永遠の“サッカー少年”中村憲剛とクラブ世界一決定戦 二度のバルサ戦から得た衝撃と刺激
少年時代に描いた自分だけの“世界選抜”
今年も6大陸の王者と開催国の優勝チームが参戦し、世界最強クラブを決めるFIFAクラブワールドカップが、12月8日に日本で開幕する。この祭典を今から楽しみにしている選手がいる。日本屈指のゲームメーカー、川崎フロンターレMF中村憲剛だ。
幼い頃の記憶を辿ると、授業中や休み時間は、いつもノートとのにらめっこが続いた。何度も消しゴムで消しては頭を悩ませ、自分だけの世界選抜を作り上げる。そして、放課後は覚えたての「マラドーナ」「ロベルト・バッジョ」と叫び、転がるボールに胸を焦がす。今、30代半ばを迎える、かつてのサッカー少年たちの誰もが通ってきた道だろう。
だが、自他ともに認める「超マニア」のサッカーフリークでもある中村は、6歳からメキシコ・ワールドカップ(W杯)総集編を何度も繰り返し見ていた強者だ。さらには、「マラドーナが大好きで、もちろん一人でマラドーナって言いながらボールを蹴っていました。89-90シーズンのナポリが大好きで、その年のセリエA総集編はテープが擦り切れるぐらい見ていた」と言うから筋金入りだ。
そんな中村少年が、マラドーナと同じくらい夢中になったのが、バルセロナのサッカーだった。心地良いリズムで刻まれる時計仕掛けの“ティキ・タカ”。稀代のゲームメーカーの源流には、そうした多感な少年時代に触れたバルサのサッカーがあった。
鮮烈な記憶として残るのは、FIFAクラブワールドカップの前身である92年のトヨタカップだという。「あのサンパウロと、バルセロナの試合がとても印象に残っている」と言い、こう続けた。