久保建英の日本語は「ドライ」、スペイン語は「ウエット」 2言語を操る姿から見えた“二面性”

マジョルカ時代の久保建英【写真:Getty Images】
マジョルカ時代の久保建英【写真:Getty Images】

【海外発コラム】現地在住の日本人記者が見た、マジョルカ時代の久保

 スペインの名門FCバルセロナの下部組織で育った久保建英は、一体どんな内面の持ち主なのか。Jリーグやラ・リーガ、日本代表で実戦の場を踏んできただけあり、ファンにはお馴染みの存在になったものの、21歳の若き逸材の内面は「知る人ぞ知る」領域でもある。「FOOTBALL ZONE」では関係者や記者たちの証言から久保の人間性に焦点を当てた特集を展開。このコラムではマジョルカで長年取材する現地在住の日本人記者に、所属当時の久保から垣間見えた内面を綴ってもらう。

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「久保建英の人間性」を綴るうえで、まず明らかにしなければならないのはクラブによる取材制限や新型コロナウイルス対策などから接点がかなり限られていたということだ。この点で自宅を訪れてバーベキューをした大久保嘉人、バイクのうしろに乗せて練習場内を走った家長昭博といったマジョルカの先輩選手の時とはまったく違う状況だった。あくまで2シーズンの間、同じ職場、ピッチレベルで選手を見てきた人間のどこまでも個人的な印象であることを断っておきたい。

 直接言葉を交わした記憶があるのは3回。インタビュー、記者会見、写真撮影といずれも仕事上でのやり取りだったが、礼儀正しく、対応が的確でそつがないという印象だった。東京五輪への意気込みを聞かれて「まずはメンバーに入ることが大事」、将来レアル・マドリードへの復帰の可能性について「今僕はマジョルカにいてここで活躍することしか考えてない」と模範的で隙のない回答をしていたのを覚えている。

 その判断の的確さと敬語を使った丁寧な言葉遣いによる距離感から、率直なところ「サイボーグ(機械)と話しているみたいだ」と思ったこともある。「来年になったらここでのことをあっさり忘れて別のチームへ行ってそう」と評した日本人記者もいた。

 ただ、これはあくまでメディアとの関係であり、特に注目度の高い日本への影響を考えれば選手が慎重に言葉を選ぶのは至極当然のことだろう。まして父親ほどの年齢差があり素性も分からないおじさんを前に気を許せというほうが無理な話だ。

 それでもスペイン語で話す環境になると事情は少し変わってくる。時に非常に饒舌で気の利いた受け答えをする。事実上の決勝ゴールを決めたあとの記者会見で「僕は普段出歩かないけど、今日は(夜の街へ)繰り出しても良いかも。もうチームメイトはみんな帰ったかもしれないけどね」と話し、スペイン人記者たちから笑い声が上がったこともある。

 実際、久保にとっての日常はスペインであり、チームメイトやスタッフなど普段接する人たちとやりとりしているスペイン語での会話のほうがスムーズなのだろう。こちらでの生活習慣も関係がある。スペイン人とのやりとりは圧倒的に2人称の「君、お前、あんた」でやるとりすることが多く、会話には相手の発言を遮って自分の意見を言い合うダイナミックさがある。握手したり両頬に触れ合って挨拶したりと、身体的な接触も多く距離感も近い。

韓国代表MFイ・ガンインが強い調子でキッカーを主張した場面【写真提供:島田 徹】
韓国代表MFイ・ガンインが強い調子でキッカーを主張した場面【写真提供:島田 徹】

“良い奴”久保が強い個性や存在を前にすると狂いが生じる傾向も?

 私の経験として、普段スペイン語で生活していて突然日本語を使う環境になった時、自分でも笑ってしまうほど言葉が出なかったり不自然な言い回しなったりしてしまうことがある。スイッチを切り替えるように単に使う言葉を変えるということではない。話す言葉によって同じ人間でもいくらか人格が変わるということだ。

 なお前に書いた日本語でのやり取りを「ドライ」だとすれば、スペインでの久保の「ウエット」感を窺わせた場面はある。バルセロナ下部組織時代の仲間と旧交を温めたシーンが何度かあったし、カタール・ワールドカップのスペイン戦後にMFガビのユニホームをゲットしたが、これはマジョルカ時代のチームメイト、GKマノーロ・レイナに頼まれてのことだった。

 そんな“良い奴”久保だが、もしかすると強い個性や存在を前にするといつもの調子に狂いが生じるという傾向があるのかもしれない。

 2022年2月26日のリーグ26節バレンシア戦。1点のリードを追う後半、マジョルカはゴール前でフリーキック(FK)を得た。久保は自らキッカーに名乗り出たが、韓国代表MFイ・ガンインが味方に食ってかかるほどの強い調子でキッカーを主張したのを受けて引き下がった。久保にとっては普段からピッチ外でも一緒に行動することも多かった仲間のことを考え、古巣を前に特別な思い入れを持った選手を立てたという部分もあったかもしれないが、端から見ていると相手の気迫に圧倒されたという感が強かった。

 もう1人、ハビエル・アギーレ氏が昨季途中からマジョルカの監督に就任したことも久保にとっては新たな波及効果を生むことにならなかった。この監督は記者会見で担当記者の名前を呼び、「元気にしてた?」と優しく語りかけたかと思えば、時に俗語を交えて誰かを非難することもある。もっとも言葉的には口汚いものだが、おっとりとした口調で憎めないだけに愛情あふれる仕上がりになり、会見の場を自分が主役のトークショー然としたものに変える雰囲気(人間力)を持っている。

元日本代表監督アギーレ氏の下ではスポットライトが当たらず…

 その監督に言わせれば久保は「偉大な選手、素晴らしい青年。髪型は残念だが」という日本人選手のことを知りたい記者たちへのリップサービスになり、「冷めた感じの練習態度からそれまで考えていた先発としての起用を考え直した」と、その後選手が出場機会を減らした理由を説明している。

 あくまで2部降格を避けるための厳しい状況、当時の戦力を考慮したうえで折り合いが合わなかったということだ。性格的にソリが合わなかったということではないし、どちらかに非があったということでもない。ただプロとして結果を出せば注目度や評価は上がるし、その反対であれば発言力や世間からの関心も薄れる。とにかく昨季終了時点でアギーレ監督は主役の1人になり、久保はもっともスポットライトが当たるところにはいなかった。

 これらの出来事はもしかするとそれほど良い思い出として選手の中に残っていないかもしれない。しかしながら何事も思いどおりに行かないのが世の常で、それがすでにスペインで日本人として最高の高みに達した選手にも当てはまるのだとしたら、結局のところ成長の余地を意味することになるのではないか。まだ若く経験を自らの力に変えるだけの時間もエネルギーもたくさん残されているだけに、プロとしての初期の歩みを近くで見た人間の1人として久保建英が自身のスタイルを確立する瞬間が見られることを楽しみにしている。

(島田 徹 / Toru Shimada)

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島田 徹

1971年、山口市出身。地元紙記者を経て2001年渡西。04年からスペイン・マジョルカ在住。スポーツ紙通信員のほか、写真記者としてスペインリーグやスポーツ紙「マルカ」に写真提供、ウェブサイトの翻訳など、スペインサッカーに関わる仕事を行っている。

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