元Jリーガーが念願のラーメン店開業 クラファン支援額558万円…調理人として描く夢「衝撃的な逸品を開発したい」【インタビュー】
【元プロサッカー選手の転身録】盛田剛平(浦和、大宮、広島、甲府など)第3回:ラーメン店開業の舞台裏
世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生を懸けて戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
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今回の「転身録」は、浦和レッズを皮切りに複数のクラブでプレーし、2017年に41歳で現役引退を決断した盛田剛平だ。プロ生活19年間、7つのJリーグクラブに在籍した盛田は、引退後に浦和のハートフルクラブのコーチとして活躍する傍ら、23年3月に念願だったラーメン店を開業するなどセカンドキャリアを歩んでいる。第3回ではラーメン店開業の舞台裏に迫る。(取材・文=河野正)
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1999年に駒沢大のエースFWという看板を引っ提げて浦和レッズに加入した盛田剛平は、サンフレッチェ広島やヴァンフォーレ甲府などJリーグの7クラブに19年間在籍。2017年に41歳で引退すると、浦和のハートフルクラブで指導者として第2の人生を送る傍ら、今年3月に夢だったラーメン店を開業した。
プロ1年目が終わろうとしていた99年12月、翌年の抱負を尋ねたら「極ヘディングと極ラーメン」と答えた。盛田のラーメン好きは新人の頃から有名だった。
浦和で寮住まいの頃、小野伸二らと東京・巣鴨の千石自慢らーめん本店に通い続けた。「背脂チャッチャ系なら、ここしかないというくらいうまかった。長年愛したお店ランキングでピカ一ですね」と懐かしむ。
ラーメン店にしげしげと通うようになったのは大学入学後だ。サッカー部の遠征や旅先での腹ごしらえは、金欠の学生には少額で済むラーメンがうってつけ。とんこつの熊本ラーメンを初めて食した時の衝撃が忘れられず、ご当地によってまったく味が違うことにも驚いたという。
「うまいラーメンを口にすると、もっとうまいものに出会いたくなり、見つけた時の感動は半端じゃなかった」と笑い、「昔はSNSなんかなくても、話題の店は自然と耳に入ってきました」と当時から“その道”には精通していた。
プロ選手になってからは車も時間もあり、金銭的に余裕ができたことでお店訪問はさらに過熱する。専門誌をめくりながら食欲をそそる写真が目に入ってくると、大抵は暖簾をくぐった。「所用や旅行、アウェーでの試合など、その土地に用事があった時には気になるお店に立ち寄ったものです」と極上の味を求める全国行脚は、もはや単なるグルメの領域を超えていた。
引退後の設計図にあった教師「30歳でも現役でやれていたので断念した」
Jリーグは引退後の進路を支援するため、02年にキャリアサポートセンターを設立し、04年から現役選手を対象にインターンシップを実施。盛田はこの制度を活用し、06年に東京都内のラーメン店で、仕込みのやり方などを2日間修行した。
広島のファン感謝祭では、08年に地元の名店とコラボし当地では珍しい魚介とんこつを提供。10年は「広島ラーメン会」の主宰者として、同僚の李忠成らと油そばを販売した。甲府時代の14年は地元行事で広島のソウルフード、汁なし担々麺を出店し、ザスパクサツ群馬ではみそラーメンのスープを数種類考案。19年の浦和のファン感謝祭でも、ちょい汁ジャージャー麺を出店するなど、さすがは大勢の弟子を抱える「盛田ラーメン道」師範の面目躍如といったところだ。
キャリアを終えた群馬時代は単身赴任だったこともあり、「いつでも好きな時に行けたので、年間100軒回りました。100食じゃなく、100軒ですからね」と100杯以上食したことを笑いながら強調した。
