欧州サッカーに精通するモラス雅輝が指摘、指導者育成の懸念点「意外とプロの業界に多い」【現地発】
【インタビュー】オーストリア2部ザンクト・ペルテンでTDを務めるモラス雅輝氏を取材
オーストリアサッカー協会のコーチングライセンスを保持し、現地で指導者となったモラス雅輝氏。浦和レッズとヴィッセル神戸でコーチを務めた経験を持ち、現在オーストリア2部ザンクト・ペルテンでテクニカルダイレクター(TD)として活躍している。欧州サッカーに精通しているモラス氏を直撃したなか、指導者の育成について「グラスルーツでアマチュアサッカーのいろんな経験をしたすごい財産だなって思うんです。そうした感覚を知らない人って意外とプロの業界に多い」と語っている。(取材・文=中野吉之伴/全5回の1回目)
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オーストリア2部のザンクト・ペルテンが気になっていた。
オーストリアを中心に20年以上指導者歴のあるモラス雅輝がテクニカルダイレクターに就任したというのも刺激的なニュースだし、元サガン鳥栖でパリ五輪世代のFW二田理央がプレーし、トレーナーとして原辺允輝が活動している。
4月下旬、取材に出かけることができた。オーストリアのザンクト・ペルテンは首都ウィーンから電車で25分ほどの好立地にある。僕が暮らすドイツのフライブルクからだと一度ミュンヘンへ出て、そこから国境のザルツブルクまで移動。そこで乗り換えてさらに電車に揺られていく。合計7時間以上かけてようやく到着した。
街はこじんまりとしているが、州都らしいとても清潔で整った街並みだ。駅からバスで10分ほど行くと広大な敷地のスポーツ施設が目に飛び込んできた。隣にはきれいなスタジアムもある。
最寄りのバス停で降りてスタジアムのほうに歩き出したら、奥から笑顔で手を振りながらこちらに向かってくる人物の姿が見えた。モラス雅輝だ。
「お久しぶりです。お元気そうでなりよりです」
お互いにそう言ってがっちりと握手をしてスタジアム内にあるオフィスへ一緒に向かった。その間も惜しむようにいろんなサッカーの話をする。さまざまな舞台で経験豊富なモラスの話は知見に富み、話題が尽きない。
海外で活躍している日本人指導者がいないという指摘がよくされているが、いないわけではない。欧州でA級、さらにはプロコーチライセンスを所得している日本人指導者はそれなりにいるし、ブンデスリーガの育成アカデミーで指導経験のある人だっている。欧州1部、2部で監督を務める日本人も少しずつだが出てきている。ただそんな欧州における習慣や文化、サッカーへの理解を深めている彼らでも、そこで成功を収めたり、さらに上のポストを手にするのは非常に困難だ。ライバルとなる存在はそこら中にいる。
そんな環境のなか、モラスは確かな結果と成果を欧州で残している人物と言える。
日本の浦和レッズとヴィッセル神戸でコーチを務め、2017-18シーズンからオーストリアで3番目に優勝回数が多い名門ヴァッカー・インスブルックの女子チームで監督およびスポーツディレクターを兼任。その年に2部・3部に所属していたトップとセカンドの両チームをそれぞれリーグ優勝とダブル昇格に導いた。また2021-22シーズンには暫定ながら同クラブでオーストリア2部所属だった男子トップチームでも指揮をとり、不振続きだったチームの立て直しに貢献している。
オーストリア2部クラブを選んだ理由「女子部門の存在も大きかった」
モラスはチロル州の強豪クラブであるインスブルッカーACでは育成部長を務めたこともあるし、さらに2014年にはオーストリアブンデスリーガ・スポーツマネジメントアカデミーを、アジア人として初めて卒業した。
そんなモラスが2022年夏にザンクト・ペルテンとテクニカルダイレクターとして2年契約を結んだ。その仕事内容は「男女のチームの強化と編成」「各クラブやエージェントとのネットワーク作り」「業務提携を結んでいるボルフスブルク(ドイツ1部)との国際スカウティングでの連携」など、多岐にわたっている。
