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名将オシム氏がほかの指導者と変わらなかったたった1つの点 初タイトル獲得でファインダー越しに見せた静かな涙
【カメラマンの目】ナビスコ杯決勝でPK戦の激闘を制した千葉は初タイトルを手にした
勝者と敗者のコントラストがより鮮明に浮かび上がるタイトルを懸けた決勝戦は、人々の記憶に深く刻まれることが多い。これまで数多くの大舞台をゴール裏から撮影してきたが、2005年11月5日、ジェフユナイテッド千葉対ガンバ大阪の対戦となったヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝は、ピッチで繰り広げられた選手たちの好プレーに加え、ある人物が見せた行動と表情によって、時を経ても印象に残る試合となっている。
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試合は延長戦を戦った120分でも0-0と決着が付かず、勝敗の行方はPK戦へと持ち込まれていった。緊迫したなかで登場したキッカーたちは、G大阪が5人中4人を成功させたが、千葉はそれを上回る5人全員がネットを揺らし、Jリーグ参加から初となるタイトルを獲得したのだった。
千葉に初の栄冠をもたらした指揮官は哲学者然とした風貌に、勝利へと導く確固たるサッカー理論と、それをピッチで実践できる能力を併せ持った名将・故イビチャ・オシム氏。Jリーグ発足から現在まで日本のチームを指揮した人物を見渡しても、間違いなくトップレベルの指導者だったと言える。まさにこのオシム氏という絶対的な指揮官の存在が、今でも05年ナビスコカップ決勝の試合を印象深いものにしている。
オシム氏には特異な行動があった。彼は勝敗の決着がPK戦に委ねられた場合の結果は、自分の指導者としての能力の及ぶ範疇にないという理由で、その場に立ち会わないことを信条としていた。
始まりはオシム氏がユーゴスラビア代表を率いて臨んだ1990年イタリア・ワールドカップ(W杯)での準々決勝でアルゼンチン代表と対戦した際、PK戦までもつれ込んだ末に敗れた試合に遡る。PK戦を見ないことにしているのはこの試合からの習慣で、千葉の初タイトルが懸かった大事なナビスコカップ決勝でも、やはりその習慣に倣いPK戦に向けての円陣が解かれたあとピッチを去っている。
そして、千葉の勝利で決着が付き、オシム氏の姿を探すと国立競技場のメインスタンド下に立っているのを見つけ、小さくだが笑顔を作っていた彼に向けてカメラのシャッターを切った。
鋭い怜悧な洞察力と、あらゆる場面で自己判断を徹底して突き通すオシム氏は走力を武器として、千葉をタフに戦う集団へと仕立て上げた。しかも、ただ力任せに走るのではなく、考えてプレーすることも要求し、それを選手たちに身に付けさせることによってチームはリーグ内で存在感を発揮し、ついにタイトル獲得に成功したのだった。
そして、迎えた06年にオシム氏は日本代表監督へと就任する。指揮官としての舞台を代表に移してもオシム氏は選手たちに厳しいトレーニングを課した。招集された選手たちも勝つためのサッカーを強く意識し、その目標に向かっていく過程が厳しくても充実感を覚えているように見えた。
98年のW杯初出場から、日本も世界の舞台で活躍する選手が出現してきていたが、そうした選手たちに向けられた期待に加え、オシムが代表監督に就任すると指揮官も注目を集めることになる。
言葉で人々を惹きつけたオシム氏の魅力
だが、残念ながらオシム氏は志半ばで体調を崩し、W杯本大会で彼が采配を振るう姿を見ることはできなかった。勝負の世界だけでなく人生にも「if」はないが、オシム氏が代表チームを指揮し続け、それによって作り上げた完成形が、どんなものになったのかを見てみたかったという思いは今でも持っている。それほどオシム氏には日本サッカーをさらなる高みへと導いてくれる人物として期待していた。
オシム氏は報道陣の質問に対して、独創的な理論を展開して答えていたところが、サッカーの指導者としての魅力をより引き立てていたのだが、それだけに留まらず人間力に優れた人物でもあった。たまたまサッカーの指導者という立場だったが、肩書を外してオシム氏を1人の人間として見たとしても、サッカーへの独自の見解は時に人生の指針にもなり、その言葉は人々を惹き付ける魅力があった。
そんなオシム氏だが、千葉が初タイトルを手にしたナビスコカップ決勝では、彼の印象的な場面をカメラに納めている。タイトル獲得を達成して選手、スタッフの歓喜が弾けるなか、カメラのファインダーにオシム氏のアップを捉える。
スタジアムのメインスタンド下で撮影した際と同じく、それほど感情を表には出していなかったが、その目はうっすらと涙で濡れていた。
やはりタイトル獲得は格別な喜びがあったようだ。それは優れた存在のオシム氏でも、多くの指揮官となんら変わらぬ感情だった。
(徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。