香川真司が直面したマンUという名の赤い壁

マンUへの残留を熱望していた香川

 もしもMKドンズ戦で大活躍していれば、残留の芽はあったのだろうか。あったと思う。香川本人はマンU残留を望んでいた。少なくとも今年の8月26日までは。

 確かに今シーズンに入ってからは、香川の肉声に触れることはなかったが、過去のコメントにはマンUでレギュラーを勝ち取る決意があふれていた。常に「もっともっと」と口にし、上を目指していた。13年3月2日のノリッジ戦でハットトリックを記録したときでさえ、「もっと強い相手と当たっても存在感を出していかないと、認められない」と話し、ビッグクラブでの競争を意識していた。ルーニーとプレーする楽しさを「彼はチームのどの選手とも連係を築いている」と無邪気に語り、クラブへの愛着もあらわにしていた。

 それに、マンU内部と深く関わる幾人かの地元記者の証言から、香川が最後までファン・ハールに対して、残留を訴えていたことも分かっている。

 しかし、移籍締め切りが目前となったMKドンズ戦直後、戦力外通知受けた。アトレチコ・マドリードからも強く勧誘されていたというが、ドルトムント移籍に落ち着いた。それも、香川がこの時点まで移籍を想定していなかったからだ。

 本人の強い希望でドルトムントに帰ったのは、マンUで嫌というほど移籍の難しさを知ったからだろう。ドイツには自分を最大限に輝かせてくれたクロップが待っていた。

 個人的な感想を含む余談になるが、香川を2年間追って、この小さなナンバー10が、どうしてこれほど日本人に愛されるのか分かった気がする。それは絶好調時の驚くほどの巧みさと正確さが、美意識を刺激するからだろう。

 精密な技術。そして香川には、これまた日本人好みの職人かたぎもあり、さりげないが気の利いたプレーが多い。特にオフザボールの動きは知的だ。こういう選手は戦略好きな日本人の注目を集めるだろうし、黙っていても見てもらえる。しかしイングランドでは、ファィテング・スピリット満点の選手が好まれる。90年代最大のヒーローはポール・ガスコインで、デビッド・ベッカムよりも、やはりルーニーだ。

 無論卓越した技術も必要だが、格闘サッカーのプレミアでは戦う姿勢をピッチ上でむき出しにできるかどうか。それがスターへの分かれ道となる。そういう部分では、香川はサッカー発祥国で輝けなかった。

 くどいようだが、ファーガソン監督の勇退は悔やまれる。結果を焦ったフィジカル重視のモイーズは、その繊細さを弱さと見た。だが、あの皇帝的だった大監督が起用し続ければ、香川の機知に富んだプレーはプレミアでも通用したはずだ。結局、香川真司のマンUでの挑戦は、ファーガソンからモイーズという残酷なボタンのかけ違いが最大の要因となり、失敗に終わったのだった。

【了】

森昌利●文 text by Masatoshi Mori

ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images

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