香川真司が直面したマンUという名の赤い壁

 10代から順風満帆の道を歩いてきた日本の背番号「10」の前には、そのキャリアで最も険しく高い壁が立ちはだかった。なぜ香川真司は英国を去ることになったのか。マンチェスター・ユナイテッド(マンU)での苦闘の日々を追い続けた現地記者が、別の道を探さざるを得なかった真実に迫った。幾重にも重なった不運。そして赤いユニホームを脱いだ、本当のワケとは……。

 

なぜ香川はプレミアリーグを去ることになったのか

 普段はプレミアリーグを追う日本人記者団にとって、なじみがないリーグ1(英3部リーグ)所属クラブの本拠地だった。しかし去る8月26日、MKドンズのスタジアムMKには、英国在住の日本人記者が勢ぞろいしていた。

 マンチェスター・ユナイテッドにとっても、この日に試合をするのは不慣れなことだった。昨季、デイビッド・モイーズ監督の不振が響いて7位に終わり、UEFAチャンピオンズリーグはおろかヨーロッパリーグの出場権も取れず、19年ぶりにリーグ杯を2回戦から戦うことになったのだ。もちろん、日本人記者団のお目当てはこの試合で先発が確実だった香川真司だった。

 同24日に行われたサンダーランドとのリーグ戦直後の会見で、ルイス・ファン・ハール監督は、後半18分にダレン・フレッチャーのサブとしてアドナン・ヤヌザイを送り出した理由について、「中盤からクリエイティブなパスが欲しかった」と答え、「それなら、あそこで香川という選択もあったのではないか」という日本人記者の質問を誘発した。

 すると、オランダ人監督は「その指摘は正しい」と語り始めながらも、「米国で香川をあの位置で使ったが、私の望み、哲学にかなうプレーができなかった」と続け、26番をベンチに置いた理由をあっさり明かした。さらに「香川は“10番”の選手」と断言し、「そこではファン・マタがプレーしている」と語り、“マタの控えのトップ下”というチーム内の立ち位置も鮮明にした。

 マンUでは、基本的に本人が先発してチームが勝たなければ選手に話をさせない。われわれは、8月16日のリーグ開幕戦から2戦連続でベンチを温めたまま試合を終えたMFとは接触できずにいたのだ。こうした状況で、皆が香川の肉声に飢えていた。

 だからこの日は、どんなことをしてでも香川から話を聞き出すという決意で、ロンドンから約100キロ北のスタジアムに日本人記者たちは足を運んでいた。しかし、昨年5月11日のサウサンプトン戦以来となったマンU公式戦出場は、散々な結果に終わった。本来なら欧州王者を争わなければならないマンUにとって、屈辱的とも言える格下相手のリーグ杯第2回戦で、香川は念願のトップ下で先発した。

 今季初出場だが動きは良かった。立ち上がりからファン・ハールの新システム3-4-1-2の1.5列目で躍動。ダニー・ウェルベックとハビエル・エルナンデスの背後とボランチとの間のスペースを駆け巡り、中盤と前線の接着剤となろうとチャンスをうかがった。

 その姿を見て、12年8月20日に香川がプレミアデビューしたエバートン戦での吉田誠一氏の言葉を思い出した。日本経済新聞入社以来、30年間にわたってサッカー一筋に取材しているベテラン記者は、0-1で負けたマンUの12-13シーズン開幕戦を取材し、創造性と繊細な存在感を示した香川の動きを柔らかな口調でこう言い得た。

「アレックス・ファーガソン監督は、ああいう“するする”、“ふわふわ”っとした動きが気に入ったのかな。マンUに入ると、ひと際柔らかく見える。今後、彼の動きがどういうふうにこのチームに吸収されていくのか楽しみですね」

 それからちょうど2年。MKドンズ戦での香川の動きは、基本的にスムーズな持ち味は変わらず、そこに直線的な鋭さを増していた。

 ところが前半8分、相手DFとヘディングで浮き球を競った際、顔面にがつんと頭突きを受けてしまう。この後、何度も頭を振って何とかプレーを続けようとしたが、12分後の前半20分、ついにヤヌザイと交代。香川は脳振とうを起こしていた。

 19歳のベルギー代表MFが入って3トップ気味になったマンUは、そこから中盤とFWの連係が目に見えてなくなった。そして前半25分、前掛かりになったところでカウンターを食らって失点。さらに後半、この先制点と同じようなカウンターからの失点を3度も繰り返し、歴史的な0-4の大敗を喫した。結果的に、この惨めな敗戦が香川のマンUでの最後の試合になった。

 

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