ポステコグルーが抱えた代表監督時代の苦悩 W杯を前に離れた理由を明かす「自分のやっていることを楽しめなかった」

オーストラリア代表時代のアンジ・ポステコグルー監督【写真:Getty Images】
オーストラリア代表時代のアンジ・ポステコグルー監督【写真:Getty Images】

ロシアW杯本戦を前に代表監督を辞任

 イングランド1部トッテナムを率いるアンジェ・ポステコグルー監督は2018年、ロシア・ワールドカップ(W杯)の出場権獲得後にオーストラリア代表監督を辞任した。その後、J1横浜F・マリノス、スコットランド1部セルティックの監督を歴任し、今夏にプレミアリーグの舞台にやってきた指揮官は、当時の決断の理由を明かしている。英紙「デイリー・ミラー」が報じた。

 ポステコグルー監督は2013年10月、すでにブラジルW杯出場を決めていたオーストラリア代表の監督に就任。ブラジルW杯ではグループリーグ敗退に終わったが、翌15年に自国開催のアジアカップでチームを初優勝に導いた。

 さらに18年ロシアW杯予選では大陸間プレーオフの末に出場権を獲得。しかしプレーオフから2週間後に監督を辞任したため、W杯で2度目の指揮を執ることはなかった。

 その後、17年12月にJ1横浜FMの監督に就任し、19年には15年ぶりのJ1リーグ優勝。さらに21年からスコットランド1部セルティックを率い、リーグ2連覇を達成するなど着実に結果を残し、今夏からトッテナムを率いている。

 そんなポステコグルー監督が、ロシアW杯での指揮を諦めた理由を明かしている。

「私がW杯から離れた理由は、自分のやっていることを楽しめなかったからだ。私は初めから言っていたように、重要なのはサッカーで勝つことだけではない。それがより進歩的な目的を持つことが必要で、オーストラリアでの私の目的はオーストラリアのサッカー変えることだった。だが、私はそれが実現できるとは思えなかった」

 ポステコグルー監督はオーストラリアのサッカー界が長期的な計画を立てず、それでいて短絡的な結果ばかりを求める状況に疲れ果てていたという。オーストラリアではサッカーに比べ、オーストラリアンフットボール(オージーボール)やラグビー、クリケットといったスポーツの人気が高く、そうした環境でキャリアを積み上げることに限界を感じていたようだ。

「多くの人にとって(W杯は)最大の夢だが、私はそれを諦めた。だが、私にはそれが正しい決断だと分かっていた。もしあの決断をせずにW杯終了後まで待っていたら、私は今ここには座っていなかっただろう」

 また、ポステコグルー監督はセルティックやトッテナムのようなビッグクラブに来なければ、今でもイングランドでは無名の存在だっただろうと話していた。

「私は7年前にサンダーランドでイングランド代表と戦った。だが、あなたたちの意識のなかで私のことに気づいたのはほんの1年前のことだろう。(トッテナムでインパクトを残せるか?)それはわからない。皮肉ではなく、私はその戦いを諦めたんだ。長い間、それが私にとってのフラストレーションだった」

 アジア王者という実績も残したポステコグルー監督だが、それでも4年間にわたる代表チームの指揮では「結局、何のインパクトも残せなかったと感じた」と率直な思いを明かしている。

 オーストラリアはカタールW杯でベスト16に進出。さらに今年はニュージーランドとの共催で女子W杯が開催され、ベスト4に躍進するなどサッカー界の発展の機運が高まっている。しかし、ポステコグルー監督は当時、相当な気苦労を抱えながら監督を務めていたようだ。

(FOOTBALL ZONE編集部)



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