菅原由勢に「ポスト長友」が務まる3つの理由 ムードメーカーだけじゃない日本代表としての役割【コラム】

森保ジャパンに定着した菅原由勢【写真:徳原隆元】
森保ジャパンに定着した菅原由勢【写真:徳原隆元】

長友がもたらした日本代表への影響

 第2次森保ジャパンとしての活動が始まってから、おおよそ半年が経過した。日本代表は6月シリーズから6連勝を飾り、うち5試合で4得点以上をしている。9月はドイツ代表にも快勝した。

 向かうところ敵なしの勢いで、過去最強との呼び声も高い。一方でチームに浮ついた様子は全くなく、非常に引き締まった雰囲気が漂っている。そんな中、時折耳にするのが「ポスト長友は誰だ?」という問いだ。

 カタール・ワールドカップ(W杯)を終えてから、それまで長く日本代表を支えてきた吉田麻也や酒井宏樹、長友佑都、川島永嗣といったベテランたちは招集されていない。彼らがいないチームの練習は、確かに少し静かになった印象を受ける。

 ゆえに長友の後継者不在を心配する声のほとんどは、「ムードメーカーとしての長友」を意識しているはずだ。この原稿も、そういった意図で依頼されたものだと解釈している。

 だが、個人的な意見として「ムードメーカー」としての長友の後継者ならば、第2次森保ジャパンには必要ないと考えている。

 大声で練習を盛り上げて、重要な大会や試合の前になると髪を染めて現れ、メディアの前で積極的に発言する長友は、間違いなく日本代表のムードメーカーだった。ただ、それらは彼なりのメディア戦略的な側面もあったのではないか。明るい雰囲気を作って、メディアを通してファン・サポーターにそれを見せ、日本代表への興味関心を惹くための「戦略」である。

 結局のところ、我々はごく一部しか目にすることができない。日本代表における長友の役割としてムードメーカー的な部分は間違いなく重要だったが、真に重要なのは彼が我々の見えないところで伝え続けてきたであろう日本代表としての誇りや信頼、責任ではないだろうか。

 そして、もし「ポスト長友」と呼べる人材が必要ならば、その選手に求められるのは、日本代表として戦ううえでの覚悟や責任感をピッチ内外で体現し、対外的に発信していけること。さらに付け加えると、チームキャプテン以外にそういった選手が常にいる意味は大きい。

 長友が10年以上にわたって、監督が代わっても日本代表で重宝されたのはなぜか。プレー面のクオリティーを高いレベルで維持してきたのはもちろんだが、プレー以外の面でも周囲への影響力を持ち、仲間たちのみならずチームの外からも信頼されていたからではないだろうか。

 カタールW杯までの過程で、長友のプレーは常に批判の対象だった。おそらく相当なプレッシャーを感じながらプレーしていただろう。それでも彼は信念を曲げなかった。2022年2月、アジア最終予選突破に向けて勝ち点3が必須だったサウジアラビア代表戦に先発起用されたベテランのサイドバック(SB)は、獅子奮迅の活躍でチームの完封勝利に大きく貢献。W杯本大会出場権を獲得するために極めて重要な勝利を飾った試合の後、彼は言った。

「これだけ批判を浴びて、日本代表への想いがなかったら普通逃げますよ。だけど、やっぱりW杯で戦いたいという自分の夢は変わらない。今日は生きるか死ぬかで、『今日ダメだったら代表ではダメだな』と自分は思っていましたし。なので、気合いが入りましたね」

 鬼気迫るプレーの数々は、日本代表とW杯に懸ける長友の「魂の叫び」だった。国を背負うことの誇りや責任感をサッカーに映し出し、見る者を感化できる存在は極めて貴重だ。日本代表が「ただサッカーが上手いだけの集団」なら、熱狂は生まれない。

 長友がサムライブルーのユニフォームを着る機会は、もうないかもしれない。ならば次は誰が“魅せて”くれるのか? 第2次森保ジャパンに招集されてきた選手の中で、筆者が期待を寄せるのは菅原由勢である。

