岩渕真奈15歳に世界衝撃、愛された人懐っこさ「ウチらは下手っぴ」 熊谷紗希と号泣した日「やっぱり悔しい」【コラム】
15歳で世界的な脚光を浴びた岩渕、体格差のある相手を小気味いいドリブルで翻弄
なでしこジャパン(日本女子代表)で長らく活躍し、女子ワールドカップ(W杯)に3度出場したFW岩渕真奈が、9月1日に30歳で現役引退を発表した。代表で10番を背負い89試合36ゴールの成績を残したアタッカーは、日本女子サッカー史に名を刻んだ。国内外で実績を残した「ぶっちー」(岩渕の愛称)の紆余曲折に富んだキャリアを、当時のエピソードや写真とともに振り返る。(文=早草紀子/第1回)
◇ ◇ ◇
現日テレ・東京ヴェルディベレーザの下部組織である日テレ・メニーナで当時プレーしていた岩渕真奈は、「すごいいい選手がいる」と噂になっていた。
貫禄があるわけではないが、なぜか目が離せない。岩渕がボールを持って仕掛けると、期待感がひとりでに膨らむ。そんなワクワク感をもたらすことができる選手だった。のちの活躍を考えれば必然ではあるが、とにかくのびのびと楽しそうにプレーする――それが初めて見た岩渕に抱いた感情だった。
その名前が大きく世に報じられたのは、2008年のU-17女子ワールドカップで大会MVP(ゴールデンボール)を獲得した際のことだった。この時、岩渕はわずか15歳。すでにU-17日本代表で10番を背負っていた。
国際サッカー連盟(FIFA)としては初の試みとなるU-17世代の世界大会。そこでひと際小柄な岩渕が体格差のある相手を、小気味いいドリブルで華麗に抜き去り、クイックシュートでゴールを決める様は世界の女子サッカー界にとてつもない衝撃を与えた。おそらく日本国内よりも先に海外メディアが岩渕を大絶賛した。ベスト8で姿を消した日本から大会MVPが選出されるなど、あとにも先にも聞いたことがない。
1つ上のカテゴリーU-20で世界の洗礼、各国の「IWABUCHI潰し」に悪戦苦闘
翌年からは飛び級でU-19日本代表に招集され、ここから長くともに世界と戦うことになる熊谷紗希(ASローマ)とチームメイトとなった。この頃はとにかくボールを蹴ることが楽しくて仕方ない様子で、たとえ2部練習が続いても「ウチらは下手っぴなのでもっと練習したほうがいいんです(笑)」と、スタミナにはあまり自信がないなかでもへこたれない負けん気の強さを見せていた。
とにかく彼女がいるところには笑い声が絶えない。ムード作りを心掛けているというわけではなく、その人懐っこさがトレーニングのちょっとした隙間に発揮される。ユース年代は年が近いためフレンドリーなチームが多いが、最年少というギャップを感じさせない馴染み方を見せていた。
ただし、サッカーの上ではカテゴリーを1つ上げたU-20女子W杯(2010年)でしっかりと世界の洗礼を受けた。
すでに「IWABUCHI」のポテンシャルの高さは各国に知れ渡っている。当然のことながら、ボールを持てばあっという間に囲まれた。真っ向勝負に持ち込めない時、相手の狙いを打ち砕く秘策がまだ備わっていない時期だ。全チームが施してくる“IWABUCHI潰し”に思うようなプレーはできず、日本もグループリーグ敗退という結果に終わった。
泣き崩れる熊谷、岩渕の目から涙「もっと頼られる選手になりたい」
U-20女子W杯の最終戦は同時刻開催の他カードの結果次第で決勝トーナメント進出の可能性も残されていた。逃したその差は勝ち点1。快勝したものの、終了直後に敗退を知らされると岩渕の目から涙があふれ出た。
チームメイトから離れ、気持ちを落ち着かせてベンチまで戻ってきた岩渕の表情が再び崩れた。その視線の先にはこちらも泣き崩れるキャプテンの熊谷がいた。2人で号泣しながらも抱いた想いは、なでしこジャパンへの道へつながった。
苦い経験ではあったが、帰国直後の岩渕は先を見据えた何かを手にしたように見えた。
「自分は多分ドリブルしかできないんですよね(笑)。今大会では何枚もマークに付かれて、その時に何かしらしたいんですけど、できなかった。U-17の時とは違いますね。自分で何ができるのかと同時に、チームとしてどう戦うのか、いろいろ考えた大会でした。でも、やっぱり悔しい! もっと頼られる選手になりたいです」
岩渕はこの言葉どおりの成長を遂げていくことになる。
※第2回へ続く
[プロフィール]
岩渕真奈(いわぶち・まな)/1993年3月18日生まれ、東京都武蔵野市出身。2005年、日テレ・ベレーザの下部組織メニーナに加入し、07年に14歳でトップデビュー。08年にリーグ新人王を受賞し、同年のU-17女子W杯で3試合2ゴールの活躍を見せ、ベスト8敗退も大会MVPを受賞。10年に16歳でA代表初招集を受け、同年2月6日の中国戦でデビュー。12年11月にホッフェンハイム、14年5月にバイエルン・ミュンヘンへ移籍。負傷が続いたなか、17年6月にINAC神戸レオネッサ移籍で国内復帰し、20年12月にアストン・ビラ、21年5月にアーセナル、23年1月にトッテナムへ移籍し、23年9月に引退を発表。2011年のドイツW杯はチーム最年少18歳で招集され、決勝のアメリカ戦も途中出場で優勝に貢献。15年のカナダW杯(準優勝)、19年のフランスW杯(ベスト16)でプレー。12年のロンドン五輪(銀メダル)、21年の東京五輪(ベスト8)にも出場した。
早草紀子
はやくさ・のりこ/兵庫県神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサポーターズマガジンでサッカーを撮り始め、1994年よりフリーランスとしてサッカー専門誌などへ寄稿。96年から日本女子サッカーリーグのオフィシャルフォトグラファーとなり、女子サッカー報道の先駆者として執筆など幅広く活動する。2005年からは大宮アルディージャのオフィシャルフォトグラファーも務めている。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。