アジアカップ制覇の鍵は「ラッキーボーイ」 李忠成が語る2011年大会優勝と伝説ボレー弾誕生の舞台裏
DAZNの新企画で回想
アジア最強を決めるアジアカップが、2024年1月12日から2月10日に開催される。スポーツチャンネル「DAZN」の番組「内田篤人のFOOTBALL TIME」内では、過去のアジアカップを振り返る新企画がスタート。第1回目では今季限りでの現代引退を表明した元日本代表FW李忠成が、日本が最後に優勝した2011年大会のアジアカップ決勝を振り返った。
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アジアカップ決勝で決勝ゴールを挙げる活躍を見せた李だが、この大会までは日本代表に招集されていなかった。それでも、大会前年のJ1リーグ終盤に12試合で11得点を記録。「その年、調子も良かったですし、点も取り続けていたので。その流れで代表でも点を取り続けたいと思っていた。選ばれて良かったです」と、当時イタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督が率いていた日本代表に初選出されたことを振り返った。
李には早速、初戦のヨルダン戦で出場機会が与えられる。日本が前半終了間際、ヨルダンに先制を許す苦しい展開となる。李は後半のスタートからピッチに送り込まれた。「45分を与えられたのであれば、点を取れなかったら終わりだなと思っていました。人生、ここで終わってしまう」と、危機感を持ちながらプレーしていたことを明かした。
試合終盤、李には絶好のチャンスが来る。MF遠藤保仁のロングボールをDF吉田麻也が競り勝ったところ、折り返しが李の下にくる。しかし、トラップでボールを上手くコントロールできず。それでも転がったボールを右足でシュートしたが、GKに阻まれた。吉田のゴールでヨルダン戦を1-1の同点に持ち込んだものの、A代表デビュー戦でアピールのチャンスを逃した李は、その後、チームが苦しみながらも勝ち進むなかでチャンスが与えられなかった。
「出ている選手も結果を出しているし、パフォーマンスも良いので、なんであの選手が出て、俺が出られないんだろうということはなかった。割り切っていたところはあるかなと思います。途中から入ったりとか、疲労が蓄積した時に出番がくるんだろうなと。普通だったら、あの長い期間、少し不貞腐れたり腐ったりすると思いますが、そのマネジメントはザックが上手かったと思います」
ザッケローニ監督は「声をかけるよりも目を見てくるんです」と、李はイタリア人指揮官のマネジメントについて明かした。特別な言葉をかけられた記憶はなかったが、練習後などに肩を掴まれ、目を見て揺さぶられたりすることで「やるしかないなっていう気持ちになりました」という。「だから、不貞腐れることはありませんでした。チャンスをもらったら次は決めてやるというポジティブな気持ちしかなかった」と、李は当時の心境を思い起こした。
内田と長友にニアへの早いクロスを要求
苦しみながらも決勝に勝ち上がった日本は、オーストラリアと対戦。当時のオーストラリアはMFティム・ケーヒルやMFハリー・キューウェルらを擁し、歴代最強の呼び声も高かった。そんな相手と日本は死闘を演じ、90分を過ぎても得点は入らず。アディショナルタイム8分、李に初戦以来となる出場機会が与えられた。
「不貞腐れることはなかった」という李だが、1か月にも及ぶ長期の大会で出番を待ち続けることは簡単ではなかった。「やっと来たかという気持ちでしたね、この時は。『遅いよ、ザック』っていう気持ちでした」と、ピッチに入る時の心境を振り返った。
この時、ザッケローニ監督から与えられた指示は「点を取ってこい」だったという。「多分、クロスからしか入らないと思っていた」という李は、DF長友佑都とDF内田篤人の2人に指示を送っていたという。
「ウッチーが覚えているか分かりませんが、『俺にクロスを上げてくれ。ニアに速いボールを』って。佑都にも言っているんです。『ファーには(本田)圭佑なり、オカ(岡崎慎司)なりがいるから』って」
その言葉通り、李はニアを狙って動き、両サイドバックもニアにボールを入れていた。この動きが伏線となった。決勝ゴールが生まれた延長後半4分、それまでニアに走り込んだ李は相手の警戒心が高まっていることを感じていた。「ニアにずっと突っ込んでいたので、最後のゴールシーンはニアに行くフリをして止まったんです。だからDFはニアに行ったんです。なんであそこ、フリーになっていたかは、そういうことなんです」。
左サイドの長友からゴール前にクロスが上がった時、フリーになっていた李は左足を振り抜き、ボールをゴール左上に突き刺した。「時が止まるというのは、こういうことなのかと。ボールの縫い目がしっかり見える形でボールを叩ける感覚になったのは、あれが初めてです。みんなから『なんでトラップしなかったのか?』と言われますが、簡単だったからなんです。ボールが止まっていたので」と、完全にフリーになった状態で本来は難易度が高かったはずの1タッチシュートを選択した理由を明かした。
「蹴った時に感触で分かるんです。『いいな』と。ボールが(足を)離れた時に僕はもう『入る』と分かっているので、映像を見てもらうと分かると思いますが、ゴールに(ボールが)入る前に僕(ベンチに喜びに行くために)振り返っていますから。それくらい『ああ、入ったな』と思っていた」
アジア大会制覇の鍵は「ラッキーボーイ」の出現
ゴールを決めた李は自身を起用してくれた指揮官のいるベンチに向かって走ろうとしたが、本田にラグビーのようなタックルを受けると、その後もMF長谷部誠や岡崎が次々と飛び掛かってきた。ピッチ上の誰もが先制ゴールを挙げた李と喜びを分かち合いたかったのだ。
喜びを爆発させていたが、この時の心境は「嬉しいよりも、ホッとした」というものだったという。「1戦目、僕のせいで引き分けてしまって、予選突破をすごく難しくしてしまった。それでも結果でチームを救うことができた。まず僕に賭けてくれたザックのところに走ろうと思ったら、圭佑がラリアットみたいな形で来たんです(笑)。それからみんなも来て、もみくちゃにされたっていう感じでした」と、歓喜の輪ができた背景を明かし、「あれはあれで嬉しいですけどね。その後、しっかりザックにもハグできたので」と、回想した。
2024年1月、カタールで再び日本代表はアジア制覇を目指して戦うことになる。李は「大会中に成長すること。決勝トーナメントからの僕たちは日替わりのようにヒーローが生まれたんです。伊野波(雅彦)が点を取って、細貝(萌)が点を取って。そういうふうにラッキーボーイが出てこないと、ああいう大会は優勝できない。その2つの要素が優勝するポイントだと思います」と、大会中の成長とラッキーボーイの出現を鍵に挙げた。