日本は「ずっと憧れていた国」 元英国代表FW、30年前のJリーグ時代を回想「今も親しみを感じる」
名古屋でプレーした元イングランド代表FWギャリー・リネカー氏
かつて名古屋グランパスエイト(現名古屋グランパス)でプレーした元イングランド代表FWギャリー・リネカー氏がJリーグ時代を回想。「日本での生活を愛していた」と英公共放送「BBC」で語っている。
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リネカー氏はイングランド代表通算80試合48得点の結果を残し、1986年のメキシコ・ワールドカップ(W杯)で得点王に輝いた名ストライカー。1993年と94年のJリーグ発足当時の名古屋に所属していたなか、怪我の影響でリーグ通算18試合4得点と大きなインパクトこそ残せなかったものの、Jリーグを彩った1人としてその名を刻んでいる。
当時を振り返ったリネカー氏は、「私が31歳の時、トップのままイングランドサッカー界を去ろうと思っていた。1993年にスパーズとの契約が終わったら引退しようと思っていたんだ。でも日本人からアプローチされた。FCバルセロナでプレーして、旅行や異文化体験に興味があった。日本はずっと憧れていた国で、しかも家族にとっても安全な場所だし、自分のキャリアを終えるにはとてもいい場所だと思ったんだ」と、日本行きの経緯を明かす。
鳴り物入りで加入した名古屋では怪我の影響で本領を発揮できない時期が続いたなか、「私は日本での生活を愛していたし、選手としてまだ完全には終わっていないと思っていた」とリハビリを続け、完全復活を目指していた。
結局、コンスタントに出場できず不完全燃焼のまま94年に日本で現役ラストマッチを迎え、「怪我で何もできず、名古屋グランパスエイトを失望させてしまったと常々感じていたけど、信じられないほど忍耐強く、理解してサポートしてくれた。そんなグランパスには、これからも感謝し続ける」と名古屋への思いを口にしている。
「日本でサッカーがプロスポーツとしてスタートした時だった。そのような新しいことに関われたのは選手にとって珍しいこと。もっとプレーできれば良かったけど発展ぶりには興奮したよ。望んだ形ではなかったけれど、キャリアを終えた場所でもあるからね」
「日本での生活を今でもとても懐かしく思うんだ」としみじみ
日本での2シーズンは怪我に泣かされ、リネカー氏が思い描いた活躍はできなかった。それでも「今月でJリーグは30年になるけど、日本での生活を今でもとても懐かしく思うんだ」と、しみじみ振り返っている。
「(怪我など)その期間は信じられないほどフラストレーションを感じたけど、前向きな気持ちもあり、選手としての時間は終わったと受け入れることができた。日本での 2 年間は、私に新しい人生を始めようという衝動を与えてくれたんだ」
Jリーグでは額面どおりの実力は発揮できなかったものの、リネカー氏は今でも日本に親しみを覚えており、こんなエピソードも明かしている。
「日本は2002年に男子W杯を共催し、1998年以降7大会すべてのW杯に出場している。女子もアジアを代表するチームだ。私はこの成功に貢献できていないが、今でも日本や日本文化に親しみを感じているし、それは家族も同じだ。(子供の)ハリーは日本で生まれ、今でも日本的な愛情表現を込めて『ハリーちゃん(Harry chan)』と呼んでるくらいだ」
リネカー氏らが彩ったJリーグは5月15日に開幕30周年を迎える。これからもさまざまな歴史が刻まれていくことだろう。
(FOOTBALL ZONE編集部)