日本人2選手に学ぶ欧州移籍のリアル もっと評価されるべき人間力「ただサッカーが上手けりゃいいってもんじゃない」【現地発】

欧州のサッカー事情に精通するモラス雅輝氏【写真:中野吉之伴】
欧州のサッカー事情に精通するモラス雅輝氏【写真:中野吉之伴】

【インタビュー】言語面でも成長を見せる二田理央「監督からもすごく信頼されている」

 オーストリア2部ザンクト・ペルテンでテクニカルダイレクターを務めるモラス雅輝氏は、欧州でプレーするFW二田理央(ザンクト・ペルテン)とMF財前淳(グラーツァーAK)の名前を挙げて「もっと日本の高校生とかに見てほしいなと思う」と絶賛する。渡欧前や渡欧後に言語面で地道な努力を続け、周囲から信頼を勝ち取った選手の姿に「とても大切なメッセージがそこにはありますよ」と説いた。(取材・文=中野吉之伴/全5回の5回目)

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「すごく面白い。メンタリティーが素晴らしい。日本の同年代よりだいぶしっかりしている印象。自炊にも全部自分でトライして、言葉の勉強もそうだし、筋トレとかも含めて自己管理も全部できる。親元を離れて、全然違う海外の環境に来て、大人になるスピードが増したのかもしれない。話をすると、すごいいい青年って感じでどんどん成長しています」

 ザンクト・ペルテンでテクニカルダイレクターを務めるモラス雅輝がスタジアム内にある自身のオフィスで思わず熱っぽく称賛の言葉を並べた対象はFW二田理央だ。サガン鳥栖U-18からトップチームへ昇格した直後、当時オーストリア2部のヴァッカー・インスブルックへレンタル移籍し、主に3部のセカンドチームで主力として活躍し、同リーグで21ゴールをマークして得点王。そして22-23シーズンから2部ザンクト・ペルテンへレンタル移籍で加入し、23年7月に鳥栖から完全移籍が決まった。

「最初インスブルックで彼の代理人から話があった時、『現実的にちょっとインスブルックのトップチームでは厳しい』という話をしたんですね。そうしたら『セカンドの練習参加でいいから行かせてください』って。実際にセカンドに練習参加してもらったら、好評価を得てレンタルで移籍してもらうことになりました。そのうちトップチームでも練習参加するようになりましたね。

 理央が偉いのは、本当に言語面で頑張っていること。日常会話だけではなくて、ロッカールームでの会話とかも全部ドイツ語で分かるようになってきています。監督の指示も大体分かるから、監督からもすごく信頼されている」

 言葉が分からなくてもプレーで示せたら問題ないと考えている人も少なくないかもしれない。通訳が付くこともあるし、戦術ボードや動画で示されたものを見て理解するアプローチだってある。だが指導者サイドから見たら、コミュニケーションを取れる選手をより信頼するというのは間違いなくある。

財前淳は「僕が今まで見てきた日本人の中で、一番欧州移籍を準備していた」

 知己のドイツ人指導者がドイツ4部リーグ監督時代にいた日本人選手とのエピソードを話してくれたことがある。

 何を話してもただ「オッケー」「分かった」とだけしか言わないからコミュニケーションが取れないと嘆いていた。彼らの言う「分かった」が、本当に分かったかどうかが分からないのだ、と。そして実際にピッチ上でのプレーを見るとまるで分かっておらず、それを修正しようとして伝えても、答えは「分かった」。次第に話をする意欲を失ったと話していた。

 似たような話をブンデスリーガで日本人選手を指導していたコーチ、監督から聞いたこともある。安易に分かったつもりの雰囲気を出すのは危険でしかない。

「僕は本当に日本の選手には、もっと言語を頑張ってほしいですね。もちろん日本で英語を一生懸命話せるように勉強するのが難しいというのはよく分かります。でもヨーロッパでサッカー選手をやりたいって方は、ヨーロッパで仕事するということでもあるわけです。理央も一生懸命勉強しているし、あと1人凄い選手がいます。インスブルックでもプレーしていた財前淳。今はオーストリア2部のグラーツァーAKでプレーしていますが、彼はドイツ語が本当に上手い」(モラス雅輝)

 そう言って、モラスは1つのエピソードを教えてくれた。京都サンガF.C.U-18のあと、インスブルックのセカンドチーム練習参加を経て移籍を果たした財前は、順調にトップチーム昇格を果たし、さあこれからというところで膝前十字靱帯断裂という重傷を負った。あの怪我さえなければ、1部クラブからの具体的なオファーも届いていたかもしれないというほど国内外での評判は高まっていたそうだ。

 そんな彼が18歳でインスブルックに来た時、彼の勉強ノートはドイツ語の単語ですでに埋め尽くされていたという。

「彼は僕が今まで見てきた日本人の中で、一番ヨーロッパ移籍を準備していた選手だと思います。話を聞いたら16歳の頃からドイツに行きたいって思っていたそうで、その頃から自分でドイツ語の勉強を始めたと聞きました。その勉強ノートにはドイツ語の単語がものすごい書き込まれていた。昨日今日で書いたものじゃないんですよ。もうずっとやってるんだって。

 だから初めて来た時から自己紹介もドイツ語で話せた。今はもう普通にドイツ語でなんでもできます。膝の怪我をして離脱した時期があるんですが、オペも、リハビリも全部通訳なしで対応していましたし、インスブルックからグラーツへの引っ越しとか、役所での手続きとかも全部自分でやっています」

 財前は現在24歳。膝の怪我で長期離脱せざるを得なかったのは痛いが、まだこれからだ。負傷から完全復活し、来季2部リーグでコンスタントにプレー機会を得ることができたら、そこからまた上昇気流に乗ってくると期待する関係者は多い。

「偉いなと思う。やるべきことを1つ1つちゃんと実践して、プロとしてここでやっている日本人がいるっていうのは正当に評価されるべきだと思うし、もっともっと日本の高校生とかに見てほしいなと思う。ただサッカーが上手けりゃいいってもんじゃないんだよって。とても大切なメッセージがそこにはありますよ」

(文中敬称略)

[プロフィール]
モラス雅輝(モラス・マサキ)/1979年1月8日生まれ。東京都調布市出身。16歳でドイツへ単身留学し、18歳で選手から指導者に転身。オーストリアサッカー協会のコーチングライセンスを保持し、オーストリアの男女クラブで監督やヘッドコーチとして指導。2008年11月から10年まで浦和レッズ、19年6月から20年9月までヴィッセル神戸でそれぞれコーチを務め、神戸時代にはクラブ史上初の天皇杯優勝を果たした。以降はオーストリアに戻り、FCヴァッカー・インスブルックを経て、22年7月からザンクト・ペルテンのテクニカルダイレクターとして活躍している。

(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)

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中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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