「私にとって第2の故郷」 Jリーグ7年目の豪州代表FWデュークが日本を愛する理由
【助っ人の日本魂】町田移籍で“大都市好き”の魂に火「どんどん開拓していきたい」
J2のFC町田ゼルビアに所属するオーストラリア代表FWミッチェル・デュークは、2015年の来日から計7年目となるシーズンを迎えた。オーストラリア出身の選手としては、FWケネディ(2009~14年/名古屋グランパス)、GKランゲラック(2018年~/名古屋グランパス)の6年を上回り、史上最も長くJリーグでプレーしていることになる。日本での生活や文化を楽しむ根底にあるものとは――。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小田智史)
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元々はオセアニア連盟(OFC)に加盟していたオーストラリアは、2005年にOFC脱退とアジアサッカー連盟(AFC)加盟が決定。国際サッカー連盟(FIFA)も速やかに転籍を承認し、06年1月から「AFC加盟国」となった。“天敵”FWティム・ケイヒルの存在や、10年南アフリカ・ワールドカップ(W杯)、14年ブラジルW杯、18年ロシアW杯、22年カタールW杯の最終予選で対戦したこともあり、日本にとっても縁が深い国だ。
2015年に来日したデュークは、サウジアラビアに続いて自身にとって“海外2か国目”となる日本について、「安全な国で、お互いを尊重する文化。生きるうえでの価値観がそれぞれ似ている気がしていて、本当に素晴らしいと思います」と語る。
「海外から来た私も日本の方々には良くしてもらっていますし、ここに長く住みたいです。オーストラリアとの違いで言えば、オーストラリアの人はもう少しリラックスしていて、落ち着いて生活を送っているとでも言いましょうか。日本の人は本当に真面目で、ハードワークをする。『仕事第一』の気質がある気がします」
Jリーグでは清水エスパルス(2015~18年)、ファジアーノ岡山(21~22年)、FC町田ゼルビア(23年~)と3チームに所属した経験を持つデューク。静岡県、岡山県にはどのような印象を持ったのか。
「岡山は落ち着いた街でした。自然があって、食べ物も美味しかった。清水も同様でフルーツが美味しかったですが、外国人はあまり多くありませんでした。私は大都市が好きなので、東京でいろんなことをやってみたい。すごく興奮しています(笑)。東京にはお洒落なカフェがたくさんあると聞いていますし、これからどんどん開拓していきたいです」
カタカナのタトゥーを彫るほどの“日本愛”
サッカー選手としてのキャリアの中では、日本が最も長くプレーする地となるデューク。「選手として必ず引退の時は迎えるもので、いつかオーストラリアに帰る日も来ると思いますが、日本でプレーしている限りは『ミッチェル・デュークは、得点もできる本当にいい選手だった』と名声を残したい」と想いを紡ぎ、日本を「第2の故郷」だと表現する。
「W杯やオーストラリア代表のことはもちろん、取材では日本のことをよく聞かれます。これまで例えば京都のお寺や神社をいろいろ回りましたし、日本の有名なスポットはだいたい行きました。私は文化を含めて日本のことが大好きで、日本語のタトゥー(カタカナで『デューク』)も入れています。日本のみなさんにはリスペクトしてもらっていて、この国での生活を楽しみながらプレーできています。私にとって日本は特別な場所、第2の故郷だと思っています」
日本を愛するデュークが、オーストラリア出身のJリーガーで史上最高の選手だったと語られる日も、そう遠くはないだろう。
[プロフィール]
ミッチェル・デューク/1991年1月18日生まれ、オーストラリア出身。セントラルコースト―ブラックタウン・シティ―セントラルコースト(すべてオーストラリア)―清水―ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ(オーストラリア)―アル・タアーウン(サウジアラビア)―ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ(オーストラリア)→アル・タアーウン―岡山―町田。J1通算82試合2得点、J2通算58試合12得点。高さと強さを兼備するだけでなく、ハードワークも厭わないアタッカー。オーストラリア代表の一員として出場した昨年のカタール・ワールドカップでは、グループリーグ第2戦チュニジア戦で決勝点を挙げ、J2に所属している外国籍選手としてW杯初ゴールを刻んだ。