J2清水“悪夢の瞬間”に思った「高橋は大丈夫かな」 クラブ側の適切な対応は?…SNS誹謗中傷で求めたい「断固たる態度」【コラム】
J1昇格プレーオフ決勝後、痛恨PK献上のDF高橋祐治がSNS上で誹謗中傷被害に
清水エスパルスが12月6日、公式サイトで所属選手らのSNSアカウントへの悪質な投稿に対して法的措置を含めた対応を取ると発表した。2日のJ1昇格プレーオフで東京ヴェルディにPKを与えたDF高橋祐治がSNS上で誹謗中傷に晒されていることを受けたもの。当然だと思うし、遅すぎるくらい。今後このようなことが少しでも減るように、断固たる態度を見せてほしい。
試合を振り返れば、確かに高橋のプレーは軽率に見えた。PKが正しいジャッジだったかという疑問もあるが、それでもあの状況で相手ボールをスライディングで奪いにいく必要はなかった。もちろん、このプレーだけを見れば高橋が昇格を逃した「戦犯」にも思える。
90分間、高橋は悪くなかった。いや、素晴らしい出来だった。気持ちのこもったプレーでピンチを防ぎ、あのまま昇格を決めれば「立役者」の1人になっていたはず。それが、たった1つのプレーで天国から地獄へ。あの瞬間、真っ先に思ったのは「高橋は大丈夫かな」だった。
タイムリーエラーや好機での凡打など敗因が「目立つ」野球と違って、流れの中でゴールが生まれるサッカーでは敗因の特定が難しい。ただ、PKだけは別。与えた選手は、一身に失点の責任を負うことになる。高橋の場合、前線で相手にボールを奪われた選手も、縦パスを許した選手も、無関係ではない。さらに言えば、チームが試合を決める2点目を奪えなかったことも昇格を逃した原因だろう。
それでも、高橋が後半アディショナルタイムで相手にPKを与えて昇格を逃したという図式は、あまりに分かりやすい。これ以上にない「標的」になる。SNSに高橋への攻撃的な書き込みが増えることは容易に想像できたから「大丈夫かな」と思ったのだ。
心配したとおり、5日には高橋がインスタグラムで自身と妻に誹謗中傷が届いていることを明かした。サポーターや関係者に1年の感謝を伝えるとともに、誹謗中傷について「僕に送ってもらう分は大丈夫ですし、理解しています」とした上で「妻にはやめていただきたいです」と訴えた。家族にまでとは……。
思い出したのは、大宮GK南雄太の引退会見。Jリーグ通算666試合というGK最多出場記録をもって今年ピッチを去った名選手は柏時代の04年に自チームのゴールにボールを投げ入れるという「伝説のオウンゴール」を振り返り「SNSがなくてよかった」と話した。
プレーの内容も違えば、試合の状況も違うから単純に比較はできないが、南もあらゆる批判や誹謗中傷に晒された。ただ、当時は今ほどSNSが盛んではなかったから直接的な攻撃は限られた。今の状況が分かるからこそ「なくてよかった」と本音が漏れたのだろう。
インターネットが普及する前からあった選手やチームに対する「攻撃」
選手やチームに対する「攻撃」は、インターネットが普及する前からあった。古くは66年ワールドカップ(W杯)で決勝トーナメント進出を逃したイタリア代表が帰国時の空港でサポーターからトマトを投げつけられたのが有名。日本でも98年W杯から帰国したFW城彰二が水をかけられる「事件」があった。
最も衝撃的だったのは94年W杯コロンビア代表のDFアンドレス・エスコバルの惨劇。アメリカ戦でオウンゴールした同選手が帰国後、銃撃されて死亡した。犯人は「オウンゴールをありがとう」と口にしたという。世界のサッカー史に残るいたましい選手への「個人攻撃」だった。
インターネットやSNSの普及で、選手への脅威は形を変えた。直接的な攻撃は減ったように思うが、匿名性があり、容易にできるネットでの攻撃は飛躍的に増えている。城を気遣ったカズは「エースの証明。期待の表れ」と言ったが、SNSでの誹謗中傷はそのレベルを超えている。空港で物を投げつけるのがいいとは言わないが、今のほうがより悪質だ。
SNSはサポーターと選手やチームをつなぐ大切なツールでもある。応援のコメント、感動を呼び書き込み、選手やチームの決意がSNS上に踊ることもある。特に、直接応援ができなかった新型コロナ禍ではSNSの役割が大きかった。誹謗中傷などは、その一部だとは思う。が、そういうネガティブなものは拡散しやすく、問題にもなりやすい。
サッカーだけではなく、ほかのスポーツでも、いや社会全体を通してSNSによる誹謗中傷などが問題になっている。規制強化のための法整備も進んでいるが、まだまだ問題は多い。
昨年末のW杯、FIFAと国際プロサッカー選手協会はSNSの監視を行った。大会中、誹謗中傷など攻撃的なコメントから選手を守るためだ。JリーグもSNSの健全な運用のために啓発運動など行っているが、より本格的に監視体制を整える時期なのかもしれない。
SNSがサッカーと良好な関係を保って発展していくために、清水には断固たる措置を取ってほしいと思う。どのような対応をしたかについても、明らかにしてほしい。来年、高橋ら選手たちが集中して再びJ1を目指すプレーができるように。
荻島弘一
おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。