加えて来シーズンからは育成アカデミーのダイレクターも兼ね、さらにU-18チームの監督として、若手指導者の育成も兼任するというから驚きだ。
それにしても他クラブからのオファーもあるなか、なぜモラスはこのクラブで仕事をすることを選んだのだろうか
「プロ部門のみならず、育成部門も含めて充実したクラブの施設、オーストリア・ブンデスリーガ1部の常連になるという現実的な目標、ドイツ・ブンデスリーガ1部のボルフスブルクとの国際業務提携など多くの魅力を感じました。これまで所属していたFCヴァッカー・インスブルックと比べればクラブの歴史は浅い新興クラブではありますが、オーストリアの首都ウィーンの経済圏に本拠地があることもあり、競技面でも商業面でもポテンシャルを感じます。そしてこれまで何度か女子サッカーでも働いた身としては、毎年UEFA女子チャンピオンズリーグ(CL)に出場する女子部門の存在も大きかったです」
ザンクト・ペルテンは男子トップチームがオーストリア2部のため、日本での知名度もそこまで高くないかもしれないが、女子トップチームは女子CLに何度も出場しており、欧州においても強豪クラブの1つとして知られる。それぞれのチームが持つ性格も立ち位置も目標設定も異なるなかで、統括として敏腕を振るえる人材はそうはいないはず。
それぞれのスタッフがそれぞれの力を発揮するためには、それぞれが置かれた環境を理解し、そのなかでクラブとして求めるところとクラブがサポートすべきところへの理解が欠かせない。
時に問題となる当たり前の感覚「どんな人でもグラスルーツでの経験はすごい貴重」
例えば育成部門に目を向けると、クラブに専任で雇われているのは現在3人。それ以外の育成指導者は兼業となる。時間のやりくりやクラブとの関わり方は専任指導者のそれとは当然違いも出てくる。ただ、ずっとプロの世界にいる場合、その当たり前の感覚が分からないことが問題になったりもする。
「僕は今、幸いなことにプロレベルで仕事ができているけれど、グラスルーツでアマチュアサッカーのいろんな経験をしたというのはすごい財産だなって思うんです。そうした感覚を知らない人って意外とプロの業界に多い。ずっと選手をやっていて、現役引退してすぐにまたスタッフや指導者としてプロの業界入っちゃう。彼らにとっての当たり前が、スタッフや育成指導者にとって当たり前ではない。でも彼らがいないとクラブは成り立たない。そのあたりの感覚を持ってコミュニケーションを図るのはとても大事ですよ。だからどんな人でもグラスルーツでの経験はすごい貴重だと思うんです」
育成・成人・男子・女子指導者、育成ダイレクター、スポーツダイレクター……。さまざまな立場と視点を基にこれまでに築き上げてきた経験と専門性が、優れたコミュニケーション能力を介してバランス良く配合された仕事ぶりは、クラブ内でも非常に高く評価されている。欧州市場の中で働く日本人として希少な存在であることは間違いない。(文中敬称略)
[プロフィール]
モラス雅輝(モラス・マサキ)/1979年1月8日生まれ。東京都調布市出身。16歳でドイツへ単身留学し、18歳で選手から指導者に転身。オーストリアサッカー協会のコーチングライセンスを保持し、オーストリアの男女クラブで監督やヘッドコーチとして指導。2008年11月から10年まで浦和レッズ、19年6月から20年9月までヴィッセル神戸でそれぞれコーチを務め、神戸時代にはクラブ史上初の天皇杯優勝を果たした。以降はオーストリアに戻り、FCヴァッカー・インスブルックを経て、22年7月からザンクト・ペルテンのテクニカルダイレクターとして活躍している。
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。