06年のインターンシップで就業体験した当時から、セカンドキャリアの有力候補としてラーメン業を考えていたのか。「いやいや、本業をやりながらラーメン店を持てたらいいな、というイメージですね」。
引退後の設計図にあった教師については、「30歳でも現役でやれていたので断念しました」と語った。
不安を抱えながら構想を練り始めたのが昨年1月で、出店を決断したのがその半年後だ。ハートフルクラブの仕事があり、調理のイロハをじっくり習えないため、従業員が修行先で身に付けたものを教えてもらった。本人も千葉県にあるラーメン学校、食の道場に通って3日間集中コースで特訓を受けている。
店舗探しはさいたま市を中心に考えたが、上尾市や桶川市にも足を運び、昨年7月にさいたま市北区の今の物件を見つけた。JR高崎線宮原駅から徒歩5分の好立地に加え、探し回ったなかで最も広くて大きかったのが決め手となった。
クラウドファンディングで出資金を募った。昨年12月22日正午にスタートすると、翌日午後6時半には目標額の300万円をクリア。今年1月31日までに支援総額は558万8000円となり、製麺機や真空包装機を購入したほか、券売機連動型キャッシュレス決済端末の導入、返礼品などの費用に充てた。
「盛田軒」の屋号で3月5日に悲願のオープン。店主は「小学生の時のニックネーム、もりけんと呼んでほしい。副題にもりたラーメン研究所とあるのは、とことん味を追求する決意を表しました」と説明する。
一番人気は「濃厚中華」、新メニューも計画中 盛田が描く最終ゴールは?
スタッフは総勢13人で、調理人は盛田を入れて3人。「知人やファンが来店した時、自分が作るとすごく喜んでくれるので、ほかの作業があっても厨房に入ることを優先しています」と食の道場で覚えた自信作、鶏白湯を丹精込めて提供する。
濃厚中華、鶏白湯、淡麗煮干し醤油、塩そばの4種が目玉商品で、一番人気の濃厚中華はまだまだ改良の余地があるという。
米と餃子は現在メニューにないが、ご飯ものは客の要望を聞きながら考えていくそうだ。だが近所に専門店があるため餃子は提供しない。
経営者となった盛田は多忙を極めた開店1か月について、「慌てて作ったりして、初めはあまりおいしくないものを出してしまったのかもしれない。どんなに注文が多くても1杯1杯を丁寧に作り、質を高く保ってお出しすることの難しさを痛感した」と振り返る。
現役のJリーガーも含め、高校・大学時代のチームメイトや引退した選手ら大勢の仲間が来店する。連絡なしに突然やって来た時は、喜びもひとしおだそうだ。
めぐ主任研究員が毎日インスタグラムを更新し、盛田の出勤日などを発信。「オーナーはすごく優しい性格で、お客様をとても大切にしています。みんなでお店をさらに盛り上げていきたい」と情熱を傾けた。
ひたすら食してきたラーメン探訪は、美味を供する立場に変わった。現在、汁なし担々麺や冷やし中華などの新メニューも計画中で、「調理人としてこれだっていう味にはまだ至っていないし、経営面など不安だらけの状態。でもいつかはカップ麺に商品化されるような、衝撃的な逸品を開発したいですね」といつもの穏やかな口調で抱負を語った。
敷地内にラーメン店舗とグラウンドを併設し、自分のチームを持って子供たちとボールを蹴り、客には極上のラーメンをすすってもらう――。盛田が描く最終ゴールだ。(文中敬称略)
[プロフィール]
盛田剛平(もりた・こうへい)/1976年7月13日生まれ、愛知県出身。桐蔭学園高―駒澤大―浦和―C大阪―川崎―大宮―広島―甲府―群馬。J1リーグ通算175試合8得点、J2リーグ通算125試合8得点。1999年に浦和でプロデビュー。その後は複数のクラブでプレーし、2017年シーズン後に41歳で現役を引退。19年間のプロ生活にピリオドを打ち、2018年から浦和のハートフルクラブのコーチとして活躍する傍ら、23年3月に念願だったラーメン店を開業した。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。