「伸二についていこう」 “黄金世代”の守護神、盟友・小野の引退に何を感じた?「欧州のトップ・オブ・トップで…」【インタビュー】
南雄太が見た小野は「味方にいてこれほど頼もしいと思った選手はいない」
J2大宮アルディージャに所属する44歳のGK南雄太はJリーグ通算666試合出場の記録を残し、今季限りで26年のキャリアに幕を閉じた。そして、ともに1999年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)に出場し、準優勝を果たしたMF小野伸二(コンサドーレ札幌)も今季限りでスパイクを脱ぐ。盟友・小野の引退を南はどのように受け止めたのか。
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「僕ら1979年組の選手たちはLINEのグループを作っているので、そこで伸二が公式の発表より少し前に引退を報告していました。もちろん本人の決めたことなので尊重すべきことですけど、やっぱり一緒に戦ってきた仲間として残念という思いはあります。1秒でも長く現役でいてほしい、1秒でも長くプレーを見ていたいという人はたくさんいると思いますからね。これで僕らの世代はヤット(遠藤保仁/ジュビロ磐田)と稲本(潤一/南葛飾SC)だけになってしまいます。やっぱり寂しいですよね」
南と小野は1999年のワールドユースに出場し、準優勝を果たした“黄金世代。プロ入り後に同じクラブでプレーすることはなかったが、高校時代には南が静岡学園高、小野が清水商業高と静岡の強豪校でしのぎを削り、静岡県選抜ではチームメイトとして戦った仲だ。
南は小野を「味方にいてこれほど頼もしいと思った選手はほかにいない」と語る。
「もちろんサッカーの技術とか戦術眼は飛び抜けたものがあります。でも、それと同じぐらい人間性の部分でも優れていて、人を魅了する選手です。何よりも一緒にサッカーができて良かった。県選抜の国体で優勝しましたし、ワールドユースも準優勝。一緒に戦っている時はほとんど勝ったことしかないんじゃないかというくらい、いい思い出しかありません」
遠藤保仁や稲本潤一など、その後の日本代表を支えるようなタレントが揃う79年組の中でも、小野はこの世代の先頭を走る象徴的な存在だったという。
「伸二は本当に僕らの世代のリーダーでした。みんなが『伸二についていこう』という思いを持っていました。その思いで切磋琢磨してきたからこそ、自分たちの代にはあれだけいい選手が多く生まれてきたんじゃないかなと思います」
そんな小野のキャリアを語るうえで、多くの人が口にするのが99年のシドニーオリンピック予選フィリピン戦で負ったの左膝靭帯断裂という大怪我だ。これを機に小野は選手生活を通じて度重なる怪我に苦しめられることになる。南も「あの怪我がなければと思ってしまいますよね」と、小野が怪我をしなかったもう1つの世界線へと思いを馳せていた。
「日本人で最初にヨーロッパのトップ・オブ・トップでやれる可能性があった選手だったと思います。見てみたかったですよね。それこそバルサ(FCバルセロナ)とかレアル(・マドリード)でプレーする伸二の姿を」
多くのサッカーファンに夢と希望を与えた小野。同世代の南にとっては戦友であると同時に憧れでもあり、そして道標のような存在だったようだ。
[プロフィール]
南雄太(みなみ・ゆうた)/1979年9月30日生まれ、神奈川県出身。静岡学園高―柏―熊本―横浜FC―大宮。J1通算266試合、J2通算400試合。安定感のあるセービングと的確なコーチングで守備を引き締めた“黄金世代”の守護神。Jリーグ通算666試合出場はGKのリーグ最多出場記録を誇る。プロ26年、今季限りでの現役引退を表明した。
(石川 遼 / Ryo Ishikawa)