者がベンチ前の後ろ姿を眺めていた限りでは、トッテナム指揮官が最も大きなリアクションを示したゴールは、4点差とした後半40分のPKだった。勝利の行方は、その25分前に3-0とした時点で決していたと言える。自軍と同様に多くの故障者を抱え、CLも戦うニューカッスルには、オープンな試合で打ち合いを演じる体力が残されていないことも明らかだった。とはいえ、今節を前にポステコグルーが選手たちに念を押していたのは、点を取って勝つチームらしい「説得力」をゴール前で示すこと。自らのメッセージが受け止められている事実が、情け容赦のない4点目で確認されたわけだ。
チャンスを得点に変える執念は、駄目押しのPKを決めたほかに前半の2点をアシストしてもいるソン・フンミンが、新キャプテンらしく率先して体現していた。2アシスト目をこなした同38分、相手右SBのキーラン・トリッピアーがヘディングでクリアしたボールをスローインへと見送ることもできただろう。だがソンは、生かしたボールを左サイドからドリブルで持ち込み、リシャルリソンの足もとに届けている。
もっともトッテナムには、複数のプレーヤー・オブ・ザ・マッチ候補がいた。これが、アンジェ・ボールの美点でもある。ソンの折り返しに合わせる前に、ボール奪取でチャンスのきっかけを作ってもいたリシャルリソン、4-2-3-1のトップ下起用に神出鬼没のチャンスメイクで応えたデヤン・クルゼフスキ、5試合続けて本職の左SBではなくCB(センターバック)をこなしたベン・デイビスらもその1人。なかでも特筆すべきは、デスティニー・ウドジェとペドロ・ポロの両SBだ。
いわゆる「偽SB」の域を超越してSBらしからぬプレーで貢献する姿は、アンジェ・ボールの魅力を象徴していた。揃って絞って上がる中盤から“偽8番”にもなれば、さらには“偽10番“にもなる。トッテナムが最初に相手ゴールに迫った前半4分、ボックス内に顔を出したトッテナムの5名には、彼ら両SBが含まれていた。
同26分には、実際に先制点に絡んだ。左SBのウドジェが右SBのポロから横パスを受けたのは、アタッキングサードの入り口。身体を盾にしたキープからのターンでマークを剥がすと、一旦ボールを預けたソンが左アウトサイドからドリブルで仕掛けている間にインサイドをするすると上がり、ゴール至近距離で折り返しに合わせた。
ポロは、今年1月にウイングバックとして獲得された事実が嘘のようだが、デリバリー能力は今でも生きる。チーム2点目のシーンで、トリッピアーがクリアを試みたアーリークロスはポロの右足から放たれたもの。後半15分に放ったライン越しのパスはリシャルリソンに届き、チーム3点目が生まれた。そして、指揮官も納得の4点目、自ら奪ったPKを自ら決めることになるソンへのスルーパスは、左インサイドのウドジェからパスを受けたポロが、センターサークル付近から通したものだった。
言うまでもなく、両SBの背後にはスペースが広がっている。つまりトッテナムは、繰り返しチャンスを作り出す一方で、敵にビッグチャンスを与える可能性も高い。前半7分には、ニューカッスル最初の攻撃で、MFブルーノ・ギマランイスのミドルでゴールを脅かされる状況に持ち込まれた。その2分後にカウンターを浴びた場面、グラウンダーのクロスがクリアに滑り込んだデイビスのつま先に触れていなければ、相手CFのアレクサンデル・イサクは先制機を逃さなかっただろう。
ポステコグルーがチームに植え付けたスタイルこそ現実的な復活の道
しかし、それでもトッテナムは打ち勝っていたはずだ。少なくとも、あと3点は追加できた。ボックス内でボランチのパペ・マタル・サールが枠を外し、頭か足か迷ったリシャルリソンが合わせ損ね、その合間には右ウイングで先発したブレナン・ジョンソンのシュートが2度ポストを叩いていた。4-0とした後にも、終盤にベンチを出たオリバー・スキップ、そしてソンがチーム5点目に迫った。
最終的には、後半アディショナルタイム1分に相手MFジョエリントンのゴールで一矢を報いられている。ビルドアップ失敗が招いた失点でもあった。それでも、ホーム観衆に攻撃あるのみの姿勢を悔やむ様子は皆無。スリルはもちろん、前向きなミスもアンジェ・ボールの一部と理解して、ひたすら点を取りにいく全員サッカーに酔いしれているようだった。
2008年のリーグカップ優勝を最後に無冠が続くビッグクラブにとって、アンジェ・ボールこそが、魅力的である以上に現実的な復活への道。そんな信念が、スタジアム全体から伝わってくるかのようだった。ピッチ上で、攻撃の一部と言えるプレッシングや、攻撃に転じるためのチェインシングにも精を出す選手たちからも、スタンドで声を出すファンからも。相次ぐ戦線離脱で止むを得ずブレーキはかかったものの、ポステコグルー率いる新生トッテナムは脱線などしていない。そう強く訴えかける、美しいアンジェ・ボールの勝利だった。
山中 忍
やまなか・しのぶ/1966年生まれ。青山学院大学卒。94年に渡欧し、駐在員からフリーライターとなる。第二の故郷である西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会およびフットボールライター協会会員。著書に『川口能活 証』(文藝春秋)、『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリーライオンズ』、『バルサ・コンプレックス』(ソル・メディア)などがある。