三笘薫、切り札→大ブレイクの“下剋上”なぜ成功? 「ビッグマウス発言」なしの人物像から浮かぶ“異例の出世”理由
【特集|三笘薫“解剖”/英国発コラム】プレミアリーグでは異例の“大卒”選手、活躍と経歴に現地は大注目
三笘薫は今季プレミアリーグで大ブレイクを遂げ、世界最高峰リーグで輝きを放つ1人としてその名を英国中に轟かせている。「FOOTBALL ZONE」では、そんな三笘の“現在”に迫るべくさまざまなコンテンツを集約させた特集を展開。このコラムでは英国在住の森昌利氏が現地取材などを通して得たコメントや情報を基に三笘の“成長の秘訣”に迫る。
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三笘の大ブレイクを受けて、日英のメディアが彼を追って狂奔している。英紙「ジ・アーガス」でブライトン番を務めるブライアン・オーウェン記者には日本のテレビ局からインタビューの依頼が殺到しているという。
これまでイングランド1部プレミアリーグと2部チャンピオンシップを行ったり来たりする弱小クラブだったブライトンを地道に追い続けて来たオーウェン記者は、「こんなことは本当にこれまでなかったことだ」と目を丸くした。
こうした喧騒のなかイギリスでは先日、三笘の“筑波大学卒業”という学歴に注目が集まった。サッカー発祥のこの国では、子供は幼い頃からサッカー漬けでジュニア、ユースと進み、16歳でプロ契約を結ぶのが通例。大卒どころか、大学入学資格を取得した選手でさえ希少だ。
一連の報道を読む限り、18歳から22歳というサッカー選手としては貴重な4年間を大学で過ごしたにもかかわらず、三笘がプレミアで大活躍する姿に人々は驚きを隠せずにいる。
どのようにして三笘は、現在の大ブレイクを可能にしたのだろうか。日本代表MF本人がプレミアデビュー年に語った言葉や彼のサッカー選手としての経歴を振り返りながら、その成長の秘密に少しでも迫ってみたい。
森 昌利
もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。