三笘薫、ルーキー時代の衝撃 「実に論理的だった」プレー面以外の凄み…取材者を唸らせた“言語化力”
【J番記者コラム】川崎時代、他とは一線を画した独自の個性を回想
今季プレミアリーグでブレイクを遂げた三笘薫は、昨年のカタール・ワールドカップ(W杯)を経て、世界最高峰リーグで輝きを放つ日本人アタッカーへと成長を遂げた。「FOOTBALL ZONE」では三笘の“過去”に迫るべく特集を展開。このコラムでは、川崎フロンターレ時代の印象的な姿を番記者が振り返る。ほかの多くの日本人ドリブラーと比べて異彩を放っていた三笘独自の個性とは?
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三笘薫がJリーグの公式戦のピッチに初めて立ったのは、今から約3年半前になる。
2019年9月のルヴァンカップ準々決勝・名古屋グランパス戦である。当時は筑波大学の特別指定選手で、背番号は前年までMF田中碧(現デュッセルドルフ)が身に着けていた「32」だ。パロマ瑞穂スタジアムに訪れた1万1587人の観客が見守るなか、試合終盤の86分に三笘はJリーグデビューを果たしている。
取材に足を運んでいた筆者は、現地でこの試合を見届けていた。ただ、三笘という期待の大学生がデビューした事実は覚えていても、プレーに関する印象はほとんどない。いかんせん出場時間が短く、特筆するほどの見せ場がなかったからだ。試合後の会見で鬼木達監督は「緊張していましたね。もう少し長く出してあげても良かったとは思いました」と述べている。意外なことに、デビュー戦の三笘はノーインパクトだった。
人々の記憶に強烈なインパクトを与え始めたのは、翌年の2020シーズンからだ。大学を卒業したルーキーは、磨き続けてきた武器であるドリブルで圧巻の活躍を見せた。1年目から結果を出し続け、クラブのリーグ奪還に貢献する働きを見せている。
三笘の凄さを伝えるために、多くの言葉を紡ぐ必要はなかった。ピッチで表現されているドリブル突破を見れば、それだけで凄さが伝わるからだ。対面相手を簡単に置き去りにする姿とフィニッシュワークは、それぐらいの強烈なインパクトを与えるものだった。ある意味で、これほど分かりやすい選手はいなかったとも言える。
ただ、三笘が凄かったのはプレーだけではなかった。
試合後に自身のプレーを振り返る、いわゆる「言語化」も、実にうまかったのである。これは取材者として、実に印象深いことだった。
あくまで自分の経験則だが、ドリブラーにはボールを持った瞬間のイメージやフィーリングを重視することが多いためか、自分自身のプレーを説明する作業があまり得意ではない印象が強かった。わざわざ言葉に落とし込む必要もないのだろう。いわゆる自分の感覚で話すタイプが多く、若手のドリブラーは特にその傾向が強かった。
それもそうかもしれない。例えば対面する相手の1対1を仕掛けるかどうか。あるいは、自分が抜ける間合いかどうか。試合中にその瞬間に下すのは直感的な判断であり、どうしても「感覚的な領域」になりやすい。少なくとも、論理的に考えて出した結論ではないことがほとんどだろう。試合中のドリブラーはそうした局面に多く出くわすため、試合後にプレーを振り返った際も、感覚的なコメントを多く残す印象が強かったのである。
ところが三笘は違った。感覚の領域になりやすいプレーの部分を、自分なりに噛み砕きながら、筋道立ててコメントしてくれることが多かった。自分のプレーを説明する際に、「なぜそうなったか」が実に論理的だったのだ。新人ながらその言語化が優れており、コメントを聞いていてたびたび驚かされたのだ。
得意としているプレーの説明を明晰に解説
例えば2020年のリーグ第11節川崎フロンターレ対セレッソ大阪戦。この時に決めた得点は、対面した相手DFの股を抜くシュートをニアサイドに通すことで、相手GKの逆を突く格好になった技ありのゴールだった。瞬間的なアイデアで放ったように見えたのだが、そこには冷静な駆け引きがあったようで、しっかりと振り返っていた。
「ボールを持った瞬間にファーを狙おうと思いましたが、(相手に)当たると思ったので、うまく外に開いてGKを動かせました。(シュートは)逆をつけたので(相手GKも)力強く弾けなかった。それは良かったと思います」
上半身を動かすことでシュートブロックを誘い、相手の股を開かせてそこを通す狙いがあったこと、さらにシュートを打つ前にGKが体重移動していたことを認識していたことも端的に説明していた。こうした瞬間の駆け引きを、自分の言葉で描写できる新人が三笘だったのである。なおこの試合で、三笘は公式戦5試合連続得点を記録していた。
自身が得意としているプレーの説明となると、もっと明晰だった。
例えば三笘の得意技に、アウトサイドを使った擦り上げるような動作で繰り出すスルーパスがある。「必殺のアウトサイドパス」とも呼ばれている武器で、日本代表や現在所属しているブライトンでも度々披露しているあのキックである。
川崎時代でのプロ初アシストは、このパスで記録している。ほかの選手とは違う特徴的なプレーだったので、あのキックを繰り出す狙いやポイントがどこにあるのか、いつぐらいから武器になってきたのかを取材で聞いたことがある。彼は少し早口になりながらも、しっかりと言語化して説明してくれたのだ。
「ドリブルを見せることで、あれが生きると思っています。ドリブルでカットインすることで、相手が中を切るので、あそこのコースが開くんです。そういう2つの選択肢があることが、相手に脅威を与えることができると思っています。アウトサイドはずっと昔から使っていました。ウイングをすることが多かったので、読まれにくいクロスでした。スピン(をかける)というか、強く蹴って、相手とGKの間に流し込めば危険なボールになりますから。武器にできたのは、大学の2年ぐらいからですかね……。大学の頃から回数をこなして失敗も多くしてきましたが、ある程度は武器になっていきました」
つまり、あのアウトサイドパスは、武器であるドリブルを対策され続けてきた人生によって生まれた産物だということだ。仕掛け一辺倒では相手に対策されるが、2つの選択肢があれば、相手は迷う。ドリブルがあるからこそアウトサイドパスが生き、アウトサイドパスがあることでドリブルもまた生きる、という関係であるということである。
感覚の領域になりやすいプレーも含めて、理路整然と説明できるのは、それだけ自分の頭の中を整理できているということなのだろう。正確な言語化によって、自分の問題点を的確に把握しているからこそ、その改善にも余地がない。そんなサイクルを新人時代から現在に至るまで継続し続けているのだろう。
その口から紡がれるコメントは客観的で、話す時も常にクールであり続ける。でも、それだけじゃない。カタール・ワールドカップのクロアチア代表戦後、テレビインタビューの場で言葉を絞り出したあと、顔を覆って涙を堪えきれない姿は印象的だった。
言葉は冷静だが、胸に秘めている思いは誰よりも熱い。それが三笘なのである。
(いしかわごう / Go Ishikawa)