20年の現役生活に幕 佐藤由紀彦が残したモノ

「あまりに孤独が続いたから泣きそうだった」

 

 自分の居場所だったはずの右サイドで活躍するナオの姿に焦りをつのらせた。その焦りは佐藤を練習に向かわせた。

 練習場がある小平グランドでメニューを消化し、さらに錦糸町に移動する。そこでは、パーソナルトレーナーとフィジカルを鍛え直した。それから自宅があった吉祥寺近くのジムのプールでさらに負荷をかけた。毎日がその繰り返しで終わっていった。

「自分のサッカー人生の中で一番練習をした。このピンチをチャンスに変える。シーズン中に、あれほどの負荷をかけたことはない。僕がそれだけ練習をしていたなんて誰も知らないんじゃないですか。ナオを超越する選手になって戻りたい。そういう気持ちでやっていました」

 ただし、佐藤はけがから復帰しても、ベンチを温めることが多くなり、試合に出ても途中出場が続いた。それでも練習で手を抜くことはなかった。「周りの選手は『こいつ、痛いやつだな』って思ったでしょうね。僕ならそう思いますよ、きっと」。佐藤は、そう笑って話したが、こちらの想像も及ばないところでもがき苦しんだ一年を過ごした。

「絶対に負けたくないという気持ちが強かった。それが俺の今を支えている。そうやって続けていったとき、僕に出番をくれた。あまりに孤独が続いたから泣きそうでしたよ」

 もがいて、苦しんで、悩みもした。それでも起き上がった。そして、「サッカーが好きだ」と声を大きくして言える男だった。

 ナオは、その先達の姿を目の当たりにした。だからこそ、自分も必死になれた。

「自らを高めようとするユキさんの姿をオレは見ていた。だから、オレも負けないようにしないといけないと一生懸命だった」

 佐藤は翌年、FC東京を去り、ナオの古巣である横浜Fマリノスへと移籍した。当時、決して交わることのなかった2人が交わした会話はあいさつ程度でしかなかった。

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