 2000年生まれの菅原はU-15から各年代別代表に名を連ねてきた。2017年にはU-17W杯、2019年にU-20W杯と、すでに世界の舞台を2度経験している。カタールW杯出場は逃したものの、今年に入ってA代表に定着した。

ファンサービスする菅原由勢【写真:舩木 渉】
ファンサービスする菅原由勢【写真:舩木 渉】

19歳の菅原が見せたAZを背負う責任感

 初めて取材した17歳の頃から他の選手とは違った魅力を感じていたが、その感覚が確信に変わったのは2019年10月のことだった。UEFAヨーロッパリーグ(EL)でマンチェスター・ユナイテッドと対戦した翌日、ある雑誌から依頼を受けて菅原のインタビューを録るため筆者はAZアルクマールの練習場へ向かった。

 実はその時、菅原本人とは取材の約束をできていたが、クラブ広報から確約をもらえていなかった。案の定、練習場に着いたら広報から「試合翌日で疲れているからNG」と言われてしまった。ところが、菅原が「せっかく来てくれたし、僕は大丈夫なのでやりましょう」と広報を制し、クラブ側も渋々「30分だけなら」と許可を出してくれた。

 そうしたメディアに対して壁を作らず、自分の考えを積極的に発信しようとしてくれる菅原の姿勢は今も昔も変わらない。だが、驚いたのはその後だ。クラブハウス内のカフェテリアでインタビューをしていると、どこからか現れた少年が菅原に「写真を撮ってほしい」とお願いしてきた。

 すると彼はインタビューを中断して、おそらく知的障害があると思われる少年が満足するまで写真やサインに応じたのである。19歳にしてAZというクラブに所属するプロサッカー選手であること、地域の象徴として、そして日本人の代表として見られることの意味や、自分が果たすべき役割を深く理解した行動に感銘を受けた。

 あれから4年が経ち、いまや菅原はAZの現所属選手たちの中で「AZで最も多くの公式戦に出場した選手」になった。在籍5年目を迎え、チームリーダーの1人としても期待されている。

 移り変わりの早い現代サッカー界においては、同一リーグで100試合以上出場することも決して簡単ではない。菅原の1つのクラブで公式戦171試合出場は偉業と言っていいだろう。もちろんステップアップしていく選手もいるが、プレーするクラブの格を下げなくてはならない選手の方が多い。そんな世界で、5シーズンにわたって信頼され続けているのである。

「オランダリーグについて皆さんがどう考えているかわからないですけど、AZはそれなりにビッグクラブなので、そこでこれだけ試合に出るのは簡単じゃないと思います。AZでの出場数はしっかり積み重ねられているし、その中でしっかり成長させてもらっているので、何かしらいい形でクラブに恩返しできたらなと思っています」と語った23歳は、こうも言う。

「ステップアップしたいという意思は見せていましたけど、それが叶わなかったら自分の責任。そこはしっかり割り切って、自分が置かれている立場でできることをやって、できる限りの成長をしなければいけないし、いい選手になるためのアプローチをしなければいけない。もちろんAZでいろいろ経験させてもらったからこそ、精神面的にチームを支えていかなければいけないというのも感じています。けど、結局はピッチ上でのパフォーマンスで周りの選手がついてくるのかなと。今までもこれからも連戦はありますけど、パフォーマンスを落とさずしっかりやり続けることが周りの選手にも影響を与えていくし、その中でいろいろ発言していけばもっと説得力が生まれる。そこはしっかり責任感を持ってやっていければなと思います」

 菅原は所属クラブで信頼され、責任を果たしてこそ日本代表でプレーするチャンスが得られると理解している。AZでリーダーとしての自覚を磨きながら、地続きの代表で自らに与えられる役割や責任をどう捉えているのか。10月のチュニジア代表戦を終えた後に、直接その問いをぶつけた。すると、彼は次のように答えた。

