浦和と勝たせるサポーターの関係…スタジアムは“戦う場所” 19年の悔いバネに貫いた満員の圧力「レッズじゃないとあり得ない光景」
【J番記者コラム】満員のスタジアムに響いた大声援は選手の力となった「自分たちは責任を与えられた」
浦和レッズは5月6日にAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の決勝第2戦で、アル・ヒラル(サウジアラビア)と対戦して1-0の勝利。2戦合計2-1で3回目のアジア制覇を成し遂げたが、そこには「戦う空間」を作りだした浦和サポーターとの関係がなくてはならなかった。
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キックオフの約2時間前、埼玉スタジアムに浦和の選手バスが到着する。その30分ほど前から駐車場から車両入り口のところにスタンバイしていたサポーターたちは、大声援で出迎えた。それは、お祭り騒ぎに参加したい人々の集まりではなく、本気で鼓舞して気持ちを奮い立たせようという集団の声。FW興梠慎三は「浦和レッズじゃないとあり得ない光景だった」と、その光景を語った。
ウォーミングアップが始まっても、その空間づくりはブレなかった。決勝戦を“盛り上げよう”と大会がアポイントしたMCが煽ろうとしても、浦和のサポーターたちは自分たちのペースでピリッとした空気を保った。そこには、同様に第2戦がホームゲームだったにもかかわらず、そのようなペースに巻き込まれて弛緩した空気が漂ってしまった苦い思い出のある2019年の決勝が頭にあったのだろう。
初戦のアウェーゲームが終わると、SNS上などでも浦和のサポーターたちによるスタジアムの空気感に言及する投稿や呼びかけが増えていた。それは、このゲームにおける重要な一部分だった。クラブもまた、普段なら座って観戦することが基本の南側ゴール裏スタンドも、コールリーダーがいて立って応援するスタイルのエリアとして運用することを決めていた。
そして、キックオフ前のビジュアルサポートでは、この大会が昨年にタイのブリーラムで行われたグループステージ、埼玉開催の決勝トーナメントを経て、サウジアラビアの首都リヤドでの決勝初戦を戦ってきたことを示すバナーを、飛行機が移動していくような圧巻の演出。そのスタート地点はホームタウンである旧浦和市(現さいたま市の一部)を表現した形であり、ゴール地点は世界地図。まさに「浦和からアジアへ、アジアから世界へ」とクラブが打ち出した姿勢とともに戦ってきたことの表現だった。
試合が始まれば、声や拍手の音が降ってくるような環境は、序盤から押し込まれて苦しんだ選手たちに力を与えた。前半に浦和サポーターの中心部がある北側のゴールを守ったGK西川周作は「今日、埼玉スタジアムに足を運んでくれた人の声援を聞いて、自分たちは責任を与えられた」と受け止めていた。その守護神は、接触を恐れることなく相手の足元に飛び込んで守り、また相手の強力外国人アタッカーたちのシュートを弾き出した。
そしてハーフタイムには、再び大会側の演出としてスマートフォンのライトをつけるように呼びかけられた。しかし、それへの反応も鈍く、さらに後半に向けて試合前とは違うクラブのエンブレムを模したビジュアルサポートをスタジアム全体で行って上書きした。緩みのない空気感で戦った後半、MF岩尾憲のフリーキックをDFマリウス・ホイブラーテンがヘディングでゴール前につなぐと、飛び込んだ興梠の動きが相手GKを惑わした。ペルー代表MFアンドレ・カリージョもクリアしきれずにオウンゴールに。スタジアムは大歓声に包まれた。
ビハインドを背負ったアル・ヒラルが攻勢を強めようとするなかで、残り約5分で相手のゴールキックとなった時には「We are REDS」のシュプレヒコールがスタジアムを包んだ。「勝つところを見にきた」のではなく、「一緒に勝ちにきた」とでも言うべき5万人超の圧力は恐ろしいまでの迫力があった。
第1戦、深夜のパブリックビューイングには約7000人…サポーターは「プラス1の選手」
4月23日にJ1リーグ第9節川崎フロンターレ戦をアウェーの等々力競技場で終えると、チームはそのままサウジアラビアへと旅立った。スタジアムをチームバスが出発する時、川崎の協力もあって浦和サポーターたちは盛大な声援で見送った。現地時間29日に行われた決勝初戦、敵地サウジアラビアには、約700人が乗り込んだ。日本時間で深夜のキックオフだったにもかかわらず、埼玉スタジアムで行われたパブリックビューイングには約7000人が集まった。
マチェイ・スコルジャ監督は「レッズのサポーターのみなさんには、川崎戦の後にも見送っていただいたが、本当に素晴らしかった。今日スタジアムに到着した時も、出迎えてくれた。このチームのサポーターには、特別なスピリットを感じることができる。今日は簡単な試合ではなく、苦しんだ時間帯もあったが、サポーターがプラス1の選手がいるかのような力をくれた」と感謝の言葉を残した。
10チームで始まった1993年のJリーグ創設から30年が経つが、今やJ1からJ3までの3部構造になり、参入を目指すクラブも全国に増えた。浦和は「オリジナル10」と呼ばれる最初のチームの1つだが、それぞれのクラブがそれぞれにサポーターとの関係を作っている。浦和にとってスタジアムは戦う場所であり、ゲートをくぐればサッカーに関係ない演出は入れない場所というポリシーで歴史を作ってきた。この日のスタジアムの光景は、そうした意味でも浦和だからこそのもの。強烈な戦う空気を作ったサポーターと、それに応えた選手たちの合作と言えるような試合でアジアの頂点を勝ち取った。