浦和が生み出した圧倒的な雰囲気 30年以上の時を経て…イタリアW杯で感じた“地の利”が日本でも
【カメラマンの目】イタリアW杯を現地で観戦 感じたのはサッカーのあるべき姿
学生のころ、サッカーの世界最高峰のレベルをライブで見てみたいと思い、1990年イタリア・ワールドカップ(W杯)を観戦に行った。かの地で4試合を観戦したのだが、最も印象に残っているのは、世界で語られているサッカーの定説を目の当たりにしたことだ。
サッカーには地の利というものがある。試合を行うにあたって、多くの場合でホームチームのサポーターの方がアウェーのそれより多く、その声援によって選手たちの闘志が奮い立たされ、勝負へ優位に影響するというものだ。
それは言葉としては知っていたが、当時の日本ではサッカーがメジャースポーツへと昇華するきっかけとなるJリーグはまだ開幕していない。サッカーといえば日本サッカー夜明け前の日本サッカーリーグ(JSL)であり、日本のトップリーグとはいえ観客の数は多くはなかった。なにより日本人でサッカーに興味を持つ人の数が、今とは比べものにならないほど少なかったのだから、日本のトップと位置付けられていたリーグでも、多くの観客でスタンドが埋まるということはなかった。観戦する人でさえ多くなかったのだから、チームを熱烈に応援しスタジアムの熱量を上げてくれていた人たちも少数だった。
そうした状況ではホームによる優位性はなかなか生まれづらい。そのためサッカーには地の利ということがあることは知っていたが、実際には見たことがなかった。
国内のリーグ戦だけでなく、代表でもいくつかの例外的な試合を除いて、観客がスタンドを埋め尽くすということはほぼなく、日本が絶対的な優位となる雰囲気を見ることはなかった。
そんなサッカーにおける熱狂をライブで体感したことがなかった自分が、イタリアW杯の決勝トーナメント・ラウンド16、首都ローマのオリンピコ・スタジアムで行われたイタリア対ウルグアイで、サッカーのあるべき姿を目の当たりにすることになる。
まず、巨大スタジアムを埋める熱狂的なイタリアサポーターたちに驚かされた。スタンドを見渡せば三色国旗が乱舞し、大音響の圧倒的な声援をバックに戦うアズーリ(イタリア代表)。その雰囲気を体験したとき「これならホームチームが勝つのも当然か」と感じ、これが地の利というものなのかと初めて知ったのだった。
そして時は流れ、日本のサッカーも世界と比肩するほどの熱狂が生み出されるようになった。アジアチャンピオンの座を懸けて戦った浦和レッズ対アル・ヒラルの一戦。
カメラマンとして浦和の得点や歓喜を撮影するため、アル・ヒラルのゴール裏で撮影をしていたが、試合は浦和にとって劣勢の展開で進んでいく。ファインダーの中に入ってくる浦和の選手たちはボールを持つアル・ヒラルに対してマークに行く姿が多かった。ボールを保持しても、守備に転じた時のアル・ヒラルのマークは強烈でなかなか敵陣地へと進出して来られない。
少ないチャンスを確実にモノに 後押ししたのはスタッフやサポーターの熱意
浦和には劣勢の展開を承知し、そのため素早い攻撃を心掛けた結果、マークを受けやすいドリブルではなく、できるだけタッチの少ないパスで前線へとボールを運ぶという意識もあったのだろう。そのため浦和の選手がしっかりとボールを保持している場面の写真を撮ることはあまりできなかった。
浦和にとって痺れるような時間が続いていったが、彼らは高い集中力を持って果敢にアル・ヒラルを迎え撃ち、後半4分には貴重なゴールを記録した。それでも試合を支配するのはアル・ヒラルだったが、赤き血のイレブンは90分間を通して戦い続け1-0で勝利。浦和は内容で圧倒されることを恐れず、局地戦で絶対に負けまいとする挑戦の姿勢を崩なかった。ハードマークで対抗し、少ないチャンスを確実にモノにして、結果で勝つという試合巧者ぶりを発揮。アジア王者を奪取したのだった。
報道陣としてこの場にいて感じたことは選手たちの奮闘はもちろんだが、表に出ることはないなか、海外メディアもやって来る国際試合で、円滑に運営しようとする浦和スタッフの熱意も非常に強く感じられた。そしてスタンドを埋めたサポーターが絶え間なく送り続けた声援が、選手たちに勇気を与えたことは間違いない。浦和に関わるすべての人たちが勝つ雰囲気を作り出し、まさにその情熱が勝利へとつながった試合だった。
これが地の利というものなのだ。
(徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。