「まずクラブで試合に出てパフォーマンスを発揮しないと、日本代表での信頼は勝ち取れない。(クラブで結果を)出したうえで、『じゃあ、代表のピッチではどうなの?』と。気の緩みは一切ないし、クラブに帰ったからどうとかも何もない。本当に毎試合が勝負だと思っているし、本当に最後の試合だと思っているので、それは続けていきたいし、もっといい選手になれるように頑張りたいです」

菅原が4年前から一貫するW杯への思い 「優勝するための大会」

 では、継続的に招集されるようになって日本代表に対する考え方に変化は生まれているのか? その問いに菅原は「最初から変わらないですよ」と返す。

「日本代表は特別なものだし、誰もが背負えるわけではないので、責任感も伴う。その中で自分のパフォーマンスが本当に日本のために力になるかを見つめ直したし、日本代表が勝つために自分がどう生きるかというのは、より考えるようにはなりました。でも、日本を背負う覚悟やプライド、責任感は最初からある。今日(チュニジア代表戦)も試合前の『君が代』の時に気合いが入ったし、やっぱりああやって日本を代表して『君が代』を歌えるというのは、僕にとったらかけがえのない名誉なんです。それをしっかり歌い続けられるように、毎日毎日積み重ねて、満足せずにやっていきたいと思います」

 まさに「ポスト長友」の選手に求めたい向上心と責任感あふれるマインドが、菅原には備わっている。そう感じるのに十分な答えだった。発信力も申し分なく、誰とも壁を作らない彼ならムードメーカーにもなれる。まだ23歳と若く、今後10年間の日本代表を引っ張っていく選手の1人になる資質に溢れている。

 ここで先ほど挙げた2019年のインタビューで、19歳の菅原が「日本代表」についてどんなことを言っていたか引用しよう。「W杯でレギュラーになって決勝に行って、優勝すること。それはサッカーをやっている日本人選手なら必ず持っていなければいけない目標であって、それくらい日本という国にプライドを持っていい」と語った彼は、こう続けた。

「W杯優勝を実現するためにサッカーをやっていますし、日本代表はその目標を実現するために国を背負って戦っていると思います。W杯は優勝するために出るもの。いい勝負だった、よく頑張った、というのも大事ですけど、やっぱり優勝するための大会なので、僕はW杯を『優勝しなきゃいけないもの』だと思っています」

 森保ジャパンはカタール大会後から明確に「W杯優勝」を目標に掲げるようになったが、菅原は遅くとも4年前の段階ですでに「優勝」を見据えていた。これから所属クラブと日本代表でフル稼働するとなると、過酷な移動なども挟みながら年間50試合以上をこなさなければならないが「もちろん身体の状態が難しくなっていくのは事実ですけど、それと向き合いながら試合をしていかなければならないのは代表選手のさだめだと思っている」と覚悟は決まっている。

 チュニジア代表戦を終えてオランダに戻った菅原は、代表ウィーク明け初戦となった現地21日のヘーレンフェーン戦にも元気に先発出場し80分プレーした。今季はすでにクラブだけで公式戦15試合に出場し、全て先発している。それでもまだまだ“序盤”だが……。

「まあ、年間50試合くらいは余裕ですよ。もう週2で試合をしても、そのサイクルになっているので大丈夫。まだまだいけるっしょ! 100試合くらい出ますよ!(笑)」

 このタフさも「ポスト長友」にふさわしい。日本代表の誇りと責任をピッチ内外で体現し、信頼を深めていく菅原の挑戦は「W杯優勝」まで続いていく。偉大な先輩が叶えられなかった夢を追いかけ、それを現実のものにしようと野心とともに突き進む若者への期待は膨らむばかりだ。

(舩木渉 / Wataru Funaki)



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舩木渉

ふなき・わたる/1994年生まれ、神奈川県逗子市出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。大学1年次から取材・執筆を開始し、現在はフリーランスとして活動する。世界20カ国以上での取材やカタールワールドカップ取材を経験し、単なるスポーツにとどまらないサッカーの力を世間に伝えるべく、Jリーグや日本代表を中心に海外のマイナーリーグまで幅広くカバーする。

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