大ブレイクの伊藤涼太郎、浦和時代に噛み締めた悔しい思い…名将の“先見”がようやく芽を出した
当時浦和を率いていたペトロヴィッチ監督の目に留まるも、チームにフィットせず
アルビレックス新潟のMF伊藤涼太郎は、今季J1リーグ第8節を終えて5得点で得点ランキング首位に並ぶなど、大ブレイクを果たしている。そのプロのキャリアは2016年、浦和レッズへの加入からスタートした。
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前年に浦和のトレーニングに参加した時に、ミシャの愛称で知られる当時のミハイロ・ペトロヴィッチ監督の目に留まった。当時主力だった槙野智章氏は後に、「ミシャは、若いころの(柏木)陽介を見ているようだったと言っていたんですよ」と話したことがある。そして伊藤は岡山県の名門、作陽高校から浦和にとって5年ぶりの高体連から獲得したルーキーとしてやってきた。当時、2020年に予定されていた東京五輪を目指す世代であり、現日本代表MF久保建英らとタレントぞろいの2列目を形成すると見込まれるほどの評判だった。
開幕戦でベンチ入りするなど評価も上々で、16年4月29日の名古屋グランパス戦では途中出場のデビュー。強気な発言もするタイプで、レギュラー取りへの野心を隠さない生きのいい若手というワードがぴったりだった。しかし、本職のシャドーには当時、武藤雄樹、李忠成、梅崎司、石原直樹、高木俊幸といった強烈なメンバーたちが在籍。さらに、自分のところにボールが入ったら必ず何か1つアクションを起こすタイプの伊藤は、ワンタッチパスでのフリックや予定されたコンビネーションを求めるところがあった当時のミシャサッカーの中では浮いた部分も見えた。チームが年間勝ち点でトップになるほど充実していたこともあり、終わってみればデビュー戦がルーキーイヤーで唯一の試合出場だった。
2年目も矢島慎也や長澤和輝まで加わる競争の中、紅白戦を中心にトレーニングを組み立てるミシャの構想に入れず、その時間帯に個別トレーニングになってしまう回数も多かった。前年の加入時には選出が確実と思われていたU-20ワールドカップ(W杯)への出場も逃し、夏場にミシャが契約解除となりコーチから昇格した堀孝史監督の下でも大きく状況は変わらなかった。
だが、このシーズンからルヴァンカップ(杯)に導入された「21歳以下の選手を1人以上必ずスタメン起用しなければいけない」というレギュレーションで、当時の浦和のプロ契約選手で該当するのは伊藤だけだった。それもあり、夏のウインドウに期限付き移籍で他クラブへ出る可能性もかなり限定された。取材時の話題には常に「ルヴァン杯」というワードが出るようになったが、本人は「ルヴァン、ルヴァンと言われるけど、僕はリーグ戦やACL(AFCチャンピオンズリーグ)も狙っているので」と、折れない気持ちを話していたのが印象に残る。
そのルヴァン杯ではACL出場により、準々決勝からのシード。そして、セレッソ大阪との第1戦で伊藤はスタメン起用された。しかし、期待されたようなプレーを見せたとは言い難かった。もちろん、試合勘などで難しいところも多々あっただろう。しかしその評価は、第2戦でメンバー外になり、当時ユース所属で2種登録されていたDF橋岡大樹をスタメンに起用したことからも明らか。このゲームが2年目の浦和では唯一の試合出場で、9月に水戸ホーリーホックへと期限付き移籍した。
復帰後も競争を勝ち抜けず…新潟で自身の才能を爆発
2020年に2年半を経て浦和へと復帰し、当時に「3年計画」を打ち出していたクラブの初年度に合流したが、ここでもチーム内競争を勝ち抜くことができなかった。新型コロナウイルスの影響で、取材環境が大きく変わってなかなかその状況をうかがい知ることはできなくなってしまったが、21年夏には再び水戸へ期限付き移籍。翌年に新潟へと完全移籍になった。気が付けば、東京五輪のメンバー候補だったことも多くのサッカー関係者の頭から抜けていたかもしれない。
それだけに、新潟で自分の居場所を確保してレギュラーを掴み、大ブレイクする姿には多少の驚きと嬉しさもあった。23年3月18日のJ1リーグ第4節で浦和と対戦した試合では、厳しいマークを受け見せ場は試合終盤のフリーキックを直接狙った場面くらいで、1-2の敗戦後に「自分の中ではプロになって一番悔しい試合。また浦和からプロの厳しさを与えられた」と唇をかんだ。それでも、第8節を終えての5得点は得点ランキング首位に並ぶ。4月15日の第8節アビスパ福岡戦では、ハットトリックも達成。1点目、2点目にあったファーサイドを狙うような体の動きから、キックの直前にグッと体をひねり込んでニアサイドを射抜くシュートは、ルーキーイヤーから浦和のトレーニング場で何度も見かけたプレーだった。
決して順風満帆とも言えないキャリアのスタートだった伊藤だが、今や多くのファン・サポーター、あるいは関係者にも注目を浴びて、日本代表への待望論も出るほど。片鱗を見せていたに過ぎなかったポテンシャルが、ようやく形になり始めたと言えるのかもしれない。それでも伊藤は浦和戦の後に「今まで代表で活躍している選手は、活躍し続けているので。たかが4試合、5試合の話ではないですし、自分はもっと多くの試合で、1シーズンすべての試合で活躍しないと代表は見えてこないと思っているので、個人的にはまだまだです」と、地に足をつけた言葉を残していた。現時点では、その言葉はかなり実現されつつある。さらなる飛躍が楽しみな存在となっているのは間違いなく、自由なアイディア、確かな技術でスタジアムを魅了する姿を見せ続けてほしい選手だ。