ドイツ1部クラブで働く日本人スタッフ、高卒から叶えた夢「このまま帰ってどうする」 海外就職の舞台裏【現地発】
【インタビュー】ケルンで働く笹原丈氏「もともとは1年もいないくらいを考えていた」
ドイツ1部ブンデスリーガのケルンで唯一の日本人フロントスタッフとして仕事をしている笹原丈。そもそも彼はどんなきっかけでドイツへ渡り、どのようにケルンで仕事をするようになったのだろうか。インタビュー企画第2弾は笹原がドイツに来たいきさつについて話を訊いた。(取材・文=中野吉之伴/全3回の2回目)
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「もともとは1年間、いや1年もいないくらいを考えていました。帰りの飛行機のチケットも買ってあったんです。ただ、ドイツに渡って4~5か月くらい経った時に、『このまま日本に帰っても意味ないな』と思いだしまして。ドイツ語もまだまだ全然喋れないし、ドイツのことも全然見られていない。何もできるようになっていないのに、このまま帰ってどうするって。それでその帰りのチケットを捨てたのをよく覚えています」
良くも悪くもドイツに来ると決めた時は勢いがあった。行けばなんとかなるという変な自信もあった。それでも時間が経ち、ドイツ生活に少しずつ慣れてくると、思っていた自分とは違う自分に気が付く時がくる。そして自問自答をする。
「あれ? 僕は何しにドイツに来たんだっけ?」
多くは、そこで自分の心と向き合うことができず、いたずらに時間を過ごすか、思い込みをすることで当座の問題だけを凌ごうとする。でもそれは一過性の解決にしかならない。自分が本当に願っているのはどんな自分の姿か。そのために自分が取り組むべきはなんなのか。笹原は考えに考えた。
「最初の頃は指導者になってみたいなっていうのもありました。実際にドイツで指導者をやらせてもらったこともあるんですけど、日本での指導経験も全然なかったですし、指導者として自分は何がしたいんだろう、何ができるんだろうというのがはっきりしてこなくて。いろいろ考え直してみたら、自分の中にはドイツでの一番の目的として、『ブンデスリーガの中で働きたい』っていうのがあったんです。じゃあ、どんな可能性がほかにはあるんだろうというところから、考えて、動いて、いろんな縁でとある会社で働かせてもらえることになったんです。そこでいろんな経験をして、本当に仕事が大好きになって。『いつかは絶対ブンデスリーガクラブのフロントで働きたいな』というのを思いながらやっていました」
ケルンが採用を決断「5年間働いていた職場での経験を買っていただいたのかなと」
笹原をケルンへいざなったのもその会社だった。そこはケルンのパートナー会社の1つで、いろんなつながりがあったのだという。そしてケルンが日本人スタッフを探しているというのを聞いた社長が笹原を推薦した。ほかにも候補者はいたことだろう。だがケルンは笹原の採用を決断した。
「実は僕は学歴がそんなにないんです。日本では高卒でこっちに来て、ドイツでも大学に行ってないんです。それこそブンデスリーガクラブで働いてる人たちはエリート層が多くて、ケルンスポーツ大学を卒業して、働いてる人もたくさんいます。そんななか、高卒の自分を取ってもらえた。僕の中ではその前の5年間働いていた職場での経験を買っていただいたのかなと思ってます」
笹原が以前勤めていた会社は飲食系で、当時は14店舗分の管理と約60人の従業員のマネジメントをしていた一方、最後の6か月間はデンマークに飛び、オープニングマネージャーも務めた。本当にサッカー好きで、いつかサッカー界で働きたいという笹原の夢を社長は分かってくれていた。ケルンからの話があった時、笹原を紹介する流れは自然だったのかもしれない。自分から道を見つけ、動いた先には大事な縁があり、それが夢へとつながっていた。
「僕はケルンにもう5、6年いて、ケルンはずっと応援していて、ずっと一番好きなクラブの1つでした。そこからお話をいただいて、ドイツに来た頃からブンデスリーガのフロントで働くというのが夢だったので、紹介していただいた時に絶対やりたいなという思いがありました」
ケルンに籍を移したあとも試合の日には、かつて自分が働いていたスタッフとスタジアムで再会することがある。いまでも彼らとの日々と絆はかけがえのないものとして笹原の心の中に残っている。
「今でも試合の日にスタジアムで働いているとその場所に行って、当時の従業員と話すんです。やっぱり当時のことをいろいろと思い出しますよね。その時のワクワクするような気持ちとか、絶対いつかここで働きたいなという思いは今も忘れちゃダメですよね」
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。