伊藤敦樹が浦和の新たな“看板”へ ACLから世界へ―遠藤航の系譜を継ぐことができるか【コラム】
日本代表としてトルコ戦に先発出場、ゴールを決めた伊藤
9月のインターナショナルマッチデー(IMD)が明け、15日からJリーグが再開。5月の2022年AFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇に続き、2023年J1のダブルタイトルを狙っている浦和レッズは、本拠地・埼玉スタジアムに京都サンガを迎えた。だが、内容的に押し込みながらゴールを奪えず、スコアレスドロー。勝ち点2を逃す悔しい結果になった。
日本代表のドイツ(ヴォルフスブルク)・トルコ(ゲンク)2連戦に参戦していた伊藤敦樹も後半からピッチに立ち、岩尾憲とダブルボランチを形成。長短のパスを臨機応変に供給するなど、ゲームに変化をもたらした。トルコ戦で見せたような自身のゴールこそ奪えなかったが、超過密日程にめげることなく、タフさと逞しさを見せつけた。それは特筆すべき点だったと言っていい。
そして伊藤は次なる大きな戦いに挑む。それは、2023-24シーズンのACL。武漢三鎮、ハノイFC、浦項スティーラーズと同組に入った浦和は20日に敵地で武漢と戦うことになっているのだ。
短期間でドイツ→ベルギー→日本→中国という大移動を強いられるのは、一般人でも非常に厳しいが、真剣勝負の続くサッカー選手にとっては負担が大きい。しかしながら、代表選手というのはそういった心身両面のストレスや重圧を乗り越えなければならない。
欧州組はIMDのたびに日本やアジアへ移動を余儀なくされている。週末のクラブの試合が終わってすぐに帰国し、2戦を終えた後、寝る暇もなく移動して、数日後にリーグ戦に出るというハードスケジュールをこなしている。「欧州移籍予備軍」と言われる伊藤にとっても、今回の過密日程はキャリアのプラスになるだろう。
もちろん、未来を考える前にやらなければならないのが目の前の試合に勝つこと。ACL連覇という偉業を達成したチームは過去のJリーグ勢にはない。もちろん同じ年にACLとJリーグのダブルタイトルを手にしたチームもない。浦和は目下、千載一遇のチャンスに直面している。だからこそ、代表として高いレベルの経験値を積み重ね始めている伊藤は結果を残し、チームを飛躍させる責務があるのだ。
「代表から帰って自分の存在をレッズで示していかないといくことが自分の使命でもあると思う。本当にレッズを勝たせられるような選手になっていきたいです」と本人もトルコ戦後に語っていたが、代表活動に参戦したことで彼自身、飽くなき向上心が高まったはずだ。
「トルコ戦はドイツ戦で試合に出られなかった選手たちが多くスタメンに使われましたけど、みんなギラついていたし、自分もモチベーション高く試合に入れました。競争も厳しいですし、前向きないい意味でギラつき感もありました」と伊藤自身も認めていた。
実際、彼の場合、同じポジションに30歳でリバプールに移籍した遠藤航、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)経験者の守田英正(スポルティング・リスボン)、同じ25歳で森保一監督からキャプテンマークを託された田中碧(デュッセルドルフ)がいる。それゆえ、生き残るのも必死。目線が高くなるのも当然と言っていい。
「トルコ戦の後半、自分と代わった(遠藤)航さんの存在感というのは自分が目指すべきところだと思います。あのくらいの存在感を守備で出せて、攻撃でももっと前に出ていくことができれば、もっともっと怖い選手になれる。それは今回、2週間くらい一緒にいさせていただいて学んだことですね。ああいう選手が近くにいるのは自分にとって本当に有難いので、盗めるところは盗んで成長できるようになりたい。ああいうそんざいかんをまず自チームで出して、また代表に選ばれて、代表でも出せるようになっていきたいと思います」
伊藤の前に立ちはだかる遠藤 追いかけるべき明確な目標
伊藤の発言は偽らざる本音だろう。浦和の先輩でもある遠藤航はご存知の通り、2018年ロシアワールドカップ(W杯)では出場機会を得られず、25歳で欧州挑戦へ踏み切り、ベルギーからドイツ、イングランドへと上り詰めていった。シュツットガルトを2部から1部に昇格させ、デュエル王に君臨し、さらにはキャプテンまで務めるというのはそうそうできることではないが、そういう選手だけが2022年カタール・ワールドカップ(W杯)で大活躍でき、世界最高峰リーグにステップアップできるのだ。
かつての稲本潤一(南葛SC)を彷彿させるスケール感とフィジカルの強さ、パンチ力あるシュートと攻撃参加を備えた伊藤敦樹には、遠藤の系譜を継ぐことができそうな予感が大いに漂う。遠藤航も2017年ACL制覇を経験し、そこから代表での基盤を築いていったが、伊藤も今回のACLをそういうステップの場にしたいところだ。
浦和には西川周作や酒井宏樹ら代表経験豊富な30代のベテラン、岩尾憲のように他クラブで長くキャプテンを務めた選手もいて、伊藤が前面に出てチームをリードする必要はこれまでなかったかもしれない。だが、これからは周囲の見る目も変わる。
「浦和の新たな看板」として、環境面含めて難しい中国・武漢の地で異彩を放つところからスタートしてほしいものである。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。