セルティック凱旋を果たした中村俊輔の真意 「パワースポット」への巡礼
「街を歩いているだけでパワーをもらえる感じがする」
確かにこの日、セルティックが欧州CLのトーナメント・ステージの常連だった俊輔の在籍時、常に本拠地を埋め尽くしていた5万2000人の大観衆は半減していた。
2012年7月、毎シーズン、熾烈なタイトル争いをしていた最大のライバル、レンジャースが破産して4部リーグに降格して以来、セルティックはドル箱だったグラスゴーのローカル・ダービー相手を失い、そこからスコットランドのサッカーは地盤沈下し続けている。
しかしこの日は、数は半減したが、かつてのように咆哮のような『NAKA』コールが起こった。そして割れんばかりの拍手歓声が続き、予想通り、俊輔のカムバックは熱狂的な歓迎で迎えられた。
大スクリーンには、あのマンチェスター・U戦でのフリーキックも映された。
セルティック在籍時、俊輔本人はあのゴールが代名詞的な扱いを受けることに対し、「流れの中でゴールを決めようと思っていた。あいつはフリーキックだけだって思われたくなかった」と考えていたという。
しかし今では、「ヒースローの税関でパスポート出すと『あっ、お前はマンチェスター・Uの!』と、いまだにいわれて、すぐに通してくれる(笑)。そういう時、やっぱあのゴールは重要だったんだなと思う」と話して、素直に喜ぶ余裕もできた。
あのゴールはまさに伝説で、セルティック・サポーターはまるで昨日の出来事のようにあのゴールを語っている。あの興奮、喜びをまだ生々しくもっている人達のところに帰ってきた、それがこの場所がパワースポットと感じるところじゃないだろうか。そうたずねると俊輔はいった。
「そうなんじゃないかな。別におだてられに来たとか、わーっといわれたいという、そういうことのために来たわけじゃないんだけど。でも今日のスタジアム、いや街を歩いているだけで、なんかパワーをもらえる感じがする。
まあほんとだったら、苦しんでいたエスパニョールの試合を見たりとか、そういうのもひとつ選手として刺激になるのだろうけど。ここでおれは成功するはずだった、みたいな。
でも街歩いていても『NAKA』とか呼ばれる、そんなのは日本じゃありえないし。ヨーロッパの、こういう(歴史的な)チームでできたというのは、(自分の)人生の中でも大きなことだと思います」
かつての自分がサッカー選手として最高のプレーをした土地。そこには中村俊輔に対する大きな愛と敬意がひとつの大きなポジティブな力となり、強烈な磁力となって、現役を続けるために刺激を求めた俊輔本人を引きつけた。
このパワーをしっかり充電し、日本に持ち帰ることで、俊輔自ら「自分が育った街で、そこのクラブでまだやれている」と愛着を語る横浜F・マリノスで来季もプレーを続けることだろう。
いや、願わくばこの大きなパワーが、来季だけではなくさらに数年間、新たな伝説を生み続ける原動力となって欲しいものである。
【了】
森昌利●文 text by Masatoshi Mori
ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images