ザックジャパンの主力DF候補 森重真人が飛躍のために決別したもう一人の自分とは
だが、その過程には、ある乗り越えるべき壁があった。それに直面したのが、FC東京への移籍初年度の2010年。J2降格の憂き目にあったその4年前、森重が絞り出すように言った言葉がある。
「オレに責任があった」
話は、2009年秋にまでさかのぼる。当時のFC東京は、絶対的なエースだったカボレを含め、選手数人をシーズン中に放出せざるを得ないほどの経営危機にひんしていた。翌年に向けてさらなる人員の整理は避けられず、多くの実績ある選手との契約更新を断った。
さらに、2010年は、J1リーグの中でも極めて低い予算規模でのチーム編成を余儀なくされようとしていた。だが、補強もほぼ固まりつつあった年末に、急きょ予算が増えるという話が現場に届いた。当時の城福浩監督はそこで決断を下した。
「新たに増えた予算を何に投下するかを決めたのはオレの判断だった。今改めて反省はするが、その当時の判断に悔いはない。後から見れば、もっと得点が取れるストライカーを獲得してもよかったというのは結果論でしかない。それはオレ以外の方がそう言えばいい。決断は、バジェットと時間との戦いなんだから」